歌川広重
王子装束 ゑの木 大晦日の狐火
1857年、最高傑作「名所江戸百景、王子装束稲荷 ゑの木 大晦日之狐火」を発表。

⬇︎上の絵の拡大図です。
ここで装束に着替えるんでしょうね♪

⬇︎拡大図です。
拡大してみて、色んなところに狐が書かれていることがわかりました。

⬆︎凄い数のお狐様です。


王子の狐火
狩野尚信絵(寛永十八年、1641年)
王子に狐集合の場面全景




⬆︎この絵は歌川広重が書かれるもっと前の216年前に書かれた絵だそうです。
今から377年も前ですね。
これを見たら、榎の木ではなく松の木だった事がわかります。


⬇︎こちらは王子稲荷神社









「王子稲荷社」として見開きで描かれている。
総門がありその先に鳥居、そして石段、社殿となっている。
社殿の右手には立派な御神木、裏手は高台になっていて「いなり」とある。
現在の「御穴様」で、当時は杉の大木に囲まれていた事が分かる。
現在の右手には、立派な弁天池と弁天も置かれていたりと、今以上に見事な境内であった事が伺える。

                                              (江戸名所図会

次ページに描かれているのは、「装束畠衣装榎」。多くの狐様が描かれている。

毎年大晦日の夜に、関八州(東国)の狐がこの古榎の辺りに集まり、装束を改めて当社にやって来ると言い伝えられており、「王子稲荷の狐火」として有名であった。
当地の村民たちは狐火の数で吉凶を占ったと伝わっている。

この大榎は明治時代に枯死したものの、その跡には「装束稲荷神社」(王子2-30-14)となっている。





こちらは明治三十三年(1900)に史伝編纂所より出版された『日本之名勝』に掲載されている。
戦前の境内を知る事ができる貴重な写真となっている。
石段が2つあり、上述した浮世絵などに描かれていた様子と変わらない。
鬱蒼と杉が生い茂った境内だった事が分かると書かれていました。

詳しくは⬇︎こちらで紹介されています。




青白く光る狐火🔥

晴天にもかかわらず雨が降り出す「天気雨」のことを「狐の嫁入り」と呼びますが、正確には「狐の結納」とか「狐の祝言」って言うそうです。
歌川広重の『名所江戸百景』の題目としても描かれたように、狐火は昔からこの国では頻繁に見られるものだったようです。

天気雨のあった夜には「狐の嫁入り」があるとされ、夜の山中や河原に無数の狐火が連なって出現し行列をなす。
これは狐が婚礼の儀のために、尾にある如意宝珠を灯しながら移動することを指し、徳島県をのぞく日本各地で吉兆とされたそうです。

広重の浮世絵にも描かれているように、狐たちが口先から吐き出す炎が燃えているととられがちだが、実際は尾の先に存在する3つの如意宝珠が光っている。




こんなふうに狐の行列が行われてたんですね。
コッソリ見てみたいような…照れ
初詣に行くために、皆で着替えてたなんて…想像すると可愛くないですか?
それほどまでに敬意を払ってるってことですよね。
私も見習わなければ…ショボーン

東国33国から狐が集まってきて、王子稲荷に詣るのですから、凄い神社だったんでしょうね。

せび狐火🔥や玉姫狐様に会いに行って見て下さいラブ

もしかしたら…人間に化けた狐🦊がいるかも(笑)


最後まで読んで下さり、ありがとうございます😊
今日もよい一日になりますように🌈🦊


こちらでも詳しく書かれています。