昨日北朝鮮の金総書記が死去し、世人の目はそこに注がれている。

私自身も昨日のブログに書いたし、ランキングに参加しているブログも同様。


で、そこからどのように関心・思考が移っていくかということに、私たち日本人のメンタリティが観察されていないかなと思ったりする。だれに? CIAとかエシュロンとかに、である。


どうせここなど気にも留めまいから好きに書くことにする。


金正日、北朝鮮とは何であったか。


考えたくもない、という感情は大いにわかる。昨日の街頭インタビューやいくつかの政治経済ブログで見られたが「金正日が死んでも北朝鮮は変わらない」という発言が見られた。「ふりまわされたくない」という意識の表れとも取れる。


正直に喜んでいる人々もいた。我が家の正直者もそうであるが、「よかったね。あんな悪党が死んで」とのたまい、私は苦笑した。


拉致被害者家族会の人びとにもその心情が透けて見える。まず「反金正日の造反によって、拉致は金正日個人のやった犯罪行為だから拉致した人々は返す。その代り援助をくれという好展開が期待できないでもない」という実にまともな楽観論がまず聞かれた。そのあと自らを戒めるように悲観的見通しもつけたすのだが(私のいる地方局ではキャスターがそれを言うことを促した(・_・;))。


金正日に功績があったとすれば、どんな弱小国でも核を持てばアメリカは柔軟化するという事実を世界に知らしめたことだろう(むろん「功績」とは皮肉な意味である)。


一国覇権主義は20年ほど前にアーミテージやナイらが唱えたらしいが、ベルリンの壁崩壊、ソ連邦崩壊に勝利を感じて酔いしれた単純なアメリカ人らしい愚説であることは明白となった。否応なく「多極化」が進みつつあるのが現実。


アメリカが経済的に疲弊し、世界における存在感を相対的に低めつつある今、同盟国である日本が「アメリカよ、防衛費の負担を、日本が武装化することで軽減しよう」と呼びかけることは悪いこととは思われない。「間違っても支那やロシアと組むことはありえないから、核シェアあるいは日本が核武装することを認めてほしい」と腹を割った話し合いができないものだろうか。


それがダメなら、沖縄の基地機能を自衛隊に移譲する方途はないか。


放っておけばものすごく強くなってしまう危険を日本に感じたからといっても、日本は軍事力を背景に好き勝手なことをする国ではないということを信じないで、いつまでも手足をもいだ状態に留め置くのは、白人の日本人に対する嫉妬心である。誰とも仲良くなり対等関係を結んでいける国民性なのだから、たとえアメリカにおいて白人が少数者になろうとも少数者弾圧に加担しはしない。


ベトナムでもイラクでもアフガンでも、表面的な戦闘には勝っても本質的には負けを繰り返すアメリカはいつまでも世界の警察としての見栄を張るのはやめたほうがよい。北朝鮮同様に国内には希望のない人々がたくさんいるだろうが。


一国一民族一文明をもつ日本には最低限の数の核兵器を持たせることをアメリカは認めるべきと思う。