動物園に行こうよ

<対象年齢> 小学生

<対象人数> 10人以上~

<場所> 地上のどこでも

<目的> 集中力を高める、友達の輪に入る。

<内容> 

歌を歌いながら動作をし、動物を見つける雰囲気を作る。

歌 「動物園に行こうよ 動物園に行こうよ・・・1

    どんな動物いるのかな・・・2

    どんな動物いるのかな・・・3

    双眼鏡で見てみよう・・・4

    双眼鏡で見てみよう・・・5

1、 その場行進をする

2、 右手を腰に当て、左手を頭に遠くを眺めるまねをする

3、 左手を腰に当て、右手を頭に遠くを眺めるまねをする

4、 両手で双眼鏡の形を作り、斜め左を見る

5、 両手で双眼鏡の形を作り、斜め右を眺める


 動物の名前を言う

 動物の名前の文字数でグループを作り、座ってもらう。

 例「ゴリラ」→3文字→3人のグループを作り座る

<約束>

1、すでに集まっているグループに、割り込まない。

2、いろんなお友達とグループを作る

3、集まったら座る


 みなさん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 ところで、2006年みなさんにはどんな出会いがあるでしょうか。わたしは、2004年に出会った多くの人と、別れる経験をとおし、人間関係について改めて考えさせられました。それでは、私が一昨年法話させていただいたものをどうぞご覧ください。

 

先月私は、とある団体を辞めました。どういう団体かというと、伝道部などのサークルの部室がある建物を管理する大学の学生の団体です。その団体は今まで自分から積極的に友達を作れなかった自分に、いろんなサークルの友達を作る機会を与えてくれました。しかしその団体は活動が忙しく、仕事をしても一切お金はもらえないという団体で、多くの方と知り合いになれるという面はよかったのですが、自分の時間が犠牲になるということでその団体を辞めました。一緒に活動してきた仲間は、やめないでと最後まで引き止めましたが、私はそういう、自分を思ってくれる仲間の気持ちを踏みにじってしまいました。本当はそうしたくはなかったのですが、やめるために仲間を裏切ってしまいました。やめると言い出すまで、毎晩眠れず、不安を紛らわすためにお酒を飲み、部屋に閉じこもるくらいに悩んだのです。最近は眠れないということはありませんが、時々仲間のことを考えると気分が重く憂鬱になります。皆さんは私より数多くの悩み事を抱えて過ごされてきたことと思います。人間関係って、本当に悩みの種ですよね。ですが生きていくうえでは欠かせないのが人間関係です。仏教では「愛別離苦」(愛する人と分かれなければならない苦しみ)「怨憎会苦」(憎む人とも会わなければいけない苦しみ)を言っていますが、確かにそのとおりです。そういう人間関係の苦しみをどうすればいいのかを今日は皆さんとともに考えながらお話しさせていただきたいと思います。

 ここで今日の御讃題を拝読させていただきます。「(仏説阿弥陀経に説かれてあるとおり)生きとし生けるものすべて、浄土の有様を聞いたなら、ぜひとも浄土に生まれたいと願うがよい。そのわけは、優れた聖者たちとともに同じところに集うことができるからである。」仏説阿弥陀経とはお釈迦様がインドの祇園精舎で説かれたもので、お釈迦様が自分からお説きになられたお経で、お釈迦様のすべての説法の結びのお経といわれています。その中には、浄土の様子や、すべての仏様が、お念仏が真実であることが説かれています。皆さんは「倶会一処」という言葉をご存知でしょうか。墓石によく書かれています。私の先祖のお墓にもかかれてあります。その言葉が今日の御讃題なのです。「ともにひとつのところで会う。」なんと心が落ち着く言葉でありましょうか。私たちは、命を持っています。命はいつか終わります。しかしいったん別れてもまた再び同じところで合えるというのは、命の行き着くところはひとつなのだということを示しています。愛しかった人の命とも会うでしょうし、憎んでいた人の命とも会うでしょう。しかしもうすべての命はひとつとなるのです。浄土は命の関わりが行き着く場所なのです。

 ですが、問題なのはこの世の中で別々の命を持ったものとしてどう接するかです。この世の中では、すべての命と平等に接することができません。私たちは一番身近な命として受け止めている親や子供、そして恋人などとも一緒に死ぬことはできません。生まれるときも一人で死ぬときも一人なのです。なぜそんな悲しい世の中を生きなければならないのでしょうか。その答えを探して生きた方が親鸞さまなのでした。ここ大谷本廟には親鸞さまのお墓があります。今日は親鸞さまの元で、こうしてお話させていただけるとはありがたいことです。皆さんは「しんらんさま」という歌をご存知でしょうか。この歌は、親鸞聖人700回忌のときに作られた歌です。その2番の歌詞が簡潔に親鸞さまが私たちに生きる道を示してくれていることをうたっている歌詞のような気がします。(歌詞カードを配る)ここでどういう歌かを歌わせていただきます。「きらめく夜空 星の影 嵐に消えても 隠れても なもあみだぶつとなえれば しんらんさまはともしびを わたしのゆくてにかざされる」この世の中も本当は命がきらめいているんだけど、自分中心の命のとらえ方や、多くの悲しい出来事によって、命のきらめきが見えなくなってしまう。そんな中なもあみだぶつのみ教えは命のきらめきを見つめ真実の道を私に示してくれる。そのようにこの歌詞は受け取れる気がするのです。本当は、すべての命がひとつだと気づきたいんですが、なかなか気づけない。だからこの世の中の悲しみがあるからこそ命のきらめきが見えてくるような気がします。光の中では光があることは気づかないのです。闇があることによって光に気づくのです。浄土もこの世もまったく違うように見えてどちらかが欠けたらどちらともなくなってしまうのです。ですからこの世の中でも、真実のみ教えであるなもあみだぶつの教えを信じて命を大切にして生きたいと思います。どんなものにも、なもあみだぶつのみ教えは届いています。どんなことがあってもなもあみだぶつのみ教えは私たちを救われます。と親鸞さまは説かれました。その教えをただ信じることそれが、この世の中における最大の生きる意義ではないでしょうか。そして信じることは終わることのない命の関わりへつながっていくのだと思います。

