こんばんは。本日はアメリカで激しく議論が分かれている中絶問題について書いていきたいと思います。

結論から言うと私の意見としては中絶は殺人であり悪であると考えます。

何故なら受精卵の時点で成長が始まって居るので自然で考えれば産まれる命なのでその流れを断つ事は殺人と言えます。

そして、悪である理由はその生命の権利を侵害するからである。

中絶賛成派は〇〇だから殺人ではない!という論法で反論するが、その多くが中絶という行為が認められるべき!という個別的事情や背景をアピールしているだけで中絶という行為そのものが殺人ではない!という事を示せていません。

ある行動に対する善悪の評価は主に分けられます。

1、如何なる事情があっても許されない行為。

2、本来は許されないが止むを得ない場合にのみ特例で許される行為。

3、誰もが気軽に自由に行っても問題無い行為。

1は絶対悪で2は必要悪で3は善と評価できます。

例えば2は殺人を例に挙げてみると。

殺人は本来悪である事は言うまでも無いが死刑や現行犯で暴れて居る犯人を警察官が射殺した場合は2でしょう。

しかし、これらは個別の事情によって殺人という行為が行われた事に対して特例を認めたに過ぎず殺人という行為そのものを肯定する根拠にはなり得ません。

しかし3に関しては今日、何食べるとかどこに行くとか誰もが自由に選択できる権利であり誰がどんな選択をしようが問題はないです。


 

中絶はどうでしょうか?多くの場合1であるか2であるかで議論がされています。

もし中絶が3だとすると、気軽に妊娠に至る行為を行い妊娠したら気軽に堕し、また行為に至っては妊娠して堕ろすのも権利であり自由という事になります。

それにもし、胎児は生命ではなく堕胎は殺人ではないとすると妊婦のお腹を殴り無理矢理流産させても器物損壊あるいは母親に対する暴行罪あるいは傷害罪だけで罪を評価しても良いのだろうか?

そんなはずはないですよね。

本来殺人であり悪である行為が個別的事情で止むを得ず認められるべき!という主張ならまだしも、殺人でも悪でも無い!と言うのはどうなのでしょうか?

その考えは非常に無責任で身勝手な考えでは無いだろうか?

中絶賛成派は自らの権利ばかりに目が行き自分の意思や選択で一つの生命を断ち切るという自覚が無く現実から目を背けてるように思えます。

この手の議論では子供の権利というのが無視されて大人の都合ばかりを前提に議論されているのが許せません。

望まれずに生まれても子供が可哀想!などと言いますが妊娠は勝手に起きるものでは無いので望んでいないなら妊娠に至る行為をすべきでは無いですし性被害の場合など極端な例を出す方も居ますが、その為に緊急避妊薬など対処法を認知したり養子や施設など公的なサポートを充実させるなど取れる対策を取った上でどうしても残ってしまった問題点をピックアップして中絶を検討するならともかく、その最悪の結果に至らないような対策の周知や環境整備の議論はせずに性犯罪→妊娠→中絶→仕方ない!という中絶を前提にしてそれを正当化するために性犯罪という人の同情を買いやすいデリケートなワードを利用してるようにしか思えません。

中絶は本来殺人であり悪である、その上で覚悟を持って行うというならともかく中絶は権利だ!殺人じゃ無い!という最近の命を軽く考える世の中の流れには強く反対したいと思います。