前の記事では、人を幸せにするものは存在すると書きました。
そうすると反対の人を不幸にするものも同時に存在します。
海外では持ち主を次々を変えながら、持ち主を不幸にするという呪いの宝石があるそうです。
日本にもそのようなものは存在します。
「採桑老(さいそうろう)というものです。
2004年に「奇跡体験アンビリーバボー」という番組で紹介されたので知っている方も多いのではないでしょうか。http://www.urban.ne.jp/home/sochan/toukou/kj/kaidan4.html
「採桑老(さいそうろう)」は雅楽の演目で「舞楽」です。
番組では「老人が不老長寿の薬を求めてさまよい歩く姿」だとしていましたが詳しいことは分からないそうです。
その「採桑老」の演目で使われる老人の面の額には「死相」が現れているとされ、採桑老を舞った演者は数年以内に必ず死ぬといわれています。
真偽のほどは分かりませんが、詳しい話はこちらを参照してください。
http://d.hatena.ne.jp/nikogori12/20080607/p2
http://12v.blog89.fc2.com/blog-entry-62.html
2007年にも採桑老を舞われた方が、数年後になくなられたそうです。
しかし、ここで反証が出てきます。
2007年に舞われた方は、すでに高齢であったということ。
そしてもう一つは、2007年に採桑老を舞った学生はピンピンしていたということです。
それでも、人を不幸にしてしまうものはあります。
それを、どう説明するのかというとキーワードは「臨場感」です。
例えば、死刑囚にこれから死刑にするといって、目隠しをし椅子に縛りつけかみそりで手首を切るように見せかけます、
実際は刃が付いていないのですが、切られた感覚は再現できます。
その後で、死刑囚の手首の上から水道で水を少しずつ垂らします。
そうすると、目隠しをされた死刑囚は、まるで自分の切られた手首から血が流れているように錯覚します。
その死刑囚はどうなったかというと、本当に手首を着られているわけではないのに死んだそうです。
残酷な実験ですが、ここで分かることは「臨場感が高ければ心臓くらい止まる」ということです。
では、「採桑老」をれ例にとって見てみましょう。
なぜ学生はピンピンしていたのでしょうか?
答えは舞楽を舞うときの「臨場感」が足りてないということです。
学生さんはがんばったのかもしれませんが、プロの舞楽家に比べれば臨場感はまったく足りません。
舞楽家だけでなく多くの舞台芸術、舞台俳優、ダンサー、舞踊家は自分や演出家の表現したい何らかの世界観(臨場感空間)を持っています。
その世界観(臨場感空間)に、見ている観客を巻き込むことである種の感動が生まれます。
そして、観客を巻き込むためには、演者自身がその演じている世界に強い臨場感を感じていなければなりません。
ですから、採桑老を舞うと死ぬというのはプロの舞楽家だからといえます。
そして、舞うと死ぬという噂がさらに臨場感を強化していき、さらに影響力が増していきます。
あくまでも、切り口の一つですが、このように解釈できます。
しかし、カラクリが分かったとして、その臨場感から抜けるのは容易なことではありません。
そこで気功師の出番です。
気功師は、人を不幸にする臨場感からの切り離しを行い、その臨場感から影響を受けなくします。
(追記:呪いや呪詛と言ったものを気功師がどうやって対処するのかと言うと、一つは結界があります。
しののめ気功施療院ホームページ:気功施術を受け付けています。心と体の状態を気功で改善します。



