「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 東海林編集長に「50分で漫画を描け」と言われ、描き始める崇です。漫画の内容は兵隊さんをモデルにしたものではなく、ハチキンのぶをモデルにしたものでした。ミス高知になったのぶが垣根を飛び越えて池に落ちるという話です。「ミス(女性)」と「ミス(失敗)」をかけた駄洒落になっています。

 昭和21年(1946)7月、月刊くじらが2円で発売されました。戦前には朝田あんパンが4円で売られていたので、月刊誌はあんパンの半値です。安いですね。月刊くじらは発売から2日で2000部を売り切り、初版は完売しました。朝田家では3部購入しています。

 一方で、釜爺ぃは長年石工をしていたため、粉塵を吸い込み、肺悪くしています。そろそろ、寿命が近いと本人も感じているようです。

 月刊くじらの編集部では、東海林編集長が非常に元気です。彼は結果が出ると熱くなり、騒がしいタイプです。おそらく、自分の手柄だと思っているのでしょう。でも、これはのぶのおかげです。

 女性であるのぶのエネルギーがなければ、東海林編集長の勢いだけでは月刊誌は売れなかったでしょう。職場の男女は、お互いにそうした部分を理解し合う必要があります。ただし、これは男女の肉体的な関係を指しているのではなく、正しい目標を共有した時に生まれるエネルギーの作用を指しています。もしその男女が夫婦であれば、子育てもまた正しい目標として捉えることができます。そういう意味です。

 東海林編集長は崇を社会部から引き抜いてきました。のぶは「たまるかぁー」と驚いていますが、崇には月刊誌が向いています。それに次号は4ページ増えることになり人手がいるのです。

 東海林編集長は特集を組むと意気込んでいます。この男の頭は完全にアドレナリン中毒です。運が良ければ心臓発作で即死、運が悪ければ脳卒中で生かされ、性格が丸くなるタイプですね。

 月刊くじらの編集室では、追加された4ページに何を掲載するか、会議をしています。

 岩清水が、東京で活躍している高知出身の代議士を取材に行きましょう、と提案しました。アイデアはいいのですが、彼は単に東京に行ってみたいだけのようです。しかし、のぶも東海林編集長も東京に行きたい気持ちがあり、どうせ会社の経費だからと、みんなで東京見物に行くことにしました。崇が案内役を務めます。

 会社の経費ではあるのですが、旅費と宿泊費を考えるとギリギリです。なので、広告費の未回収分を取り立てに行くことにしました。そのお役目はのぶと崇です。

 まー、この厳しいご時世に2日で2千部売れるなら、1か月で2万部は見込めるでしょう?新聞社が無料で月刊誌の広告を掲載できるなら、勝機がありそうです。

 のぶと崇は、羽村質店に広告代金を回収しに訪れたが、番頭の鰐口はあれこれと注文を付けてなかなか支払おうとしなかった。さらに、鰐口は崇の漫画までバカにしたため、のぶは激怒し、番頭をバッグで叩いた。その後、番頭がのぶを平手打ちしようとしたところ、崇が間に入り、代わりに叩かれてしまった。

 そこへ、店主の羽村が現れて、「すいません、支払いを本当に忘れちょりました」と謝りながらお金を持ってきた。まあ、質屋は鑑定と信用が命だから、そういう世間に居て、欲得でもめ事を起こしていては商売になりません。羽村はなかなかの店主にゃあ。

 質屋に訪れる客の多くは女性。もし鰐口番頭が、お金を払いたくなくて女性を殴ったなんて噂が立ったら、商売に大きな影響が出るかもしれない。のぶもその覚悟の上だったのだろう。鰐口は地上げ屋に向いているかもしれないね。

 のぶと崇は集金を終えて編集室に戻りました。のぶは少しおてんばをしてしまい、「またやってしもたきぃー、うち…」と反省しつつも、女の可愛さで崇に慰めてもらおうとしています。しかし、シバかれて頬を腫らした崇は、どう慰めればいいのか分からずに固まっています。

