復元された旧国立駅舎

 旧国立駅舎は1926(大正15)年に建設された木造の駅舎で、かつては都内で原宿駅舎に次ぐ古い木造駅舎として知られていました。

 しかしJR中央線の高架化工事が進んだことで、2006(平成18)年に惜しまれつつ解体。国立市はこのとき、解体予定だった駅舎を有形文化財に指定し、駅舎の部材をJR東日本から譲り受けました。

2020年4月に復元された旧国立駅舎(画像:(C)Google)

 その後土地も購入したことで、2020年4月、旧国立駅舎を現駅舎の手前に復元しました。現在は文化財として内部が公開され、展示施設やイベントスペースなどに利用されています。

旧国立駅舎の設計者は誰なのか

 旧国立駅舎は屋根が特徴的で、その美しさに目を奪われます。ところがこの駅舎は誰が設計したのか、明確な文献が残されていない「謎の駅舎」なのです。

 インターネット上で検索すると、河野傳(こうの つとう)という名前が駅舎の設計者として出てきます。ところが、新聞記事などで河野を紹介する際には、

「設計者とされる」

というただし書きがつきます。

『国立市史』には、国立駅第16代駅長だった堀越義克氏の『駅の歴史 国立駅』という資料を引用して、箱根土地(のちの西武グループ中核企業)のフランク・ロイド・ライト式建築のベテランだった河野という人が設計したと書かれています。

 自治体の市史編さんは1次資料の探索に力が注がれますが、設計者を断言できる資料が見つからなかったのです。

現在の国立駅周辺の様子(画像:(C)Google)

 国立市が発行した『平成12年国立駅周辺プラン報告書』でも、河野氏について

「履歴は不明だが、住宅中心とした設計者ではないかといわれている」

と曖昧です。文化財になっているにもかかわらず、設計者が誰なのか、フルネームが知られていないままになっているのです。

 河野傳は、建築家としてフランク・ロイド・ライトに師事して帝国ホテル新館の建築に従事。後に箱根土地に入社し、堤康次郎の下で多くの建築に従事したことはわかっています。

 そのため「河野傳が設計した」ということはわかっているものの、河野傳が設計したという資料が明確に存在していないという不思議な状況になっているのです。