家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

「子どもは学校に行くべきだ」

 

「学校に行くのが当たり前」

 

って思ってませんか?

 

 

 

こういう考え方の根底には、

 

「子どもには教育が必要だ」

 

っていう考え方から来ていると思うんです。

 

 

 

もしくは、義務教育の意味を取り違えて、

 

「子どもは学校教育を受けるべきだ」

 

っていう義務意識を子どもに向けちゃってるパターン。

 

 

 

義務教育の”義務”ってのは、

 

「親が子どもに教育を受けさせる義務」

 

ですからね。

 

 

 

子どもは、

 

「教育を受ける”権利”」

 

だから、別に子どもには教育を受ける義務なんてござーません。

 

 

 

じゃあ、その権利を放棄したら、、、

 

すなわち、

 

「僕は(私は)、別に教育は受ける必要無い」

 

って言ったら、親の義務はどうなるか?っていうと、

 

「義務も無くなる」

 

はずですよね。

 

 

 

子どもは、

 

「教育を受ける”権利”」

 

ですから、権利を主張した時に初めて、親の義務が効力を発揮するはずです。

 

 

 

例えば、コンビニでおにぎりを買ったとします。

 

代金の支払いを済ませたら、おにぎりは自分のものになるはずですよね。

 

自分のものになったおにぎりをどうしようと、自分の自由なはずです。

 

食べてもいいし、捨ててもいいし、別に食べなくてもいい。

 

 

 

おにぎりを捨てたり、食べなかったりしたからといって、コンビニから、

 

「おにぎりを買ったんだから、食べろよ!!!!」

 

みたいには言われないはずです(笑)

 

 

 

それと同じ理屈で、子どもが持ってる権利を使わなかったら、親には

 

「教育を受けさせる義務」

 

があるとしても、

 

「子どもが持ってる権利を行使させる義務」

 

までは無いはず。

 

 

 

 

 

でね。

 

 

 

そもそも、

 

「子どもは、教育を受ける必要があるんか?」

 

っていうことを考えていきたい。

 

 

 

結論から言えば、僕は、

 

「必ずしも、子どもは教育を受ける必要がある、とは言えない」

 

って思うんですよ。

 

 

 

元々、教育っていうのは、明治以降に、戦争に駆り出される兵士の育成に行われていたはずなんですよ。

 

例えば、

 

国語は、兵器のトリセツを読めるようにするため。

 

体育は、戦闘するための体力作り。

 

数学は、兵器の使う技術に繋がっていました。

 

 

 

学校で、

 

「前ならえ」

 

「チャイムで行動」

 

「制服」

 

などがあるのも、まさに軍隊のソレだよね。

 

 

 

さらに、興味深いのが、

 

「修身」

 

っていう科目があったらしく、

 

「親孝行」

 

「天皇への忠義」

 

「国への滅私奉公」

 

なんかも叩き込まれていたらしい。

 

 

 

今は「修身」は無いけど、

 

「先生には逆らってはいけない」

 

みたいな風潮はあるよね。

 

 

 

こんな感じで、元々は、

 

「戦争に赴く兵士の育成機関」

 

だったわけさ。

 

 

 

その後、経済発展と共に意味合いが変わり、工場労働者育成のために、

 

「みんなで同じことをできる人材」

 

「突出した能力よりも、まんべんなく平均的にこなせる人材」

 

「上司(先生)の言うことを素直に聞ける人材」

 

の育成機関となっています。

 

 

 

なので、学校の教育を受けると、基本的には、子どもは

 

勉強嫌いにさせて、

 

思考を停止させて、

 

自己肯定感を低下させられる、

 

っていう結果になります。

 

 

 

勉強が好きだと、自分で色々と学んで、独自のやり方でやろうとしちゃうでしょう?

 

思考力なんてつけさせちゃうと、自分の意見を持っちゃうでしょう?

 

自己肯定感が高かったら、先生の言うことを聞かなくなるんですよ。

 

自分で考えて、自分で決めて、自分で行動できちゃうからね!