 まあ、のぶとしては、崇から「そんな、のぶちゃんが大好きだよ」と言ってほしいわけです。でも、崇としては、のぶのエネルギーでオーラの周りまでガチガチに固められて、「好き、と言いなさいよ」と、なにか脅迫されているようなプレッシャーを感じているのです。だから、たとえその娘が気になっていても、男は「好き」と口が発しないのです。言えないんです。ここが女性にはなかなか理解しづらいところなんです。

 ただ、チャラ男やナンパ師は、すぐに女性の気持ちを察して「大丈夫だよ。俺はそんなお前がいつまでも好きだよ」と慰めるでしょうね。女性はウハウハで嬉しくなります。でも実際のところ、チャラ男やナンパ師にとっては、それが自分の利益になるからそうしているだけなのです。

 その上で、普通の女性はもともと損をしたくない生き物なので、最初のうちは男性が持つ自分の利益を考える気持ちと波長が合うわけです。でも、時間が経つにつれて男性の本性が見えてきたり、子供ができたりすると、二人ともエゴを全開にし、文句を言い合ったり別れたりすることもあります。それでも、純粋なフリをして、遊んだ分だけ「恋はOK」と割り切れるのは、なかなかしたたかなものです。損得が絡み合う愛情とは、そういうものかもしれませんね。のぶと崇の恋の行方、・・どうなるのでしょうか。

 今日は、ハチキンのぶという女が、裏になり表になり、崇を助けているのですが、崇は、それが怖くて?いや、自分の道を踏み外しそうで、のぶが好きなのに「好き」と言えません、の一席です。

 ちなみに崇は、自分に自信がないわけではなく、ただ世間が彼を認めていないだけです。それに加えて、崇は平和主義者なので、そもそも勝とうという氣がないように見えるし、世間と戦おうという氣もないようです。だからこそ、たっすいがー(へなちょこ)と言われ続けてきたのです。

 俯瞰して見ると、崇は一貫して高次元の正しさを、この汚れた三次元世界で、生き方を通し体現しようとしているように思えます。そうなると、生活するだけでも大変なので、崇の中では、のぶと結婚したとしても、絵を描いて生計を立てられるかどうか分からない、という結論に至るのでしょう。それが現実なのだと思います。

 こういうことに関して、高次元のサポート(ハイヤーセルフ)は「恐れるな」と言うかもしれないけど、崇としては恐れているわけじゃない。ただ、これ以上面倒な生き方をしたくないだけかも知れません。三次元の娑婆世界ってただでさえ面倒くさいものだから、高次元のサポートには崇の気持ちの意味が理解できないのかもしれません。

 でもね、崇がのぶと知り合い、ピンチを助けてもらったのは事実です。美術の高校に進学できたのも、戦争から生還したのも、就職できたのも、のぶが関わっていたおかげで幸運を引き寄せられたのです。崇は、この真実を受け入れ、自分の運命自体を好きになることが、今なら、可能だと思います。

 まあね、幸運を運んでくれる女神さまがいない人は、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、自ら幸運のダルマ法則に近づいてみましょう。あははは。幸せで美しく清浄な涅槃がきっと待っています。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 のぶは崇に漫画を描かせたいと考えていた。高知新報の編集室で記事がボツになった際、のぶは崇が挿絵を描けると提案した。鳥井局次長はその案にすぐに賛成した。

 しかし、崇が来たのは、入稿まで残り1時間というギリギリのタイミングだった。

 のぶを連れて行けばよかったのに、担当記者が一人で探しに行ったせいで、余計に時間がかかった。

 崇は提示された記事を読み、その内容を補完する挿絵を40分で仕上げました。午後11時45分、無事に入稿が間に合いました。

 崇がのぶの幼馴染みであると知った東海林編集長は、霧島局長に即戦力として崇を入社させるよう推薦した。記者が図案を描ければ、日々の経費節減につながる。

 と言うことで、1週間後に、崇は高知新聞社会部に採用された。って、社会部?えっ、社会部?あらら、こりゃー、ダメでしょう。これはねー、採用する側に先見の明がない。

 さて、「月刊くじら」創刊号の制作は佳境を迎えています。のぶたちは慌ただしい日々を過ごしており、岩清水は売れ行きまで心配しています。彼は、「くじら」というネーミングでは内容が伝わらないのではないかと気にしているのです。

