今年の11月19日は、入院していた。まただ。僕は60を超えている。病気をしたので、だいぶ死ぬ直が短くなったろうが、まだ生きている。

 井亀あおいは、17歳で死んだ。11月19日は、その48年目、49回忌だった。井亀あおいは、隣の学区の2番手的な進学校の生徒で、僕より2つ上である。死んだ後、両親がその日記と創作を発表して有名になった。といっても、もう50年近く前の九州の地方出版からの書籍だったし、もう絶版になって久しい。だから、覚えている人も少ない。でも、僕は時々思い出す。中学生になって書きだした日記は、数年分でしかないにも関わらず、量も質も圧倒させられる。とにかく、膨大な量の本を読み、音楽や美術の作品に触れており、思索の深さにも驚かされる。一種の天才だったのだろうが、地方都市の女子高校生として生活を送っていたからだろうか、その天才を認める人はいなかった。本人も自分を天才とか思ってはいなかったようだ。

 この人の文章を読むと、自分の美意識や価値観と世間との折り合いの悪さだ。彼女は周りより突出している。しかし、地方の進学校ではそれは認められない。

 ある種の生きづらさといっていいのだろうかが、その表現でしっくりするかといえば、よくわからない。でも、そうとして表現できない。

 一切皆苦というが、おそらく、井亀あおいは、そういう状況だったではないか。具体的に恋愛や運動の行き詰まりということでなく、生きることが、どうも苦しい。久坂葉子や高野悦子とは、どうも、そういったところが違う気がする。

 僕は、坊さんになり、60歳を超え、大病し、そろそろ死ぬかもしれない状況になった。

 そういういま、井亀あおいのことを思うと、一切皆苦ということばは、深く迫ってくるのだ。