子どもはただ存在しているだけで尊い | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子どもに点数をつけて、子ども間で比較ができるようにし、優劣で順位をつける。

 

これって、より優秀な子どもを選び出すための効率化なんだよな。

 

 

 

誰が優秀な子どもを選び出すのか?って言えば、国だよね。

 

国のために働ける優秀な人材を育てるために公教育はある。

 

子ども本人の幸福というよりも、国の発展のため。

 

それが公教育の発想です。

 

 

 

国の発展のための優秀な人材を育て、効率的に選び出すために、点数をつけて、優劣で順位をつけてるわけだ。

 

優劣を判断するために、子どもを評価していく。

 

それで成績がつけられる。

 

 

 

「国のため」ってのは、戦争で他国に勝ち、経済的に発展させられること。

 

そのための人材育成です。

 

 

 

国や企業側などの人を雇う側から見れば、成績があって、優劣が順番に並んでいる方が効率的に人を選びやすい。

 

大きい企業にもなれば、何千、何万もの人を1人1人面接するわけにもいかないから、最初に学歴や成績などのデータで人を振るいにかけて効率化を図る必要が出てくる。

 

 

 

なので、

 

「子どもに点数をつけて、子ども間で順位をつける」

 

っていうのは、国や大企業の論理なんだな。

 

 

 

それはそれで理解できる。

 

ただ、ここには問題というか人の認知の脆弱さがあって、親や先生が、

 

「企業に就職できないと、この子の人生はお先真っ暗」

 

って思っちゃうんだよ。

 

 

 

企業に就職することのみが人生の幸福や成功を指し、

 

それ以外は敗北者というか、そんなのこの子には無理だと思ったりする。

 

 

 

つまり、親や先生が、

 

「子どもの未来は、就職一択」

 

って思い込んじゃう。

 

 

 

「子どもの未来は、就職一択」

 

なんだから、

 

「国や企業に雇われることが唯一の正義」

 

になり、そのためには、

 

「学校で優秀な成績を修め、評価されること」

 

を絶対だと思うようになる。

 

 

 

そして、

 

子どもの存在価値 = 子どもの成績や学歴

 

って思うようになってくる。

 

 

 

そうなるともう、

 

「子どもに勉強をさせようとする」

 

し、

 

「子どもを何とかして学校に行かせようとする」

 

んだよね。

 

 

 

子どもの将来に対しても、勉強することや、学校に行くことに関しても、

 

不安、心配、怒り、恐怖、焦り・・・

 

ありとあらゆるネガティブな感情が渦巻くようになる。

 

 

 

ネガティブな感情は子どもとのコミュニケーションに表れるようになり、親子関係に歪みが生じて、子どもは適切な発達がしにくくなっていく。

 

子どもは自尊心を削られ、社会生活を送るのが困難になってくる。

 

対人関係に困難を抱えたり、適切な努力ができなくなったりする。

 

その結果、子どもはずっとゲームやYoutubeばかりになったりする。

 

 

 

僕は、

 

「ゲームやYoutubeをずっと見ること」

 

については1mmもダメだと思ってないけど、その一方で、

 

「人生で楽しいことは、ゲームやYoutubeだけじゃない」

 

「嫌なやつもいるけど、楽しいやつもいっぱいいる」

 

って思ってる。

 

 

 

子どもはもっと幸せに生きられるし、楽しく生きられる。

 

でも、親や先生からの「他者評価」の嵐の中に立たされると、子どもの価値観の優先順位が

 

「親や先生から評価されること」

 

に置き換わる。

 

 

 

「親や先生から高い評価を得られることこそが、自分の価値や存在を証明するものだ」

 

って思うようになる。

 

 

 

成績や授業態度で評価され、

 

家での生活態度で評価され、

 

能力や学力で評価され、

 

何を考えているかで評価される。

 

 

 

子どもが「他者評価」の嵐の中に立たされれば、子どもも他者を評価するようになり、子ども同士でも他者評価が横行するようになる。

 

そうやって、ヒエラルキーができていくんだな。

 

ヒエラルキーが出来あがれば、いじめも多発するようになる。

 

 

 

いじめや階層構造ができていることが問題なんじゃなくて、何とかしないといけないのは、

 

「子どもが他者評価を自己評価だと思い込むこと」

 

だと思うんよ。

 

 

 

 

 

 

 

親や先生、友達からの評価を、自分の価値や存在の証明として利用し始める。

 

それって言い換えれば、子どもが

 

「自分には価値が無い」

 

「自分は存在していてはいけない」

 

「自分は誰も味方がいない」

 

って思っているんだ、ってこと。

 

 

 

「だから、もっとがんばらないといけない」

 

って思うし、

 

「だから、我慢しないといけない」

 

って思うし、

 

「だから、いじめられたり、不当な扱いを受けるのがちょうどいい」

 

って思うし、そんな大変な状況なのに、誰にも助けを求めず、ただただ苦しんでしまう。

 

 

 