 「月刊くじら」と名付けたのは、強気なトホホ・東海林編集長です。岩清水の意見などはどこ吹く風です。

 月刊くじらは高知の未来を描く夢のある参考資料雑誌です。だからこそ、若い人たちに自由でユニークな名前を考えさせ、そのエッセンスを取り入れて題名にするのが良いと思います。

 例えば「月刊いごっそうの未来(夢)」、「月刊やるにゃぁ太平洋」とか・・・あははは。「月刊くじら」だと、くじら料理の本かと思ってしまう。まっいいや。

 のぶは記事を書くために、戦災孤児の中でも特に浮浪児となっている少年少女を5人ほど新聞社に集め、座談会を開いた。子供たちの夢は、目の前の食べ物や寝る場所を求めることだけだった。

 その様子を見て、社会部の鳥井局次長は東海林編集長に、浮浪児の現状を取り上げる記事よりも、復興に携わるアメリカ兵幹部に取材し、その方向性や姿勢を社会正義の観点から記事にするべきだと提案した。

 うーん、どうだろうね。アメリカ兵幹部の意向を把握して、それを活かせるのは、やっぱりお金持ちの事業家くらいじゃないかな。雑誌の部数は期待できないかも。それよりも、地べたに根付いた不幸の記事を書いて、そこに夢を散りばめたほうが、部数が伸びるかもしれないね。

 平たく言うと、日本の正義が敗戦したわけだから、それを励ますような記事が必要なわけで、戦争孤児同士の励まし合いを書くしかないかも知れない。

 つまり、日本の正義が敗戦したのは、どこかに不純なものがあったからで、その敗戦や不純を超えるほどの、純粋な何かを記事にするしかないのでしょうね。ただ、のぶの純粋な忠君愛国の正義は、戦時中にうまく利用された。

 ということは、正義が負ける原因の多くは、上層部に汚れや裏切りにあるのかもしれません。その裏切りも、将来の日本のためだと思っていたなら、そこに生き場のない純粋性があるのかも。

 じゃあ、生き場のない純粋性がもたらす現状の不幸を、記者は社会に問いかけるしかないけど、そうなると、記事は掛け声ばかりのガス抜きになってしまう。

 なるほど、記者は、クソじゃなくて、ケツの穴の皮だ。その心は、ガスがたまると弱い者の味方のフリをして、ブーブー言います。東海林編集長みたいになんか臭いわけだ。

 だとしたら、弱い者の不満ブーブーが臭くならないようにしてやればいいのかも。もしそうであるのならば、浮浪児の意見を参考にすると、衣食住と正義があればいいことになる。衣食住は福祉であり、正義とは善を守る事。善とは上記に書いてる空(くう)との共鳴率で決まります。

 現代では、思考波を測定する装置があるようなので、ある程度AIで思考波を解析できるかもしれません。ただ、思考波が空(くう)の波動以上に微細になった場合は、おそらく測定が難しいでしょう。したがって、仮にAIが完全であったとしても、10人に1~3人ぐらいの割合で、真実の思考波を把握することができないと思います。そもそもAIが完全になることはなく、その理由は、データは過去のものであり、予測も過去のデータ分析から導き出されるものだからです。やはり、生身の人間の考察は重要です。

 だから、のぶが雑誌で伝えるべきことは、日本の正義は敗北したけれど、浮浪児たちの中に生き続ける正義があるということだと思う。それは闇市の中で見られる善性だ。この善と正義を作り物にしてしまったら、雑誌の存在価値はなくなってしまう。存在価値のない雑誌は、エンターテイメントを載せるか、未亡人のぶのヌード写真で売るしかないだろうね。例えば、アメリカの雑誌「プレイボーイ」のように。全部が、人間不信のおそ松くん。

 おそ松くんの人間不信が人間信頼に変わるには、アンパンマン的な正義が必要なんだよね。これを戦後の浮浪児に当てはめると、彼らが最も求めていたのは、衣食住と正義だった。つまり、社会の根幹か、根底の精神に善なる福祉が必要と言うことでしょうね。

 ということは、AIで人々の思考波を分析し、新聞記者は福祉的思考波で、記事を書くべきなのかもしれません。現代のように、日本にいる半島系や中国系政治家たちが、日本の福祉を捻じ曲げているのは、福祉政策に正義も善性もない状態です。イケませんね。醜い思考回路を増幅しています。

