皆様こんにちは

愛情いっぱい笑顔いっぱいキャリアコンサルタント

またの名を心理学漫談家キャリアコンサルタント藏之前佑友希です。

 

まだまだ暑い日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか(o^―^o)

 

8月も最早残す所あとわずかですが、8月中に靖国神社や護国神社参拝への僕の思いを綴らせて頂きました。

2000文字以上の長文になりますので、お時間に余裕の御座います方、またご興味持って頂けます方は宜しく

お願い致します。Youtubeでも同じ内容をお話ししておりますので、そちらの方もご覧ください!(チャンネル登録して頂けましたら超嬉しいです)(^_^)v

 

ここ最近の猛暑炎天下真夏の空の下、8月15日の靖国神社参拝者の大勢の行列が夕方になっても絶えず並ぶ様子をニュースで見たのですが、僕個人的には、まだまだ日本人も捨てたもんじゃないとそう感じました。

僕は毎年地元の護国神社ですが、靖国神社参拝について個人的に思うことは、御英霊の皆様へ哀悼の意を込めて参拝する様な機会を例え年に一度でも持たれてもいいのではないかと思うんです!

自分の家族や故郷を護るために攻めてくる敵へ否応なしに本土に来させまいと命をかけて下さった方々へ哀悼の誠を捧げるのは、今この豊かで平和で安全で交通や社会保障のインフラも充実していて選択肢いわゆる(自由)があり、いつでも志を立てて以って夢を追いかけれる土壌がある、そんな申し分のない国を時代を謳歌する我々は当然だと強く思っている。

僕の年代からすると息子の年頃でもおかしくない様な特別攻撃隊の若者達が知覧から征く前にご両親へ宛てた手紙の中に綴られていた言葉を読みながら僕は嗚咽をあげながら恥ずかしげもなく肩をすくめ大泣きした事がある。

それは、間違いなく僕の人生にスイッチが入った幾つかの出来事の一つでもあります。

『私は征きます。どうかお父さんお母さん悲観的にならないで下さい…私の命は未来の日本人へ紡ぎます』


…と家族へ手紙に自分の言葉を綴り、そして出撃し散って行った。

『行ってきます』それは…行って帰ってきます…
しかしそうでは無く『征きます』と言って散って行った。

帰りはない事を意味します。

 

その様な時代を経て・・・

そして…今、現在を生きる僕らはここにいる

僕は賛美や美化で言ってない イデオロギーの話しをしているわけでも無い

その〝気持ち〟の話しをしている

誰しも肉体ある限り生老病死は絶対。
生まれたからには最後の時期を迎える

最後を迎える日に悔いのない最後を迎えるには、今この瞬間を悔いなく生きたいと思いました。

志半ば夢の途中で…

又は、めいいっぱい恋愛したかった人達もいる…

当時は多くの日本人がピュアだった…恋焦がれながらこの人のためなら何一つ迷わない…そんな強い思いで、恋をした・・・そんな相手とやっと結婚し、いよいよ二人の門出という時に時代に翻弄され否応なしに征った人達もいる…

また今の僕と同じ様な、幼い我が子を持つ人達は、例え最後に一回でいいから・・・お願いしますっと・・・どれほど我が子を抱きしたかっただろう…どれほど我が子をぎゅうっと頬ずりをしたかっただろう・・・何回も何回も何十回も何百回も・・・

また、我が子が元気に立派に真っすぐ育つところをどれほど見たかっただろう…

 

特攻隊として零戦で出撃命令を受けて出た方の中で、たまに飛行機に不備があったりとかで一旦戻って、そして体制整えている内に敗戦を迎えて奇跡的に生き残った方もおられるのですが、そんな当時若かった方もお爺さんになり、その方のインタビューを映像で見た事があるのですが、

