昨日の続きです。
「命の値段が高い国、安い国」
という視点があります。
安い高いというのは、殺人などより、
不慮の事故などを起こしてしまった場合の
値段を見る方が分かりやすいです。
いわゆる先進諸国は、
概ね「命の値段の高い国」で、
人を死なせてしまえば、大抵の場合、
様々な形で大きな責を負うことになります。
一方で、「命の値段の安い国」もあり、
意図的に殺した場合はともかく、
交通事故などで人をはねてしまっても、
驚くほど安いお金で
解決できるところがあります。
エジプトなども、
ほとんどの場合「轢かれ損」です。
社会の成熟度ということで見れば、
当然ながら「命の値段が高い」方が
まともで、上品であることは
間違いありません。
「命の値段が安い」ということは、
「やったモン勝ち」ということです。
一方で、「命の値段が高い」ことで、
「命の尊さ」が認められているかと言えば、
そういう訳でもありません。
むしろかえって、尊さの質が
見えなくなっているところもあります。
もちろん「安い」方が良い、
ということはありませんが、
社会制度・成熟度として
「命の値段」がつり上がったところで、
別段生命の質的な価値が
より深く認識される、
ということはないでしょう。
なぜなら、命の値打ちというものは、
そもそも交換価値から
来ているものではないからです。
命の価値は色々な考え方で
決まっているようです。
自分の価値だけは
落としたくないものですが、
100億円の価値はなさそうです。
そのぐらいのお金が
私一人に使われるくらいなら
私よりも多くの人を助けたいと思います。
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