 いよいよ「月刊くじら」の最終締め切りの日が来ました。

のぶが担当した手芸の記事は、東海林編集長のOKが出た。しかし、岩清水が担当していた内田先生は、短編小説を書かずに逃避行してしまった。これねー、岩清水が小説家に張り付いているだけで、ダメもとのアイデアを出さなかったからだと思う。そういうのも編集者の仕事でしょ?アイデアが無いなら、珍しいものを探して作家に持っていくとか、見せるとかするべきなのよ。要するに、固まったものを動かさなきゃいけないんだよね。編集者は、作家の何が固まっているかを見極めて、そこを動かすような質の高いリハビリを提供するのがいい。それもまた仕事なんだからよぉ。

 このピンチに、東海林編集長は柳井崇の漫画でページを埋める作戦に出た。

 のぶは急いで社会部へ行き、崇を連れてきた。東海林編集長は「50分で漫画を描け」といいますが、月刊誌なんだからもう少し時間があるでしょと、崇は思います。

 今日は、のぶが、無意識のうちに、あんぱんテレパシーで崇の気持ちと脳に刺激を与えたので、崇はすらすら(兵隊さんの?)と漫画を描き始めました、の一席です。

 創造性に関するアイデアが出て来ない時は、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れましょう。そして、瞑想を終え、何かの善なる刺激を受けましょう。その後、再び空氣体瞑想をしてみましょう。空は創造性の元ですが、善い刺激を与えることで創造性が活性化するときもあります。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や支配感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 崇は、父親が新聞記者だった影響もあり、高知新報の入社試験を受けに来ています。ところが、彼は緊張のあまり深呼吸をした拍子に、試験問題を吹き飛ばしてしまう。

 崇の様子があんぱんテレパシーでのぶに伝わり、のぶもそわそわしながら深呼吸をしている。その姿を見た琴子が不思議に思い、「どういて深呼吸してるが?」と尋ねると、のぶは幼馴染みの崇が受験に来たことを白状した。でも、ただの幼馴染みではありません。お互いに「あんぱん馴染み」です。

 筆記試験の後は面接試験です。崇の順番が来ましたが、彼はガチガチに緊張していて、まともに自己紹介もできません。

 面接で崇は、自分の長所を聞かれても答えられません。まず、体力には自信がなく、数学も苦手です。周りからは「たっすいがー(へんちょこ)」と呼ばれ、戦争から生き延びた卑怯者とまで言われています。今では正義が何か分からなくなり、それでも彼は逆転できない正義を探していると言うのです。が、世間から見れば、ただただ無意味です。、崇は自分に正直なだけの、辛い状況です。

 崇は自分を「突き立ての餅のように粘り強い」と表現しますが、この言い方はどこか違和感があります。結局、彼は記事を書くための正確な文章を作るのが苦手だと言っているようなものです。

 さらに、崇は「新聞記事の中で一番興味があるのは漫画欄です。新聞の中で一番笑顔にしてくれて、一時的にでも心を明るくしてくれるのは漫画です」と正直な思いを語ります。

 面接官は「受ける会社を間違えたようだにゃあー」と結論付けました。あははは。

 新聞記者は社会や政治と少しは戦っている。しかし崇は、二度も死にかけ、この世を離れた経験があるため、社会や政治と戦う気はないのです。とはいえ、崇がこの世を超越しているわけでもありません。結局、自分が心地よい方向や興味のある方へ流れていくだけです。まあ、それも結局、この世の話なのですがね。そこが難しいところです。

 面接試験の様子を見ていた琴子はのぶに「のぶちゃんの幼馴染は、9分9厘不合格だわ」と告げた。

 のぶは帰り際の崇を捕まえ、一緒に闇市の屋台へ向かった。

 崇はのぶが記者になっていたことを初めて知り、アメリカの雑誌には希望があると語りながら、日本がアメリカに戦争でも娯楽でも敗北したことを悔しがった。

 のぶは、「うちらは今、新しい月刊誌を作り始めているきぃ。これからの日本の夢を見るしかないがぁ」と応じた。そして、のぶは、崇が漫画を描けるようになることを強く願った。正義のない世の中で、のぶは、崇の白くて幼い真心のような正義が不憫なのかもしれません。それは、愛なのでしょうか?