『ウサギ追いしかの山…小鮒釣りしかの川』
故郷を歌いながら…
裏山で兎を追いかけながら遊んだ幼馴染との思い出や、小鮒を釣りながら楽しく過ごした家族との思い出を頭に巡らせながら零戦を泣きながら歌いながら操縦した事を涙ながらに語っていた元特別攻撃隊の生き残ったお爺さんの話しを番組のインタビューで聴いた事があります。
聴きながら胸が詰まりそうになりました。

愛する妻を家族を恋人を親友を恩師を残しながらも、不条理に時代に翻弄されながらも未来の日本人へ私の命を繋ぎます…と自分の命を使った当時の若者達が沢山いた。どれほどあの巨大なアメリカも震え上がったでしょうか・・・特別攻撃隊だけに限らず、常に日本軍の数倍の物量に兵器に人数で攻めて来るアメリカ軍はペリリュウ島も硫黄島も3日で落とせると豪語したが、実際にはその10倍以上陥落させるのにてこずった・・・命がけの日本軍が確実に負けるのを知りながらも諦めず最後まで戦い少しでもアメリカ軍が本土へ近づくのを遠のけたかった・・・3日と一カ月以上じゃ大違いで、随分多くの人達が田舎へ疎開出来たのではないでしょうか・・・

命をかけて米兵を食い止めてくれた当時の日本兵の皆様のお陰でどれほどの女性や子供が命拾いした事だろうか・・・

 

それを考えると今現在を生かせて頂く我々は、多かれ少なかれ当時を生きた人達の命から命を繋いで頂いてるとも言えるのではないでしょうか。

 

しかし、そんな事言っても本当は、本当は、生きたくて生きたくて堪らなかったのではないでしょうか・・・生きたくて生きたくて堪らなく生きたくても生きれなかった人達の命が繋いでくれた今日今この瞬間を僕達は生きてる・・・いや生かして頂いている…

当時の人達が家族や恋人、親友に宛てた手紙を読みながら、おはよう、おやすみ、頂きます、ご馳走様、行ってきます、ただいま…僕は、他愛もない何気ない会話にも愛しさや尊さを感じ入る様になりました。

平和を教授し、当たり前だと信じているこの『当たり前』が如何にありがたい事かと感じると、今まで見過ごしていた些細な人からの親切にも、今まで以上にありがたさを気付けたり感じれる様になりました。

 

僕がキャリアコンサルタントになったのは遅咲きで40歳回ってからでした・・・いきなり仕事ももらえる訳もなく、それも当然だと思いますが、1年以上キャリアコンサルタントとして仕事はなかったのですが、特別攻撃隊の若者達が家族や恋人、親友などに綴った手紙を思い出し、一期一会、それは出会う人出会う人ともしこれで最期になっても後悔のない様に!そんな在り方で人と接そうと思うようになりました。

一人ひとりへ悔いのない様に接していきました。ただいま~と帰宅し未だ幼い我が子の目を見ながら「今日な~トト(お父さん)な~こんな人と会ってな~こんなこんなんなってん!」堂々と楽し気に自分の一日を話せる一日を過ごそうと思う様になって実際にそうしてやってるうちに、徐々に人がまた人を好い御縁が又良い御縁を紡いで下さるようになりお陰様でキャリアコンサルタントとしてプロのカウンセラーとして活躍出来るように成りました!自分が誠実に動いて動いてすると次第に周りの人達の心も動きはじめ協力して頂けるように成りました!

 

本当に感謝しています。
 

 


…だから僕らへ繋いで頂いた命を感じ、また人へ優しく出来ると自然と人から優しくされる…そんなお互い様の素敵な思いやりの連鎖や循環がたくさん生まれれば素敵やと思います。

 

また、そんな愛に溢れた多くの方々の姿をあの世から見て頂く事が鎮魂へと繋がるのではないでしょうか・・・

 


とは言え・・・みんな其々色々とあると思います・・・辛い事も嬉しい事も喪失感を感じる事も、また愛情いっぱい感じる事も・・・

 



皆様は、今この瞬間をどう生きますか