空母を中心とした艦隊と航空隊による電撃的な攻撃、戦史の新しいページを最もよく学んだのは米軍だった。1941年12月、日本中が真珠湾奇襲攻撃の大戦果に酔いしれている頃、米軍では組織と情報伝達のあり方についての深刻な反省と再点検が開始されていた。
 海軍機動部隊の360機を率いて奇襲作戦の陣頭指揮をとった淵田美津雄隊長の自伝によれば、当然第二波、第三波の攻撃で、基地石油貯蔵施設などの撃破、たまたま海上にあった2隻の空母の探索と撃沈をと考えていたのだが、突然の司令部の撤退命令に驚いたとある。そして、日本海軍敗北の主因に司令部が大事なところで決断を逡巡し、もう一歩踏み込む勇気がなかったことを挙げている。
 1942年4月、米空母より発進した16機の航空機による本土初空襲、これは戦意高揚よりも日本海軍挑発の意味があった。
 討ちもらした2隻の空母も含め、もう一度米艦隊に大打撃を与えんと同年6月連合艦隊が最大規模で向かったのがミッドウエー島。航空機による艦船攻撃を大成功させたのが、敵を待ち構えていた米軍で、空母を集中的に狙った。
 連合艦隊は最精鋭空母4隻と多くの飛行機、3千名を越える優秀な搭乗員を失った。ここに機動部隊は壊滅し、海上作戦の主導権を奪われる。
 敗戦に至る、後のすべての戦闘は、いわば局地戦だ。大戦果から大敗北への転落、今川義元を上回るこの油断、この半年の間に何があったのだろうか?
 戦争の是非ではない、同じ戦争をするのなら、不利で苦しい戦闘を強いられるよりも、新戦法とそれを実行する組織をつくりあげた最高レベルの機動部隊、厳しい訓練を耐え抜いた数多くの精鋭パイロット達と艦上作業チーム、彼らに思う存分太平洋を暴れまわってほしかった、と考えるのは私だけだろうか?
 もう一つ、政治戦略の欠如という問題がある。奇襲攻撃で敵の愛国心を燃え上がらせて、有利な局面での講和などできるわけがない。それを考えるのなら、挑発して敵に先に手を出させなければならない。大規模な先制攻撃敢行なら、そこに生じる軍事的空白を最大限利用する戦略を前もって充分練り上げなければならない。何をするために時間かせぎが必要だったのかを、内外に示す必要があった。
 永年インドを植民地とし一方的に搾取したきた大英帝国を、解放を願うインド人と共に叩く。後にインパール作戦として多大の犠牲を出したが、この時期、制海・制空権の下、海から進攻するチャンスはあった。
 同盟国の敗退は敵のあせりを生み、来る太平洋決戦に利したかもしれない。国家戦略の不在、これは今にも通じる課題だ。
 真珠湾奇襲攻撃の米国人犠牲者は、米政府によって手厚く供養されています。日本政府は、ミッドウエー海戦の供養をしているのでしょうか。「繰り返しません。あやまちは」は、日本政府はミッドウエーに海に向かって言わなければならないことです。また敗北の歴史こそ、学ばなければならないのにです。
 3500名とも言われる海戦の犠牲者に謹んで哀悼の誠を捧げます。