今回も攻めたネタを書いていこうと思います!

昨今、性自認や年齢の自認など色々な個人の権利が主張されていますよね。それ自体には別に反対ではありませんしLGTBQの方々も別に個人で好きにやればいいと思います。

しかし、それを国が正当な権利として認め保護することには大反対です。

なぜなら、個人は個人の利益だけを追求すれば良いですが国は個人の権利の保障だけでなく公益性という側面も考慮しなければならないからです。

考えてもみてください。100%個人の権利だけを追求していたら税金や健康保険なども個人の努力で稼いだお金を国が無理矢理徴収しているわけなので言ってしまえば個人の権利を侵害しています。逆に公益性だけに偏りすぎると社会主義国家みたいになってしまいます。

なので国は個人の権利と公益性のバランスを取らなければなりません。

しかし騒いでる人は個人の権利だけを声だかに叫び、その辺を全く理解しておりません。

それに日本では個人の権利は多分に保障されていますが一部の頭おかしい連中は既に認められている権利をさらに特別なものにしようと必死です。

そんな人たちの声を国が聞いていると国は必ずダメになります。

例えば、勉強するかしないかは個人の自由でしょう、勉強しなくて罰せられる事はありません。しかし国が公に勉強しなくてもいいですよ!個人の自由です!と言って教育をおろそかにすれば確実に国は衰退しますよね!

それと同じで性自認や同性愛もそうです。別に個人がどんな趣味嗜好をしようが罰則もなければ好きにすればいいんです。

しかし国が公にフォローするのは話が別です。

自認がどうであれ本人が望む望まないに関わらず男女の体の違いやそれによる適性は確実に存在します。国などトップがすべきことは個人の願望を叶える事ではなくその適性に応じた活躍の場を与える事です。

例えばですが、力仕事が多い会社において力持ちの男性を積極的に雇うのと男女平等の観点のもと男女にバランスを持たせた採用、性自認の尊重の観点から体は女で心は男の自認をしている人を雇う会社。

どの会社がその仕事において最も良いパフォーマンスを発揮するでしょうか?

個人の権利の保障はもちろん大事ですが企業の利益や適性を無視してまで保護すべきでしょうか?

自分はそうは思いません。それに適正に合わせた仕事に就く事はそんなに不幸な事でしょうか?

自認そのものは自由なので例えば私も自分は熊だ!と自認することもケニアのマサイ族だ!と自認することも自由です。しかし熊だと自認し熊の生活圏に侵入すると確実に命を落としますしマサイ族だ!と自認してマサイ族に入れてもらったとしても私はマサイ族のように視力もなければジャンプ力もないのでマサイの方々の生活についていける事はないでしょう。

しかし、ムツゴロウさんのように動物とのコミュニケーションが取れる特殊スキルを習得して自己責任で他人に迷惑をかけない範囲で猛獣と戯れたり、マサイの文化を個人で勝手に勉強して目をよくする手術を受けトレーニングを積みジャンプ力を鍛え、マサイの人に歓迎されればマサイとして生きていく権利は別に国が規制していないので個人の自由です。

しかしこれを国が後押ししたらどうでしょうか?マサイはマサイと自認してる人を無条件に受け入れるべき!受け入れないのは差別だ!と国が言えばどうなるでしょうか?

マサイの文化は確実に崩壊しますよね?

それと同じ事が性自認問題や男女平等問題に起きていると思います。

男はこうあるべき!女はこうあるべき!と言うと差別だのセクハラだの言いますが個人の思想の自由はともかく生物学的な適性は確実にある訳でそれを無視した生き方を公が推奨する事は確実にマイナスにしかなりません。

ボクシングの井上尚弥選手も軽量級だから化け物のような活躍ができるのです。もし井上選手が自分の辞任は身長180センチのヘビー級だ!と言ってヘビー級の試合に出ていたら確実に潰されていたでしょう。

しかし個人レベルではどの階級で出場しよが自由です。
しかし体格で階級を分けるのは身長差別だ!禁止しろ!という価値観がスタンダードになるとコーチやトレーナーが君は体が小さいからこの階級で出場した方がいい?という事もできなくなります。

もしそうだとしたら井上尚弥のような選手は生まれなかったかもしれません。

チームスポーツでも選手個人がどんなスタイルでプレーしようが自由ですが指揮官はフィジカルの強い選手には力で、体は小さくても器用な選手には小技で戦う事を指示したり適材適所で指揮を取る方が確実に勝率は上がるでしょう。

それと同じで性自認も恋愛対象もそれぞれ個人の好きにすればいいんです。
しかし国や公はそれを後押ししてはいけないというのが僕の結論です。