子どもはみんな天才だ!佐伯和也 公式ブログ

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こんにちは!

 

佐伯です。

 

 

 

2018年にWHO(世界保健機関)のICD-11(国際疾病分類)に「ゲーム依存」が病気として認定されるようになりましたね。

 

今日はちょっとその話です。

 

 

 

僕が目指していることは、

 

「ゲームをしていると堂々と言える社会」

 

ですかね。

 

 

 

ゲームをしているとどうしても、周りやメディアから、よろしくないイメージを持たれがちです。

 

ゲームは悪いものだという認識を持った人は、特に子育て・教育界隈には少なくないでしょう。

 

 

 

僕は、ゲームを肯定も否定もしていなくて、

 

「ゲームは道具にすぎないよ」

 

「もし、ゲームを度を過ぎてやるようなら、それはゲームに原因があるんじゃないよ」

 

「ゲームを悪者にしても、何も解決しないよ」

 

っていうようなことをずっと言い続けてきました。

 

 

 

家庭でも、学校でも、何とかしてゲームを排除しようとする傾向にあるみたいですけど、実際にゲームを制限してみたり、取り上げたりして、子どもがゲームをやらなくなるケースは、

 

「そもそも、そんなにゲームにハマっていなかった」

 

っていう子どもくらいじゃなかろうか、って思う。

 

 

 

ゲームを楽しんでいる子は、それこそかなり深くハマっていると思う。

 

僕も含めてね。

 

 

 

子どもがゲームをしているんだ、と言うと、

 

「時間の無駄だ」

 

「ゲームしている暇があったら、勉強しなさい」

 

「いい加減にゲームをやめなさい」

 

って言われる機会が多いと思う。

 

 

 

そうすると、子どもはゲームをやるたびに

 

『罪悪感』

 

に苛まれるようになる。

 

 

 

ゲームは、ゲームもやるし、外でも遊ぶし、勉強もするし、なんか他のこともするし、人生を豊かにする1つの選択肢としてなら全然いいものだと思っています。

 

去年、東京ゲームショウに行って「eスポーツ」の試合を見たり、僕自身のゲーム経験から言っても、ゲームには、

 

「人と人を繋ぐ機能」

 

があります。

 

 

 

スマブラで、多人数で対戦したり。

 

オンラインゲームで、仲間と一緒にミッションをクリアしたり。

 

マイクラで協力プレイしたり。

 

RPGで、攻略情報や、進捗なんかを報告し合ったり。

 

モンストで家に帰ってからも、友達同士で遊んだり、学校で話をしたり。

 

 

 

一見1人用のゲームに見えるものであっても、同じゲームをやっている人や、話せる人がいると、そこに繋がりが生まれる。

 

対戦ゲームや、協力プレイのできるゲームなら、なおさら人と繋がりながらゲームで遊べる。

 

また、eスポーツでは、野球やサッカーなどと同様に、その場にいる人たち、選手、みんなが一体になれる熱狂的な場が形成される。

 

 

 

だから、ゲームは普通にやっていると、どんどん人と繋がっていく。

 

僕も、こうやってゲームの話をしていると、主に親たちが、ゲームの話を聞こうとしてくれる。

 

ちょっと違った形かもしれないけれど、こういう形でも「ゲーム」というキーワードを通して、人と繋がっている。

 

 

 

ただ、ここに『罪悪感』があると、「ゲーム」という言葉や、「ゲームをしていること」を公にできなくなってくる。

 

人に言えなくなるのだ。

 

 

 

しかも、ゲームをしていることが親にバレると、怒られたり、取り上げられたりして、ますます『罪悪感』が強固になる。

 

『罪悪感』は、子どもの心にガッチガチの鋼の鎧を作り、本当の自分を隠し、偽り、対人関係が上手くいきにくくなっていく。

 

 

 

ゲームをオープンにすれば、勝手に人と繋がっていけるのに、ゲームに対して『罪悪感』を持っていると、その機能を生かせない。

 

その機能を生かせないということは、ゲームは好きでやっているのに、孤立していく、っていうこと。

 

 

 

孤立していき、抑圧した気持ちを抱えるようになり、でも、ゲームは好きだからやり続けて、でも、人と繋がれずに、孤独感を感じ続けていく・・・

 

その間も、常に『罪悪感』で自分を責め続ける。

 

「ゲームをしているから、だ」

 

って。

 

 

 

そうやって、俗にいう「ゲーム依存症」っていう状態に陥っていく。

 

