毎年、クリスマス・イヴに同じ映画を観るんですが、今年はクリスマス直前に訃報が入ったこともあって忘れていまして。
でも、イヴに、事前に購入していたクリスマス・カードが届き、深夜になってだんだん気持ちが落ち着いてきて。
クリスマス当日の夕方に外出したら、クリスマス用のケーキやお総菜が特売になっていて、料理する気分じゃなかったから購入し。
そしてSpotifyを立ち上げたら、去年作ったクリスマスソングのプレイリストを見つけて、シャッフル再生したら一曲目が、毎年観ている映画の曲だった。
ということで、やっぱり映画を観よう!と。
なんかこう、映画を観る方へ観る方へ流されていったんですね。
その後のことは映画ブログの方で(リンクは最後に)。
きっついクリスマスでしたが、結局そのクリスマスに救われた、不思議な経験でした。
で、クリスマスパワーって、すげえな、ってとこから思ったんですが。
あの、ここからはクリスマスや宗教をどうこういう訳ではなく、むしろ信者ではない目線でめちゃくちゃ感嘆してるだけなので、そのつもりで読んで欲しいんですが(小心者)。
ぶっちゃけ、クリスマスって作られた日なんですよね。
イエス・キリストの誕生日ってことですが、当時のキリスト教会が、冬至を神聖視する多神教を取り込むために設定したって説もあり(まあ多分、そうだよね)。
サンタの元ネタ(表現……)は実在した聖人、聖ニコラウスだそうですが、列聖のシステム(教会が聖人認定すること)も、元々は多神教を取り込むために作られたものだと言えるし。
あなた方が崇めてた○○○は、実はキリスト教の聖人なんですよー、って感じですね。
崇めてたのが特定の場所の場合は、ここは聖○○が奇跡を起こした場所なんですよー、とかね(聖人じゃなくてキリストの場合もあり)。
崇めてたのが特定の場所の場合は、ここは聖○○が奇跡を起こした場所なんですよー、とかね(聖人じゃなくてキリストの場合もあり)。
絶賛布教拡大中だった頃のキリスト教は、各地に元々あった神聖なパワーを一神教のシステムに取り込んで、ローカルだったものを、一般化、グローバル化するのが、べらぼうに上手かった。
お陰で商業化することも容易くて、商業化すればさらにハードルが下がるので、信者以外も行事に参加しやすくなる。
結果、キリスト教徒でもなんでもない私でも、クリスマスのパワーが共有できるようになったんですよね。
そう思うと、真面目な話、スケールがデカすぎて若干怖い。
結果、キリスト教徒でもなんでもない私でも、クリスマスのパワーが共有できるようになったんですよね。
そう思うと、真面目な話、スケールがデカすぎて若干怖い。
しかし、もしクリスマスがなかったら、日本ではこの時期、どう過ごしてたんでしょうね。カボチャ煮て食べるだけ?
いや、大晦日と正月の準備に12月丸々使うな、多分。
で、プレ晦日とかやるんですよ、15日辺りに。
で、プレ晦日とかやるんですよ、15日辺りに。
話がとっ散らかりました。
ツラいこともありましたが、本当に良いクリスマスでした。
私を助けてくれてありがとう、クリスマス。