ブログて思ったことを書こうとすると
自分がなんだかつまんないことで悩んでる小さい人間のように思える

でも書かないとずっと心がもやる

ここ最近は 書かない を選択してたけど

今日は書くことにしました。



義父は急激に弱ってしまって入院。

今後、介護が必要になってしまった。

思うように動けないことで気弱になって
今までは都合よく好き勝手してきたのに、

立てない

歩けない

食べられない、と

何から何まで家族に頼むようになった。



極限まで困る(弱る)と相手構わずなりふり構わず
頼る しかないのだろう。



入院して容体が落ち着いて、病院に会いに行ったら
色々悪かった、と さめざめと義父に泣かれてしまった。

私は何も変わってないのに 相手が変わっていた。




入院が長引いてお金がいくらかかるか分からない。

義母に、今後は今までのようには生活できない、
とりあえず義父が退院して介護が始まって落ち着くまで金銭的援助はできないことを 丁寧に 説明して、
納得してもらった、つもり だった。

でーもー
ほっとしたのも束の間

やっぱ分かってなかった、、、




お金が出せないなら
夫と、夫の弟の個人年金を解約する、と。




今まで義母に渡していたお金の一部は
夫が独身の時からずっとその個人年金にかけていた。

それなら自営業をやってるし
その分はこれからもこちらで負担していくから
継続すると話した。

が、義母は私に

夫のを継続するなら義弟の分も続けて欲しい

あの義父と同じ 頼む目で 言われた。



義母の末っ子である義弟はまだ未婚。
母親は夫と一緒に年金を義弟の分もずっとかけていたのだ。



私は脅されてると感じて、
その場に夫を連れ出して抗戦し、
義母の脅迫に負けず事なきを得た。




だって、
なんで?




義弟は未婚だが歳も40才過ぎ
私が嫁に入ってからは家も出て世帯も別、
自由に独立してるし
手に職もある。

なのに、なんで、
夫が弟の分の年金積み立ててあげてんの?

義母は 自分の年金から出している と言ってるが、
話を聞いてると明らかにこちらが援助していた 夫のお金 から出してる。

よーするに自分の財布と息子である夫の財布の区別がついていないんだ。




それは義母は私が嫁いできてから
自営業の帳簿は丸投げしても
家計の運営権は堅く握りしめていた。




それに今でも生活費が払えず親のスネをかじってる義弟の将来が気になっているんだろう。

だって 義弟が義母に家賃滞納分のハガキやお金の工面を電話で頼んでいたことも知ってた。

けど私は見て見ぬ振りをしてた。

自分の母が親と共依存していたから分かるから。

だから親心で将来を心配して年金をかけてあげていることは分かる。




けど、今、

これからまだ食べ盛りの息子たちと
要介護の老いた親、家族7人の生活を
夫ひとりでみていかなならんのに。

己一人くらいなりふり構わず働かなくてどうする と
義弟にハッパをかけたくなるのが
当たり前じゃないのか。




しかし、義母は同居の私たち夫婦には
不信 のレッテルを貼っているので

義弟を見捨てた冷たい人間

そんなやつらには制裁を下すために、

「もういい!解約した預金は全部私が勝手に使うでいいわ!」

と捨てゼリフを吐きその場を終わらせた。




不信 の前ではなんの言葉も通じず、
我が子と共に衣食住を共に生きて、
義父母の老後を支える私たち夫婦の
同居の覚悟は伝わらない。




憤り

怒り

虚しさ

哀しさ

諦め




自分が親になってわかった事は
自分の死期を感じた時に

自分でどうにもならなくなった時に初めて
人に頼むんだ。

私のおばあちゃんが死ぬ直前に母のことを頼むと言った時のように。




自分ひとりの力でなんとかしようと思うのは生きて動けている時までだ。

死んだら 手放す、の一択しかない。

義母にはまだその時が来ていないだけ。




私も 自立が難しい子 の親になり
この苦しさ、不安がよくわかった。

自分で我が子の最後まで見届けられない辛さ。

親が子より先に逝くことが
幸せなことだと思うが、辛い。




私は義母の姿を見て
苦し紛れにその場にいた人に我が子を託すような
最後だけは避けたいと思った。

安心して不安を手放せられるようになりたい。

それにはまず 自分が 信頼の中で生きていられることが大事だろうな。




信頼の輪の中に子供たちを包み込めるように生きていきたい。

今日のことは過去の辛い思い出も現状の苦しい思いもたくさん出てきたけど、

大事なことを気づかせてくれる出来事だったんだと最後は感謝できる結論になってよかった。

心の重荷を下ろす作業、終わり。