幸せを追い求めた生き方ではなく、

 

「ただ生き延びるために生きる」

 

っていう生き方になる。

 

 

 

僕は

 

「子どもはただ生きているだけで素晴らしい」

 

って言うし、それを子どもにも、親にも思っておいてほしいと思ってるんやけど、それは

 

「子どもは最低限、生きてさえいれば、それでいい」

 

ってことを言ってるんじゃないの。

 

 

 

「子どもはただ生きているだけで素晴らしいんだから、それ以上のことは全て素晴らしいことだよ。

 

だから、子どもを認めて、ご機嫌に関わろう」

 

みたいな意味なの。

 

 

 

「子どもは最低限、生きてさえいれば、それでいい」

 

っていうのは、

 

「子どもは最低限、生きてさえいればいいんだから、それ以上のことは何もしなくていい」

 

っていうネグレクトの発想なのよ。

 

 

 

似てるけど、全然違う。

 

親の態度がまるっきり違う。

 

 

 

子どもが

 

「自分には価値が無いから、もっとがんばらないといけない」

 

「自分は誰からも愛されていないんだから、もっとがんばらないと誰からも愛されないままだ」

 

「自分には価値が無いんだから、いじめられるのも仕方が無いから、我慢をしなきゃいけない」

 

って思っちゃうのは、

 

「子どもの自尊心の低さ故」

 

です。

 

 

 

ほんで、子どもの自尊心の低さは、先生や友達からの他者評価も関係してるけど、

 

「親からの評価を受け続けてきた」

 

ってことに端を発するんよ。

 

 

 

親からの愛情に条件がついてて、

 

勉強をしてる⇒OK

勉強をしてない⇒NG

 

家事の手伝いをする⇒親がご機嫌

家事の手伝いをしない⇒親が不機嫌

 

自分で片付けをする⇒親が満足をする

自分で片付けをしない⇒親が不満を抱く

 

早寝早起き生活⇒親が子どもに絡まない

昼夜逆転生活⇒親が子どもを何とかしようと絡む

 

などなど・・・

 

 

 

子どもの態度や、状態、行動によって、親の態度が変わるんよ。

 

親の態度や関わり方から、

 

「何が価値があって、何が価値が無いのか」

 

が分かる。

 

 

 

これを

 

「条件」

 

って言います。

 

 

 

愛されるための条件があるということは、子どもは

 

「自分は基本的には愛されていないんだな」

 

ってことを感じるようになります。

 

 

 

自分は愛される価値などないんだから、自分自身をぞんざいに扱うようになる。

 

そうすると、いじめられたり不当な扱いを受けても、

 

「この扱いが自分にはちょうどいい」

 

って思って我慢をするようになるし、自分が辛い想いをしてまで必死にがんばろうとする。

 

 

 

でも、辛い想いをしてがんばるのは、行動原理が「恐怖」だから、逆引き寄せが起こりやすくなる。

 

辛い状況から抜け出したいのに、抜け出せないどころか、より辛くなっていく。

 

 

 

 

 

子どもの自尊心を低くするには、

 

「子どもを評価すればいい」

 

んよ。

 

 

 

子どもを評価するということは、

 

OKゾーン

 

NGゾーン

 

に分ける境界線がはっきりと設けられる。

 

 

 

それはすなわち、

 

「子どもはただ存在しているだけではダメだ」

 

って言ってるようなものなのね。

 

 

 

なので、子どもの自尊心が低くなり、自己受容ができなくなる。

 

その結果、子どもの行動がおかしくなり、行動がおかしいなら結果もおかしくなるから、子どもがどんどん生きづらくなっていく。

 

 

 

子どもが現代社会を楽しく幸せに生きていくためには、

 

「子どもへの評価をやめること」

 

はすごく大事。

 

 

 

「子どもはただ存在しているだけで尊い」

 

って思うんだから、評価なんていらんのよ。

 

 

 

んで、子どもが

 

「自分は存在しているだけでも尊いんだな」

 

って実感を感じられるようになってくると、そこから初めて「教育」ってものができるようになる。

 

 

 

ここで言う「教育」っていうのは、

 

「国や企業など、他者のための教育」

 

ではなく、

 

「子どもが人生をより楽しく幸せに生きるための教育」

 

です。

 

 

 

子育てでも、教育でも、まず大前提で必要なのは、

 

「子どもはただ存在しているだけで尊い」

 

っていうもの。

 

 

 

この大前提があるからこそ、子どもは自分のために努力をしたり、何かに夢中になったりできる。

 

ほんで、自分の人生をより良くしようとできるわけやな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「子どもはただ存在しているだけで尊いと思えるようになりたい!」

 

って方は、来週17日(水)に親の自己受容勉強会があるから、ぜひ来てみて!

 

◆日時

2024年7月17日(水)10:00~12:00

 

◆テーマ

心を強くする自己受容ベースの生き方に変える

 

◆参加費

3,300 円

 

◆場所

ZOOM

 

◆申し込み

 

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