「新安城スクール」塾の日々→塾後の日々

 

久しぶりに知多四国を巡ってきた。

 

ちょくちょく行こうと思っていたのに、以前のブログを調べてみたら、前回は去年の11月だった。

 

きっと、寒くなったので春になったら行こうと当時は思っていたに違いない。

 

ところが、春どころか初夏に片足をつっこむ季節になってしまったのだ。

 

もう少し頻繁に行こうと弱~い決心をした。

 

 

 

今回は前回の続きの7番から12番、そして帰り道にあるので54番と番外。

 

第7番・極楽寺

 

第8番・傳宗寺

 

第9番・明徳寺

 

第10番・常照寺(以前は観音寺だった)

 

第11番・安徳寺

 

第12番・福住寺

 

ここには、ネコがごろごろと

 

第54番・海潮院

 

番外・東光寺

 

 

 

さて、この遍路で唱える言葉が「南無大師遍照金剛」である。

 

また、この遍路では唱えないが、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」なんかもある。

 

はて?なぜにどれも「南無」で始まるのか。

 

と思い、調べてみた。

 

もちろん、ドラゴンボールの第21回天下一武道会に出場した、必殺技「天空ペケ字拳」の使い手「ナム」のことではない。

 

 

 

「南無」は「帰依する」「心から尊敬する」という意味。

 

「大師遍照金剛」は空海の尊号で、「偉大なる大師・遍照金剛(空海)」という意味。

 

つまり、「偉大なる弘法大師に帰依する(尊敬しすがる)」という意味なのだ。

 

同様に、「南無阿弥陀仏」は「大宇宙の全ての仏の師匠にあたる阿弥陀仏に帰依する」という意味。

 

「南無妙法蓮華経」は「素晴らしい真理を説いた法華経の教えに帰依するという意味。

 

まあ、意味を知らずに唱えるよりは知っていた方がいいのかも、という程度だが。

 

 

 

話は変わるが、「ご冥福を祈る」をどう思うか。

 

人が亡くなると、コメントなどに「ご冥福を祈ります」と書く人が多くいるが、いつからこうなったのだろう。

 

宗教や宗派によっては使わないほうがいいのは知っているのだろうか。

 

キリスト教や神道はもちろんだが仏教でも適さない宗派がある。

 

 

 

浄土真宗では、阿弥陀仏の救いによって亡くなるとすぐに浄土に往生する(極楽浄土に生まれ変わる)と考えられている。

 

したがって、冥土でしばらく過ごすことはないのである。

 

だから、「冥土で幸福になるように祈る」と言われても意味がないのである。

 

 

 

そして、浄土真宗は「浄土真宗本願寺派」と「真宗大谷派」の主要2派だけでも約48%の信者がいて日本最大の宗派なのだ。

 

ということは、誰かが亡くなったとき、「ご冥福を祈ります」は結構な確率でそぐわないのだ。

 

しかし、誰が使い始めたかは知らないが、「耳に心地よい言葉」はすぐに広まる。

 

また「冥福」なんて言葉は賢そうな響きもある。

 

だから、多くの人が使ってしまうのだと推察する。

 

ほとんどの場合、あまり意味も知らずに使っているのだろうし、言う方も言われた方も、何の違和感もなくやり過ごしている。

 

私も真宗大谷派だが、「ご冥福を祈ります」と言われても、「失礼だ」なんて思わない。

 

だが、これを読んで、気になっちゃうじゃんと思った人は「お悔やみ申し上げます」が無難だ。

 

 

 

日ごろ使っている言葉でも調べると面白いことがわかったりする。

 

くれぐれも申し上げておくが、私は熱心な宗教家ではない。

 

ちょっと気になったので調べただけ。

 

誤解のないように。