今週の「NPO・ボランティア」のトラックバックステーションのテーマである”フリースクール”。
それにしても、
投稿数2つって・・・
しかも一つは、何の関係も無い、パソコンの紹介文だしさ。
まあそれはともかくとしてだ。
フリースクールとは、
”不登校の子供や障害のある子供、特別な教授法を望む親子のための学校。”
という意味。
法的には認められていないので費用はかかる。卒業資格も得られない。
昨今、教育関係のニュースって結構目にするのだが、一つは、
”ゆとり教育を改め、教科書を厚くする”
”今の子供たちは、精神的な教育が必要だ。”
まあ簡単に書くとこういう二つのテーマがあるわけだ。
これ、相反するテーマのようで実は共通点がある。
どっちも偉い大人達の都合のいい解釈
で子供達をくくりつけようって話なわけだ。
先生あなたはか弱き大人の代弁者なのか?
って俺も尾崎になって言ってしまうって話だ。
”詰め込み教育”何が悪い?って大人がいるが、その人に一言。
勉強というのは、理解させるとともに、”なぜこういう事を勉強するのか?”と子供達が考える時間というのも必要なのだ。何も俺は子供達よ勉強するなと言ってるわけではない。
世界における日本の子供達の学力が落ちているというが、そういう単純な数値で子供達の教育程度を計る事自体が程度が低い。
”公立の学校に通う生徒とそこで働く先生は日の丸が掲揚されたら起立するのが当たり前だ”
という大人達にも一言。
”日の丸=国家”という図式は短絡的である。また”公共心=日の丸”もしかり。
こういう事を口角泡を飛ばして主張する大人達は、”当然だ!”ばかりで、”何故だ?”が足りない。
己の枠組みに当てはまらない人間を”外れた者”とするばかりで己の枠組みの狭さに気づいていない。
日本の制度というのは、安定の中で気づかれない不公平も多い。
たとえば選挙制度なんかそう。
”一票の格差”は小選挙区制になってもいまだに3倍以上の開きがある。
もうこれは、大人達の都合のいい枠組みであるわけだが、そんなんで若い人が”一票って大事”って思えるか?って話だ。公共心の欠如ってこういうところから生まれるのだ。
フリースクールに関しても、大人達が”枠から外れた子供達が入る所”という理解しかないのであれば、まったくもって事態の改善はされないであろう。
高度な教育制度というのは、多様性を認めそれぞれに適した教育を施す事にある。
と思うが皆さんどうか?
どうか?って言われてもなあって話だけども。