私は不器用ながら何とか普通に生きてきたと思う。
大学を出て就労し、転職は何度か有ったもののまっとうに働いてきた。
その間鬱になることもあったが、服薬しながら生きてきた。
母は私が27歳の時に乳がんで亡くなった。
29歳の時に結婚した。
なかなか子宝に恵まれなかった。
不妊治療を行い何とか33歳の時に娘に恵まれた。
その二年後、息子にも恵まれた。
しかし子供ができてからは夫婦関係は変化してきた。
当然であろう、子供ができたら女は変わるものだと思っていた。
息子ができてからは夜の関係は一切なくなった、私から求めても頑なに拒否された。
しつこく迫ると蹴り飛ばされた。
私は器用ではない、どうして自分はこんなに出来ないのだと苦しみ、医師に診断してもらうと
ADHDと言われた。
そんな私だが、できる範囲で家のことも行った。子供も精一杯愛した。
しかし妻から見れば私は自堕落で家のことを、しんどい事を押し付けていると思われていた。
実際、妻には負担はかけていたと思う。申し訳ないと思っていた。休みの日に食事を作ったり
妻がゆっくりできるように子供の相手をして遊びにつれていったりしていたが足りなかったのだろう。
その内私の顔を見るとイライラするようになっていった。
基本的な会話は無い、私に何か伝えるときは子供越しに伝える事が殆どだ。
直接話してくるのは文句や要望がほぼ大半を占めていた。
「私がイライラしないで機嫌よくいるほうが子供のためだ、離婚してほしい」と妻に言われたことも有った
私は子供の為にも離婚したくなかった。親族を交えた話し合いの結果その時は離婚を回避できた。
私は妻のことを見ていて「この人は決定的に相手の立場に立って物を考えることや、気持ちを察することが苦手だろう」
と感じていた。そして、正直かなり辛くて嫌な事を妻が行っても極力受け入れることにした。
私自身が発達障害を持っていて得手不得手が激しいように、妻も何かあるのだろと受け入れた。
しかしどうしても腹に据えかねたときに妻に「一回医師に発達検査を受けてほしい、それによって自分の
特性が理解できて、対応しやすくなると思う」と言ってしまった。
妻は「私が障害だって言うの!!」と激しく怒り拒絶した。
どんどん夫婦の溝は深まっていった。
そんなある日、令和2年5月26日(火)に私の人生を大きく変える事件が起こることになってしまったのだ。