久々にこちらへ普通の(は?)記事の投稿です。

スピリチュアルカウンセラーの水峰愛さんの記事を読んで、後からふと思い出したエピソードがあって。


ただ、読んだ時点では金田一耕介のことしか頭になく(映画好きの性)、コメントのやりとりは金田一の話で終わってしまったので、ちゃんと記事にしようかと。

という事で、まずは愛さんのブログ読んでみてくださいませ。

タイトルとブログの書き出しとの解離が、スピリチュアルのありがちなイメージを粉々にしていてステキすぎます。



記事中に「がんばること」の話が出てますが、愛さんの記事を読んで頭に浮かんだのは、うちの姉の一人のこと。
男女雇用機会均等法以前に四大卒で総合職で就職(当時は四大卒女性の就職先は希少。短大卒→一般職で就職→寿退社して専業主婦、が女性の定番コース)。営業に商品企画、新規事業、MDなどをこなし、課長経験もあり。
いまは独立して企業向け研修の人気講師(マジで22年度の予定が入っている)兼中小企業のコンサルタントをしています。

と、書くとすんごいバリバリに頑張ってきた、猛烈スーパーウーマンに見えるでしょう?
私もそう思ってましたよ。
年が離れてることもあって、あまり一緒に過ごすこともなかったし、話したこともなかったので、イメージだけで。
実は親しく付き合うようになったのって、ここ5~6年のことだったんです。

彼女は、確かにバリバリに頑張ってます。バリキャリと呼んでもいいでしょう。
でも、ここで私たちが思う「頑張る」と、彼女の「頑張る」には、大きな違いがあったのです

私たちが「頑張る」という言葉を使う時には、

「辛くても歯を食いしばって頑張る」
「嫌なことも我慢して頑張る」
「理不尽なことにも耐えて頑張る」

と、「我慢」や「耐える」が裏に隠れていることが多いように思います。
そもそも「頑張る」の意味を調べると、「我慢」「耐える」がキーワードに出てくるので、言葉自体に包含されているんですね。

私も、あんなスゴい姉貴みたいになるには「どんなに辛くても耐えに耐えて頑張らなきゃ」と思って40半ばになるまで頑張って、その挙げ句に最近まで数ヶ月休職する羽目になりましたよ。
バブル崩壊後の就職氷河期世代ですし、完全に男性社会の会社だったので、余計に「頑張らないと」と思って20ン年、力んで仕事してきました。

ところが姉貴は、

「辛いことを耐えるなんて嫌だから頑張る」
「嫌なことを我慢するなんて嫌だから頑張る」
「理不尽なことは全力で頑張ってスルー

という人だったんですよ。

それがわかったのは、最近彼女と話す中で 

「私はあんなに頑張ってるのに、回りから『あなたはいつも自然体だね』と言われるの。あんなに頑張ってるのに !」

と言うもんだから、よくよく話を聞いたけど、私の「頑張ってきた話」と、彼女の「頑張ってきた話」に、お互い共感ができないんですよ。
同じ頑張りっちゃ頑張りなんだけど、どうにも話が噛み合わず、「頑張る」の認識が違うらしいと気づいたわけです。

頑張ってる、彼女は頑張ってます。
会社員時代に激務をこなしながら勉強して資格を取り、脱サラして独立し、とにかく仕事を探してゲットして……、脱サラ1年目がホントに大変だったのは見ています。人生で初めて、私が姉に飯を奢るということをしたのも、この頃です。
今では講師の仕事やコンサルで東奔西走、コロナ時代になってからはリモートもこなします。
事前準備もあるので、丸々1日休日という日は少ないようです。本当に忙しい。

でも、彼女のその頑張りには、自分を殺すような我慢はないんですね。
だから彼女の「嫌なことを我慢しないための頑張り」は、「我慢や忍耐込みで頑張る」我々から見ると、めちゃくちゃ自由で自然体にしか見えません。


だから彼女、大変だけど今の仕事でイキイキしてます。
人前で喋ることが好きだから、

「研修講師で受講者を盛り上げてる、ワタシ(キラーン✨)