 のぶが帰宅して、今日の出来事をメイコに話していると、戦前に崇の4コマ漫画が新聞に載ったことを思い出した。そして、のぶは会社へ急ぐ。

 会社の資料室でのぶは、崇の漫画が載っている新聞を探し出した。その新聞を手にした彼女は、局長たちが新入社員の選考をしている場へ行き、崇の才能をアピールしようと試た。

 ちょうどその時、建設会社社長の記事がボツになり、新聞の空きを挿絵で埋めることになった。締め切りまであと2時間。

 いつもの図案家とは連絡が取れず、現場は緊張感に包まれる。のぶが崇の絵の話をすると、担当記者はすぐに履歴書を確認し、崇のもとへ急いだ。

 今日は、のぶのお陰で崇も就職が決まりそうです。崇は、記事が書けなくても、絵の勉強をしているから、新聞会社からすると役に立つ存在かも、の一席です。

 ちなみに、その会社の中に、100人に1人の割合で空(くう)や空性(くうせい)を生きている人がいれば、きっと生命の進化や会社の発展に役立つでしょう。100人に1人では少ないかもしれませんが、10人に1人なら確実かもしれません。ただし、空や空性を魂から生きている人は、その意識が世間の枠を超えているので、変わり者と見なされ、1人でいることが多いかもしれません。それでも、困ったときだけその1人に頼る人もいます。あとは、その頼った人を馬鹿にしています。ひどいもんです。

 それでも、空や空性を知るために、社員の半分以上が空氣体瞑想を行うと、その人たちが空に触れることで、会社内の調和が保たれ、仕事の効率が上がるかもしれません。悪徳な会社は改心しないと苦しむことになりますね。国も同様です。そろそろ人間は現世を超えるべき時期に来ているのかもしれません。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 メイコは、のぶの家に身を寄せながら仕事を探しています。彼女は、お店や会社を訪ね歩き、飛び込みで直談判するしかありません。しかし、世間に、求職者は多く、状況は厳しいのです。

 東海林編集長は、月刊誌の発刊にあわせて、「月刊くじら編集室」の看板を掲げた。

 のぶは戦災孤児たちに取材をし、岩清水(訂正です。以前は若林と書いていましたが、岩清水が正しいです。)は闇市の人々にインタビューをして食料自給の実態を調べている。

 そして、東海林編集長は、なんと、月刊誌に広告を載せてくれるスポンサー探しの営業に出向いたのです。彼は最も辛い仕事を自ら引き受けたのです。意外といい奴です。この男、燃えています。

 そんなこんなで、月刊誌の準備は順調です。吉永先生の手記や沢村先生の短編小説、手芸特集、のぶと若林の世相記事など、多彩な読み物が詰まっています。挿絵やネガの確認、取次店への営業、広告を出してくれるスポンサー探しなど、やることは山積みです。

 ただ、発行部数の不明な雑誌に広告を出してくれる人を見つけるのは、難しいのが現状です。

 でもそういう問題なら、高知新報と連携して、同じ広告を新聞には小さく、月刊誌には大きく掲載できるようにすればいいと思うな。

 苦戦している編集長を助けるために、のぶはスポンサー探しもすることにしました。東海林編集長は、一番難しい仕事を引き受けたけど、手放し手ぶらで、やっぱり結果を出せません。あららら。

 のぶの仕事は、企画、取材、記事執筆、作家への催促、広告取りの営業などです。そもそもどうやったら雑誌が売れるのか、という問題もあります。

 のぶ子は取材の合間に、広告を出してくれるスポンサーを探したが、何処へ行っても断られます。メイコも同じで、何処へ行っても、雇ってもらえません。家に帰った二人は、ため息をついています。それでも明日は来る。のぶは、亡くなった次郎に手を合わせ、頑張るしかありません。

