2年前に吐血して、2ヶ月ほど入院した。死ぬだろうといわれてけど、生き残って、今にいる。その2ヶ月に20キロ痩せた。退院しても、去年と今年、やっぱり入院した。今年は、救急車で運ばれた。そして、あと十日でもう一回入院する。

 運がいいことに、まだ生きているが、もう長生きはできない。前のようには働けない。

 私の寺は、近隣の同じ宗派の寺の中でも、有数の貧乏寺なので、退院した時、どうやって生きていこうか、と真剣に思った。貧乏寺だったので、両親も私も働きながら、寺を支えてきた。ちなみに、宗門の大学は出ていない。二人男の子がいるが、二人とも宗門でない大大学の修士課程まで行って、就職している。坊さんの資格も持っているので、宗門での坊さんの2倍苦労しているが、その甲斐あって、寺には関係せず収入を得ている。

 私は、今は60代半ばで、前の職を辞めて20年近くなる。あとは貯金と年金と寺の収入でなんとかなるだろうと思ったが、そうは問屋が下さなかったのだ。もともと貧乏寺だったのに、コロナで収入は大きく減った。さらに病気で前のようのは働けない。

 貯蓄と年金があればなんとかなるだろうといわれるかもしれないが、うちのような寺は、住職と家族が地腹を切って、寺を経営しているので、貯蓄と年金はすぐになくなってしまう。その上、インフレだ。

 死んでしまったら、心配もなかったかもしれない。とはいうものの死にたくはなかった。で、退院したら、生きていけねばならない。人間、生きていく以上、お金がかかる。寺を維持経営していくにもお金がかかる。これが現実だ。

 でも、宗教施設としての矜持もある。さて、どうするか。退院して少し元気になった時、私の目の目にあった問題がこれだ。