不登校は親のせい? | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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 この発言、物議をかもしてますね。

 

 

 

「不登校の責任」って言っちゃうと、あたかも

 

「誰かが悪者」

 

であるかのように言っちゃう。

 

 

 

不登校について、誰かが悪いということはなくて、

 

「子どもには、その学校が合わなかった

その結果、子どもが学校に行かない選択をした」

 

っていうこと以上でも以下でもない。

 

 

 

不登校の話の中で、

 

子どもが苦しんだり、

 

親が苦しんだり、

 

先生が苦しんだり、

 

誰かが苦しんだりするのは、

 

「不登校は、親、子ども、先生などの中に誰か悪者がいる」

 

って考えるからだと思うんよね。

 

 

 

言い換えれば、

 

「意図的に、子どもを不登校にさせた張本人がいる」

 

ってこと。

 

 

 

でも、そんなことないやんか。

 

誰かが悪意を持ってやったことじゃない。

 

 

 

子どもは、学校に行ってみた結果、合わなかっただけ。

 

親は、子どもを学校に行かせないようにしたわけじゃない。

 

先生も、同じよね。

 

 

 

不登校は、

 

「子どもがその学校に合わなかっただけ」

「子どもがその学校に行かない選択をしただけ」

 

であって、誰の責任でもないし、誰かが悪いわけでもないと思ってる。

 

 

 

何も問題点なんて無い。

 

 

 

不登校が激増してるのは、問題なんじゃなくて、

 

「今の学校の多くが、今の子どもたちには合ってない」

 

ってことと、

 

「実は、学校は人を選ぶ機関だった」

 

ってことが浮き彫りになってるだけやん、って思ってる。

 

 

 

「義務教育」という考え方があって、子どもはとりあえず、みんな学校に行くことになってる。

 

ちなみに、「義務教育」って、「親が子どもに教育を受けさせる義務を負う」って意味です。

 

 

 

なので、親であれば、誰であってもとりあえずは学校に行かせる。

 

でも、子どもが学校に合わないのであれば、それ以上は無理強いさせられない。

 

子どもの心がぶっ壊れるからね。

 

 

 

今の学校が合っている子どももいる。

 

つまり、それは

 

「今の学校に通うことは、実は人を選ぶ機関だった」

 

ってこと。

 

 

 

誰でも通えるわけじゃない。

 

誰にでも適応するわけじゃない。

 

合う子には合うし、合わない子には合わない。

 

そんだけの話やん、って思ってる。

 

 

 

で、ずっと学校教育に頼ってきてたから、

 

「学校に合わない子どもの行き先」

 

が急ピッチで準備されてる。

 

 

 

今までの時代は、

 

「子どもを学校に合わせる」

 

やったけど、これからは、

 

「学校が子どもに合わせる」

 

「子どもに合う場所を作っていく」

 

ってことになるんじゃないかな。

 

 

 

不登校は、何も親の責任じゃない。

 

子どもの責任でもない。

 

 

 

ただ

 

子どもが、その学校を選ばなかった

 

ってことなんやと思う。