 雨の中、のぶは合羽を着て広告主探しに出かけようとしていました。すると、廊下で琴子が現れ、屋台で知り合った質屋の店主を紹介すると声をかけてきました。

 その質屋の店主は羽村という人物です。彼は、琴子が声をかけただけで、のぶ子の話の内容には耳を傾けずに、3か月分の広告契約を結んだ。

 雨の中、岩清水も雑誌を取り扱ってくれる書店を探しに出かけ、須崎の書店を見つけて帰ってきた。

 こんな雨の時に、濡れないように事務仕事をしているのは、東海林編集長です。彼は、上司に予算を増やしてくれるように掛け合ったが、ダメでした。つまり、やっぱり、そういう奴です。

 東海林編集長が部下に言うセリフは、「そうかぁ、ようやってくれたにゃあー」と、決まっています。まーね、社員を労うだけでも大したもんです。

 とそこへ、のぶも広告の契約を取って、帰ってきました。1ページ全面広告、3か月間分です。しかしまだ、「月刊・くじら」が3か月も続くかどうか、分かりません。

 これから、記事のネタ探しが大変そうです。

 そうなると、例えば、高知市内の復興や質屋、空爆を受けていない地域を、それとなく記事で結びつけることができたら、役に立つ雑誌になるかもしれない。でも、どうだろうね。

 雑誌の価値は、単に知識や楽しみを提供するだけでなく、読者の頭の中に何かしら創造的な副産物を生み出すことだと思う。でも、雑誌記者にはそのような創造性が欠けている場合が多い。だからこそ、時代や場所、技術、人といった要素を点として整理し、その点を読者自身が結び付けて創造性を発揮できるような記事を書いたらいいね。書くべきだと思う。読者それぞれが技術や感覚を持っているから、何の役立つかは読者自身が未知との遭遇を通じて見つけ出す・・ものなんだよね。絵や歌も同じで、そういう形が素晴らしくて高尚だと感じる。そういう場合、雑誌に未亡人のぶのヌードはいらない。

 その夜は自宅で、のぶは広告の契約が取れたことを祝い、メイコは食堂の女給の仕事に就いたことを祝い、二人はラムネで乾杯しました。

 たぶんメイコは、アメリカ兵相手の飲食店業の女給だな。早く稼いで、汚れないうちにさっさと東京へ行くしかないね。

 メイコはまだ、健太郎が好きなようです。健太郎のモデルは赤塚不二夫じゃないのかなぁ?どうだろう?

 さて、「月刊くじら」の編集作業も忙しいのですが、今日は、高知新報社の入社試験日です。東海林編集長とのぶはその手伝いです。

 のぶが試験問題を配っていると、崇が試験を受けに来た。

 あれだな、メイコが自分のワクワクに従って新しいことを始めたから、のぶにも自然とワクワクするような新しい動きが生まれてきたのかもしれないね。同じ家で暮らしている姉妹だから、何かしらお互いに影響を与え合っているんだろうね。こういうのは見えないエネルギー波動です。

 今日は、メイコが女給さんになりました。このご時世だと、たぶん、アメリカ兵相手かもね。三番目のメイコの欠乏感は、未だ解決せず、の一席です。

 欠乏感があるとなかなか幸せを感じられません。欠乏感が物やお金で埋まればいいのですが、多くの場合、無償の愛まで差し出しても、それが誰かに食いつぶされてしまうのが現状でしょう。与えることを基本にしても、それすら取引のようになってしまいます。

 スピリチュアルや宗教の教えでは、無償の愛を食いつぶされた人に対してさえ、感謝を勧めたり、自分を犠牲にしないよう、無理をしないようにと言ったりします。叩かれた上にも叩きます。

 カルマ的に言えば、何かを取ることで時間とともに欠乏する者もいれば、与えることで利用されて欠乏する者もいます。本来、与える時には与え、受け取る時には受け取るという、タイミングとバランスが大切ですが、世間ではそのタイミングとバランスが崩れているのが現状です。正義や愛が敗北するというのは、まさにそのようなことを指しているのでしょう。

 のぶやメイコ、多くの善良な人々は、このタイミングとバランスを崩したエネルギーの中で生きています。そして、人々はそれを狂った世の中だと、一時的には、感じているのです。

 そして、どうせ狂っているのなら「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という話になるのです。そうです、みんなで渡って、ひき逃げされて、地獄に落ちましょう。地獄なんて無いんだから、とある人達は言います。

