『自律学習』は、目の前の子どもの姿が見えてると、すでに始まっていることに気付ける | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

昨日の記事で書いた「子どもが自分で考える」ってやつは、間違っても、

 

「(親がやってほしいようなことを)子どもが自分で判断して、実行する」

 

ってなことを意味しません。

 

断じて。

 

 

 

あくまでも、僕が言っているのは、

 

「子どもが、何をやりたいのかを自分で考える」

 

「子どもが、何をやりたくないのかを自分で考え、決める」

 

です。

 

 

 

「子どもが、親のやってほしいことの空気を読めるようになる」

 

っていうことではありません。

 

 

 

「子どもが自分から勉強を始める」

 

っていうのも、

 

「子どもが自分から(親がやってほしいような)勉強を始める」

 

っていうことでもないんです。

 

 

 

あくまでも、

 

「子どもが自分から(自分がやりたい)勉強を始める」

 

っていうことを言っています。

 

 

 

要するに、

 

「子どもがやりたいことをやる」

 

って話だから、親が変な干渉さえしなければ、自然とそうなっていきます。

 

 

 

めちゃくちゃ簡単な話なんですけど、子育てを複雑化してる人は少なくないみたいで、

 

「あれをやらせなきゃ!」

 

「これもやらせなきゃ!」

 

「それはやらせないようにしなきゃ!」

 

って親が奮闘しちゃう。

 

 

 

親が奮闘すればするほど、『自律学習』からは遠ざかっていきます。

 

だから、『自律学習』っていうのは、

 

「親が子育てをサボって、自分のやりたいことをやっている」

 

っていうのが、すごく近い。

 

 

 

親は、好きなことしてたらいい。

 

自分がしたいように、生きたいように生きてたらいい。

 

 

 

「ちゃんとした親でいなきゃ」

 

「ちゃんと子どもを育てなきゃ」

 

っていう想いを持っていると『自律学習』を実践するのは、難しいと思う。

 

 

 

っていうか、『自律学習』以前の『遊びの解放』すら難しいと思う。

 

だって、世間的には、

 

「ゲームは悪いもの」

 

って感じだし、ゲームをやらない子でも、

 

「好き放題遊ばせてはいけない」

 

「勉強はきちんとやらせるべき」

 

っていうのがあるとしたら、

 

「子どもが遊びたいように遊ぶ」

 

っていうことを容認するのは難しいよね。

 

 

 

子どもが遊び(ゲーム含む)にハマっているのを親が邪魔しない。

 

子どもが自分で選んで遊んでいるなら、それはもうすでに

 

『自律学習』

 

 

「自分で何をしたいのかを考える」

 

「自分で何をするのか決める」

 

「自分で実行する」

 

っていうことをやっているわけです。

 

 

 

この『自律学習』には、遊びだって入ります。

 

学校の勉強をさせたいわけではなくて、

 

「この世界は、何をしたら、どうなるのか」

 

っていうことを学びたいんです。

 

 

 

子どもがゲームをやり倒していた。

 

それで、子どもにとって困ったことが起こったのなら、子どもは自分で何とかしようと考える。

 

それで、子どもにとって何も困ったことが起こっていないのなら、子どもはそのまま安心してやり続ける。

 

 

 

 

 

で、ゲームって、子どもを永久にハマらせておくことはできません。

 

早く勉強をしてほしい親からしたら、子どもがゲームにハマっている間は、永遠のように感じるかもしれません。

 

 

 

でも、子どもはゲームをやっていたら、2つの分岐点に立ちます。

 

ゲームに飽きてやめる。

 

か、

 

ゲームに飽きずにやり続けるか。

 

 

 

前者は、大勢の子どもたちがたどる道です。

 

後者は、プロの道に行けるほどの素質を持った子どもたちのたどる道です。

 

 

 

僕は、前者でした。

 

いや、やめてないけれど、今は子ども時代ほどハマってはいません。

 

 

 

僕の妹は、後者でした。

 