ゲームをやり続けているけれども、人と繋がらず、繋がれず、自分の精神を病み、時には、課金をしすぎて家計を圧迫したり、ゲームを止めに来ようとした人を傷つけたりするようになったり。

 

でも、それは、ゲームがそうせているのではなくて、自分の精神を保つためにゲームが必要なんだ、っていうこと。

 

 

 

つまり、ゲーム無しで精神を保てないほど、自分を見失い、追い詰められ、生きづらさを感じている、っていうこと。

 

その始まりは、

 

「ゲーム楽しい!」

 

よりも、

 

「とても悪いものであるゲームをしてしまっている・・・」

 

っていう『罪悪感』からだと考えています。

 

 

 

「こんなゲームをしているよ」

 

っていうと、そこに共感できたり、話ができたり、一緒に遊べたりするだけで、人と繋がり合えるわけですから、

 

「こんなゲームをしているよ」

 

が言えなくなっちゃうんだよね。

 

罪悪感があると。

 

 

 

だから、子どもをゲームの世界に閉じ込めたかったら、親や先生が

 

「ゲームは悪いものだ」

 

っていう認識を持ち、その認識を持って、子どものゲームを制限したり、禁止したりすると、少し時間をかければ、子どもをゲームの世界だけに閉じ込めることができるようになります。

 

 

 

視野を狭くし、1つの世界に閉じ込める力があるのが『罪悪感』っていう感情だと思っています。

 

罪悪感を持つと、それは罪の意識を感じている、っていうこと。

 

罪の意識を感じたら、それを許してほしいから、許してもらうために、罰してほしいという気持ちに変化する。

 

 

 

「ゲームは悪いものだ」

 

 

「ゲームをやっている自分は悪い人間だ」

 

 

「でも、許してほしい」

 

 

「許してもらうためには、自分は罰せられなければならない」

 

 

「罰してもらうためには、もっとゲームをしなければならない」

 

 

 

こういうループに入れば、ゲーム依存の完成かな、と思います。

 

だから、ゲームをやりながらも孤独を感じながら、さらに、社会生活や家庭が破綻していくような遊び方をしている場合、そこには、

 

『罪悪感』

 

があるのではないかな、っていう仮説です。

 

 

 

もっと言えば、ゲーム依存の正体って、

 

「ゲームをやることへの罪悪感に対する依存」

 

なのかな、って思います。

 

 

 

罪悪感って、

 

「自分を罰しないといけない!」

 

っていう義務感を伴う気持ちなので、何かしら自分を罰するための行動を選択しがちになります。

 

 

 

だから、

 

「罰してもらうために、度を過ぎてゲームにハマり込む」

 

みたいなことが起こることがあります。

 

 

 

 

 

 

じゃあ、子どもに孤独にゲームをするだけの辛い生き方を選択をさせないためには、すなわち、ゲームを1つの豊かさ、遊びの選択肢として、選択できるようにするには

 

『罪悪感』

 

がポイントになるわけです。

 

 

 

いかに、ゲームに罪悪感を抱かせないか。

 

つまり、いかに、親がゲームを制限したり、悪く言ったりしないか、

 

「ゲームは悪いものだ」

 

っていう思い込みを解除するかどうかがポイントになってくるわけです。

 

 

 

だから、『遊びの解放』ができていると、「ゲーム依存症」にはなりにくくなります。

 

ゲームもするし、他の遊びもしたりします。

 

他の遊びの選択肢が無かったら、子どもが退屈を訴えるようになります。

 

その時は、親子で一緒に楽しいことを考えてあげればいい。

 

もしくは、ほっとく。

 

 

 

罪悪感は、親、先生、友達、テレビなど、色んなところから植え付けられますが、一番身近な存在でもある親が植え付けやすいです。

 

ゲームを悪いものだと考え、ゲームに不安を感じ、ゲームを何とか排除しようとすると、子どもの健全な精神まで一緒に排除しちゃうことになるわけです。

 

 

 

オススメなのは、親も子どもと一緒にゲームで遊んでみる。

 

そしたら、子どもがいかにすごいことやっているかが分かるし、何よりも親子の間で交流が生まれます。

 

一緒にやるのを断られることもあるけれども、子どもがやっているゲームに少し関心を向けてみるのはオススメです。

 

 

 

もちろん、もうすでにほったらかせているなら、子どもがやっているゲームについて、とやかく言わなくても平気でいられるんなら、別に無理してやる必要はないんだけどね。

 

「ゲームは悪いものだ」

 

って思っていると、親子の間に断絶が生まれやすいので、そこを埋める意味でも、親の方から歩み寄ってみるのはいいんでないかなー、って思います。

 

 

 

 

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