 いやいやいやいや、地獄の種は欠乏感ですから、この欠乏感を偽物の意識や勘違いの満足感で埋めても、時が経てば繰り返しになります。

 なので、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、空のエネルギーで欠乏感を満たしましょう。好転反応が出るかもしれませんが、この好転反応のことを、「神は耐えられない試練は与えない」と言ってるのだと思います。

 メイコは試練に耐えられるでしょうか?東海林編集長は、無理です。彼は、能書きを垂れても結果の出ないタイプなので、部下に無償の奉仕を求め、自分が仕事をしたかのように思う、勘違い欠乏感男です。

 まっ、こういうのが上にいると困るよね。良くある話です。そのため、年功序列の働き方が非難された時代もありました。まっいいや。書くと切りがない。あははは。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 くら婆さんは、メイコが東京の「NHKのど自慢」に出たがっていることを釜爺ぃに伝えた。

 釜爺ぃは、メイコが農家の手伝いを終えて帰っ来るなり、「おまんは、のど自慢に出たいがーて、何を浮かれちゅうがじゃっ」と怒鳴った。これにはメイコも「うちは、真剣ながーっ」と怒り返した。

 これねー、長子ならおとなしく釜爺ぃの言うことを聞くかもしれないけど、話し合いもせず頭ごなしに否定されたら、否定されることは分かっているので、釜爺の取った行動は三番目のメイコにとって逆効果になるよね。

 三番目にしてみると、家族が、巧妙であるかのような見え見えのエネルギーを使いながら、家族のストレスを三番目に全部押し付けていると思っています。そういうのが現実です。家族はそれを知りません。気づかないフリをします。そして、三番目が何かをすると甘えていると感じます。彼らは自分の厄の浄化の仕方を知らないのですが、こういう状況を、昔から、三男坊の冷や飯食いなどと例えらています。

 つまり、三番目は、精神的にも物質的にも損をしています。しかも、三番目もそれに気づいていません。そういう事態に、家族の愛情がつかの間だけ絡むのです。だから、ややこしい。

 普通の社会においても、だいたいの人間は弱い者に厄(ストレス)を押し付けることが多いい。そういう状況で、三番目は厄(ストレス)を最小化しながら小難に納めています。運が良ければ、自然に解決するときもあります。

 その三番目のエネルギーの状態を考えないで、釜爺ィのように頭っから否定すると、メイコはもう引き下がらないでしょう。すでに何を話しても無駄です。ちなみに四番目は長子と似たような行動をとります。彼は、一人では何もできないので、お金に頼るしかありません。

 さて、新聞社の仮編集室では、夕刊の発行が出来なくなったのぶが、解雇になるかもしれないと心配しています。実は、若松も入社してまだ3か月目の立場なので、少し危うい状況です。ということは、東海林編集長仮も大した経歴ではなさそうです。コイツは上質なものがありそうな雰囲気を醸し出しているだけで、手放し手ぶらで物事を解決しているというよりは、いつも行き当たりばったりで、逃げ場を探しているタイプでしょうね。

 東海林は、編集長じゃなくて、珍しいものを集めるだけの変集長です。その中身はSM好きの変態長です。出版業界には時々こういう輩がいます。

 ゆえに、東海林(変集長)が夕刊を作っても、たぶん、意味不明になり纏まらないと思う。「東京スポーツ新聞」の方がまだましです。

 そんなところに東海林編集長仮が、意気揚々と入室して来た。彼は「これからはワシを編集長と呼べっ。月刊誌を出版するにゃぁ。発刊まで三か月間。」と告げた。進駐軍が許可を促進したようだ。

 ふーん、ということは、国としては、一県一紙の立場を確保しておいて、さらに、この月刊誌が軌道に乗れば、高知新報を潰し雑誌社にする予定かも。雑誌社なら、アメリカの資本を入れ、したたかにアメリカの宣伝が出来る。そういう策略かな?・・だな。