ゲーム作ってます。

 

 

 

僕らが子どもを信じるのは、

 

「子どもは、子どもなりにちゃんと考えている」

 

っていうこと。

 

 

 

子どもはその時点に応じた生きる力を携えています。

 

その力以上のことはやろうとしないし、その力でできる範囲のことはやります。

 

 

 

この時に、よくあるのが、

 

「親が望んだ通りのことを考えたり、行動したりしていないと、『考えている』『行動している』にカウントしない」

 

っていうことをしちゃうのね。

 

親が。

 

 

 

子どもがゲームをしている。

 

子どもがスマホをしている。

 

子どもが部屋に引きこもっている。

 

子どもが学校に行く。

 

子どもが学校に行かない。

 

 

 

子どもが生きている以上、何かしらのことは考えているし、何かしらのことはやっています。

 

でも、

 

「親が望んだ通りのことを考えたり、行動したりしていないと、『考えている』『行動している』にカウントしない」

 

っていう親からしたら、

 

「うちの子は、無気力で、何もしないんです」

 

ってなる。

 

 

 

子どもは自分で考えを持っているし、何かしているのに、

 

「何も考えていないし、何もしていないんです」

 

になる。

 

 

 

これが

 

「親が、理想の子ども像を見ることで、実在の子どもの姿を見ない」

 

っていう現象です。

 

 

 

目の前に子どもがいて、何かしているんですけど、その親にとっては、

 

「何もしていない」

 

っていうように見えているんです。

 

 

 

その親には、

 

「理想の子ども像」

 

がいるし、

 

「理想の子ども像が考えていること」

 

「理想の子ども像がやっていること」

 

をやっていない限り、

 

「考えている」

 

「行動している」

 

にカウントされない。

 

 

 

子どもは生きているんだから、必ず何か考えているし、何かしているんです。

 

僕らが見たいのは、そこです。

 

理想の子ども像なんて、どうでもいい。

 

 

 

子どもからしたら、自分の姿を見てくれない親が、何を言ったって、聞く耳なんて持ちません。

 

例えば、自分が親の立場だったら、子どもから、

 

「同じクラスの松本くんのお母さんは、とても優秀で、素晴らしいんだよ!

 

松本くんも本当に幸せそうで!

 

だから、松本くんのお母さんみたいに関わってよ!」

 

って言われたら、

 

「そうなんだ!分かった!

 

じゃあ、今日から松本くんのお母さんみたいに関わるね!」

 

・・・とはならないよね。

 

 

 

「そんなこと言うなら、松本さんちの子どもになり!」

 

ってなるよね(笑)

 

 

 

理想の誰かを基準にして、自分と比較されると、ムカつくよね。

 

単純に。

 

 

 

「こんなに、がんばって子育てしているのに!」

 

とかってなるよね。

 

 

 

子どもに対しても同じなんです。

 

ちゃんと子ども自身の姿を見て、理想像ではなく、実像の子どもの姿を見てから、子どもにメッセージを伝える。

 

それで初めて、子どもに親の気持ちや考えが伝わります。

 

 

 

『遊びの解放』

 

も同じ。

 

 

 

なんか理想的な子ども像がいて、遊び倒してしまうことで、その理想像から離れていってしまう。

 

理想像から離れていくことで、

 

「この子は、ちゃんとした大人になれるのかしら・・・」

 

って不安になってくる。

 

 

 

親の方に、

 

「こう育ってほしい」

 

「こうなってほしい」

 

っていう明確なイメージがあればあるほど、

 

『遊びの解放』

 

『自律学習』

 

は難しくなってくる。

 

 

 

もしも、子どもに、

 

「自分の人生を生きてほしい」

 

って思う場合、さっさと理想像は捨てて、目の前にいる子どもの姿を見てあげましょ。

 

 

 

それで、目の前にいる子どもとコミュニケーションを取り始めてみましょ。

 

そしたら、『自律学習』なんて、すでに始まっていることに気付くから。

 

 

 

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