 

 

 

学校は、建前上は、

 

「子ども個人の幸福のため」

 

みたいに言うけど、実態はまだまだ「集団行動」が前提にあるし、勉強は義務的だし、先生の権力は以前として強い。

 

 

 

なので、軍隊教育や、工場労働者の育成のために、没個性的で平均的な人材を育てるための機関になってるのが実態です。

 

実際、勉強嫌いの子どもたちの多さにめちゃくちゃびっくりしてるもん(笑)

 

 

 

そんな教育を受ける必要はあるのか?っていうと、僕は

 

「必ずしも無い」

 

って思うんだよね~。

 

 

 

子どもが受けたいなら受けたらいいけどね(笑)

 

 

 

 

 

ほんで、さらにもう1つ。

 

心理学の観点から考えても、

 

「学校教育は必ずしも受ける必要が無い」

 

って思ってる。

 

 

 

「教育を受けるべき」

 

っていう発想は、言い換えれば、

 

「子どもは教育を受けないと、ろくな人間になれない」

 

ってことを言ってるわけだよね。

 

 

 

つまり、

 

「自分1人では、大した人間になれない」

 

ってことですよ。

 

 

 

自分が、

 

「お前は大した人間になれない」

(=あなたは教育を受けるべき)

 

って言われたら、どう?

 

 

 

なんとなく、自信が失われたり、

 

自分の意見を持てなくなったり、

 

誰かに正解を言ってもらいたくならない?笑

 

 

 

「子どもは、学校教育は受けるべし」

 

って思うのは、子どもに対して、

 

「子どもは弱い」

 

「子どもは未熟だ」

 

「子どもは雑魚」

 

って言ってるようなもんなのよ。

 

 

 

さっきも書いたけど、教育は「受ける権利」を持ってるんだから、

 

「受けたきゃ受ける」

 

でいいんですよ。

 

 

 

大前提として「受けるべきだ」って思ってる人が子どもに関わると、子どもは弱体化していきます。

 

「受けたきゃ受ければいいんじゃね?」

 

って思ってる人が子どもに関わっても、別に弱体化はしません。

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、子どもが教育を受けないとどうなるのか?

 

やりたいことやって、自分の道を究めていくよね(笑)

 

 

 

最初から結果を求めちゃうと、大したことはできないよ。

 

それは僕ら大人だって、例えば、

 

「絵を描き始めて2ヶ月です!」

 

みたいな人の大半は、大した絵が描けないし、それで仕事なんて請け負えない。

 

 

 

でも、

 

「絵を描き始めて10年です!」

 

ってなったら、話は別じゃない?

 

10年も書き続けたら、相当なもんよ。

 

 

 

今の時代、自分が描いた絵なんて、いくらでもオンラインで公開できる。

 

それで気に入った人から仕事の依頼を請け負えたりするんですよ。

 

 

 

僕は、アニメが好きなんだけど、小説家(ライトノベル作家)はめちゃくちゃ増えたんじゃないかと思う。

 

オンライン上に自分の小説を好きに公開できて、それを読んだ出版社の人からお声がかかり、書籍化されたり、アニメ化されたりしてる。

 

毎期毎期、その数たるや、すごいよ、ほんと。

 

僕が子どもの頃に比べたら、圧倒的に才能を開花させやすい時代になってると思うわ。

 

 

 

しかも、学校だけじゃなく、先生が山ほどいる時代になりました。

 

それこそ「絵の勉強をしたい」って思ったら、絵の教室や絵の学校だけじゃなく、絵の描き方を教えてくれる先生も山ほどいます。

 

Youtube上にも動画がいっぱいあるし、そこから個人レッスンをしている人もいます。

 

 

 

ある野球選手が言ってたんだけど、

 

「今の子どもたちが羨ましい。

 

僕が子どもの頃は、プロの投球フォームを見ようと思ったら、野球の試合を見に行って、双眼鏡でなんとか見ていました。

 

でも、今の子どもたちは、プロの投球フォームは動画で詳細なところまで、何度も何度も見れるわけですから」

 

って。

 

 

 

個人的には、

 

「スマホの制限」

 

なんて、

 

「子どもの未来を”閉ざす”教育」

 

に他ならないと思ってるわ(笑)

 

未来へ進む子どもに足枷をつけて、減速させる教育ですよ。

 

 

 

学校には行きたいなら行ったらいい。

 

行きたくないなら、スマホで動画見まくって、おもしろいネタを探したり、自分のやりたいことの探求に繋げてみてほしい。

 

欲しい情報があれば、いくらでも手に入る時代ですよ。

 

 

 

本来、プロの投球フォームなんて、お金払って見せてもらうようなもんじゃない?