 おいっ、のぶよ、東海林(変集・変態長)が頼りにならないから、これはー、責任重大かもよ。

 そこへ、羽多子から「メイコが家出した」と、のぶへ電話が入った。のぶはメイコが気になって仕事になりません。

 東海林編集長はのぶに「その家出人の取材に行って来い」と命令した。

 のぶが、高知駅を捜索したあと自宅に帰ると、荷物を背負ったメイコが家の前に居た。

 家に上がると、メイコが話し始めた。東京までの旅費を出してくれたのはくら婆さんであること。そして、くら婆さんも若い時に京都に行って、活動写真の銀幕の向こう側の人になりたかったこと。しかし、勇気がなくて列車に飛び乗れなかったこと。今、後悔しているわけではないけれど、少しだけ未消化な気持ちが残っていること、などを人生全般の流れとして語った。

 だからこそ、くら婆さんは、メイコの気持ちを一度は汲んでみたかったのだ。

 そんな話をしているところへ、羽多子が訪れた。彼女も「メイコ、なに考えちゅうがぁ、心配したがでぇーっ」と頭から叱った。

 メイコにしてみれば、この家族はストレスや厄をうまく解消できない人たちなのに、その誰もが、自分(メイコ)をいつまでも幼稚園児扱いしている、そう感じただろうね。実際、メイコはまだお金を稼げる仕事についていないんだよね。

 メイコは、「ごめんなさい。うちは、みんなに守られちゅうだけの味噌っかすやきぃ。もう、御免与町には帰りません」と言った。

 たぶん、メイコは、自分を味噌っかすだとは思っていないと思う。家族がそういう扱いをしているから、あえて、そう言っているだけだろうね。その方が問題が少ないと考えている。

 結局、人類は兄弟とは言うものの、本当の限界を超えれば、それだけで、家族は他人の始まりなんです。好きで結婚した夫婦でも離婚するし、親子でも疎遠になる。

 脳の回路が、アドレナリンとドーパミン系中毒になっていると、限界を超えることが喜びにすらなるのです。空性(くうせい)の限界をアドレナリンとドーパミン系中毒により超えると、人間関係の修復が不可能になります。だから、空氣体瞑想などをして、その回路に気づいておきましょう。気づけば回路の修正や修復が成されるでしょう。

 メイコは、「うち、農家の手伝いをしちゅうとき、思うたがや。草は何もせんでも生えとう、野菜は種を植えれば育つきに。そう思うたがや。うち、日本の正義が負けたきぃ言うて、うちまで負けてしまうがは嫌や。うちが支えとったもんは、正義の敗戦でも、農家さんから貰うわずかな野菜を食べる家族の笑顔でもない。うちはうちや。一辺でいいきぃ、理不尽な世の中で、こころが震えるようなことをしてみたいがよ」と主張した。

 メイコは、貰った旅費を差し出し、羽多子からくら婆さんに返してくれるよう頼んだ。そして、のぶの方を向き、仕事が決まるまで、泊めて欲しいと頭を下げた。メイコは、お金を溜めて東京へ行くつもりです。メイコの居場所は、何処にもないのです。

 羽多子はメイコが本気なので、のぶにメイコを泊めてくれるよう、頼んだ。

 でも、結局メイコは、自分は住むところすら、のぶに頼るしかない者だと考えています。もちろんその権利はありますが、たぶんメイコはそういう生まれ持っての立場自体に納得をしていないでしょう。

 まーね、三番目のメイコは、こういう不備が内在している立場に存在していること自体も、周りにうまく利用されているのです。だから、彼女は納得できないことを受け入れて何とかするか、消えるしかないのです。

 長子は生まれ持っての立場に、だいたい納得します。だから、利用されそうになると注文を付けます。

 いずれにしても、今を踏み外さないでなんとかしなければ、時間は待ってくれません。それだけです。

 羽多子は「いつか、メイコの歌がラジオで聞けるとええね」などと言った。のぶも「そうやね」と言い、期待はしていません。どうでもいいんです。

 今日は、どうやら、メイコものぶも、正義の敗戦を通して、本物の自分になる時が来たようです。どんな自分が顔を出してくるのでしょうか、の一席です。

 本物の自分になるためには、透明な空(くう)を知った方がいいです。空を知るために、空氣体瞑想をして、空に触れましょう。正義の敗戦は敗戦、空は空です。メイコはメイコ。のぶはのぶです。理不尽は理不尽。正義は正義。あるがままです。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。