売り上げが上がることが大好きだから、

「コンサルで売上アップさせてる、ワタシ(キラーン✨)

と、この人、心底本気で思ってやがる。
いや、思って、ということすらしてません。
もうただただ、そういう人なんです。
そしてその「キラーン✨」な自分のために、日々ものすごく頑張っているのです。


ついでに言えばですね。
「逃げずに頑張る」「逃げるが勝ち」、といった話を愛さん書かれてましたが、うちの姉は辛い対象から逃げる逃げない以前に、

「何から?」

と、そもそも逃げる対象に気づいてないことが多々あります。
お化け屋敷に入って、お化けに気づかないまま出口目指してスキップしてるような感じです。
ところどころお化けにぶつかったりしても、

「なんだかスキップしづらいわー」

とか言いながら、そのままスキップで完走する人です。


噛み合わねえ。
マジで話が噛み合わねえ。


そんな姉をワガママという人もいないではないですが、むしろ「自然体」と呼ばれて尊敬されちゃったりしてるのです。
私は仕事以外の面も知っているので、尊敬する一方で、ただのアホなんじゃないかとの疑惑も捨てきれませんが。


こういう姉の姿を、特に休職中に散々見せられまして、だんだん私もそれこそ「耐えがたきを耐え」とかしてるのが、馬鹿馬鹿しくなってきました

我慢して頑張ってきた私たちは「逃げる」「逃げない」の2択で考えがちだし、逃げる選択が無責任に思えて怖い、と、勇気が必要だったりします。
が、姉のように「ただ、自分のやりたいように歩いていく」だけで、「逃げる」「逃げない」という選択肢自体が頭にない、という超シンプルな生き物が、フツーに仕事してメシを食っていけるということは、心に留めておいていいと思います。


そんな姉の唯一の悩みは、「キラーン✨」スイッチがオフになると、とたんに存在感が無くなること。
一緒に道を歩いていると、姉は実在しないんじゃないかと思うほど、彼女は人に行く手を遮られるし、ぶつかられるし(よくある弱い女性を狙ってぶつかりに来る中年男性、といった手合いではない、普通の人々)、とにかくやたらと人が寄ってきて真っ直ぐ歩けない。
ながらスマホで歩いているならともかく、彼ら彼女らはちゃんと前を向いて歩いているのに、進行方向上にいる姉貴が目に入ってないのか、そのまま直進してくるんですよ。

なにせ妹の私ですら、待ち合わせで彼女を見つけられないのは当たり前。
あろうことか二人で並んで歩いている最中に見失う(ちゃんと隣にいる)、というほど気配がない。

愛さん、この辺、スピ的にどうなんですかね?ブログ上で聞くな)

だんだん話の中心がそれてきましたが、ようするに姉を見ていると、日本語の「頑張る」ではなく、英語の「頑張る」を実行している気がするんですね。
英語って、「頑張る」に該当する直接的な単語ってないようなんです。

 do my best
 try hard
 make efforts to do

あたりかな、とっさに出てくる表現は。
ここに、我慢ってニュアンスはありません。
ベストをつくすとか、バリバリに挑戦するとか、努力するとか、そういう感じ。
ちなみにeffort(努力)は、なにかを実行するのに使う、精神的肉体的エネルギーのことを意味するので、必ずしも我慢や忍耐を含むとは限りません。
よーするに、ポジティブというか、カラッとしたイメージ。
うちの姉がやっている「頑張る」はこういうことです。

言葉の呪縛は恐ろしいもので、日本語=考え方に影響します。
日本語で表現する限り、こうした軛からはなかなか脱しづらいのですが、外国語を勉強したり、日本人だけど中身が欧米人みたいな姉を見ていると、だんだん視野も広がって楽になるような気がします。

と、最後だけ真面目にまとめてみましたが、ようするに愛さんのブログから姉を連想して噛み合わない話をしたことを思い出した、という話でした。


↓言葉については、一度真面目に(?)書いたこともあるので、ぜひ