 

プロに教えてもらう、ってそういうことでしょう?

 

でも、そんな貴重な教えを無料で、何度も見れるのが今の時代ですよ。

 

 

 

それも立派な「勉強」ですよね!

 

やりたいことを見つけることもできるし、やりたいことをとことん突き詰められる現代です。

 

 

 

 

 

最近だと、生成AIが当たり前になりつつあります。

 

「AIを使うと、物事を考えなくなる」

 

なんて言ってるのは、あんまりAIを使ってない人やと思うわ(笑)

 

 

 

子どもに思う存分使わせてみてください。

 

むしろ、知識を付けて、よりたくさんのことを考えるようになりますよ。

 

 

 

そして、今までよりももっとやりたいことに没頭して、突き詰めることができる。

 

そんな状態になったら、もう学校になんて言ってる場合じゃないかもしれないね(笑)

 

 

 

例えば、僕が子どもの頃、30年ほど前は、ゲームを作ろうと思ったら、ゲーム会社に入るのが一般的だったと思います。

 

そのためには、学歴もある程度必要だったと思う。

 

 

 

でも、今は、

 

「ゲーム作りたい!」

 

って思ったら、

 

本を読む

 

動画を見る

 

オンライン講座を探す

 

で、いくらでも知識をつけられるし、ある程度知識がついたら、すぐにでもゲーム作りを始められる。

 

 

 

最新の環境がどうなってるんか分からへんけど、10年前であれば、

 

Javaを使いたい ⇒ Eclipse

 

ゲーム作りたい ⇒ Unity

 

C言語やりたい ⇒ 別にツールなくてもコマンドプロンプトでいける

 

みたいに、ほんとにすぐにゲーム作りやプログラミングできちゃう。

 

 

 

ほんで、作ったゲームをすぐにオンラインで公開できる。

 

別に販売目的とかじゃなければ、Appleとか通さなくても全然いい。

 

 

 

「ちゃんと勉強してから、やりたいことやる」

 

なんて時代遅れの考え方で、

 

「やりたいなら、今すぐにでもできる」

 

ってのが今の時代なのですよ。

 

 

 

「Youtuberになりたい!」

 

って思ったら、スマホで動画撮って、スマホで動画編集して、そのままYoutubeにアップロードすればいい。

 

動画の尺にもよるし、クオリティにもよるけど、慣れてきたら10分くらいでできちゃう。

 

 

 

そうやって考えていくと、

 

「ほんまに子どもに教育が必要なんか??」

 

って思えてくるわけですよ(笑)

 

 

 

学校のことを否定するつもりは無いけど、

 

「学校に行くべき」

 

みたいに義務的に考えるのは、もはやナンセンスだと思うわ。

 

 

 

学校は

 

「行きたかったら行ったらいいところ」

 

であり、教育も、

 

「受けたきゃ受ければいい」

 

っていうぐらいのものになってると思う。

 

 

 

むしろ、学校教育を受けると、かなり高い確率で、

 

・勉強が嫌いになる

 

・自己肯定感が下がる

 

・思考が停止するようになる

 

っていうデメリットを考えると、

 

「よっぽどの理由が無い限りは、無理して行かなくてもいい」

 

って思うなぁ。

 

 

 

 

 

ここまで書いた話は、天使の客観的な意見

 

じゃなかった、あくまで個人的な意見です(笑)

 

 

 

なので、これが正解だと言うつもりはないし、誰かにこの考えを押しつけるつもりはありません。

 

「僕はこう思っているよ」

 

ってだけの話ね!

 

 

 

でも、誰かの参考になったり、勇気づけになったら嬉しい(笑)

 

 

 

 

 

 

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