4、これからの宗教教育

では、どうすればきちんとした宗教教育ができるのだろうか。そのためには、宗教と教育の関係を見る必要がある。今までは、教育から宗教を見てきたが、ここからは宗教から教育を見る。

 近年教育界では。少年・少女の非行、自殺の問題があると新聞などで知ることができる。非行や、自殺は心の問題と大きく関わる。学校教育は心の問題について考えることを怠っていたのかも知れない。非行も自殺もどう生きたらいいのかというのに悩むことから起こると考えられる。特に思春期は、精神的に不安定となり、悩むとされる。悩みを解決していくには、心の問題を考えていかなければならないのだが、なかなか学校教育では心の問題を考える時間が持てない。せめて、どう心の問題に取り組んだらいいのかを教えてくれればいいのだが、それができないのが現状だ。 宗教は、どう生きたらいいかという悩みから生まれたとされる。宗教には多種多様なものがあり、どの人にどの宗教があうのかは解らないが、宗教がどういうものなのかを知ることで、悩んでいる人が、自分にあった宗教を探していくきっかけとなるのかもしれない。

 しかし今の学校教育は宗教的中立性を宗教を教えてはならないと受け止め、宗教教育をしないところや、していても形だけの所も多い。宗教の教義は奥深く、少しの時間では教えられないかもしれないが、教義の根幹を解らなくても知らせなければ、知的好奇心の妨げをすることになる。宗教など前時代の文化だとして教えなくても良いというのは、個人的な感情によって教育をすることで、宗教的中立性どころか、偏った教育につながってしまうだろう。

 「宗教的精神的風土の中で、はじめて創造的な文化が花を開くのである。」(七)と遊亀教授氏は述べている。今は、心を排除して理性だけで物事を判断することが良いとされている。心による判断は矛盾が多いからだ。そのようなときだからこそ、心を見つめる宗教が必要となるだろう。心が豊かならば、豊かな文化が育まれるであろう。心を豊かにする宗教教育が求められる。

 そして、道徳も国家神道に偏るのではなく、多くの国と協力していく国家を想像していくものになることが望まれる。そのためには、教育者と宗教者などの垣根を越えて、様々な分野の対話が必要である。

 今回、宗教と教育の関係について書かせていただいた。書いているうちに、考えなければならない問題を見過ごして生活していたと実感した。これからは、少しでも問題意識を持てるように宗教と教育を学んでいきたい。

引用文

(七)遊亀教授氏寄稿『本願寺新報』(昭和三八年一一月一五日)

1、 国民道徳

ここに、「国民道徳」という言葉が出てきた。「道徳」とはよく使う言葉であるが、どういう意味なのだろうか。大辞林によると、「①ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。②小・中学校において、道徳教育を行う教育課程。一九五八(昭和三三)から新設。③〔もっぱら道と徳を説くことから〕老子の学。」とある。①では、波線を引かせてもらった「ある社会で」というのと、「人間相互の関係を規定」というのが気になった。「ある社会」ということは、他の社会とは、違うことを教えることとなるし、「人間相互の関係を規定」というのは、内的強制力を持つと受け止められ、他の社会との関係を道徳が決めることになるのではないかと考えたからだ。②は、波線を引いた「一九五八(昭和三三)から新設」という箇所が気になった。なぜ「新設」されたのだろうか。世界大百科事典(平凡社)によると、「冷戦と占領政策の転換、さらには朝鮮戦争とサンフランシスコ条約にもとづく〈独立〉ののち、旧道徳と国家観念の強化を望む人々は、アメリカの対日政策転換に励まされて、、愛国心の強調としつけの強化を学校教育に期待するようになった。」(四)と書かれてあった。現在の道徳教育は、「愛国心の強調としつけの強化」の期待から、出発したのだ。

 しかし、それからの教育は、戦前の反省と同じようなことになるのである。先ほど引用した、文部科学省の教科書は、その後に、「がんらい、その時々の政策が教育を支配することは大きなまちがいのもとである。政府は教育の発達をできるだけ援助すべきであるが、教育の方針を政策によって動かすようなことをしてはならない、・・・ことに、政府が教育機関を通じて国民の道徳思想まで一つの型にはめようとするのは最もよくないことである」(五)と続く。なぜ、今最もよくない方向へと道徳教育が進んでいこうとしているのだろうか。加藤西郷氏は、先ほども引用した『宗教と教育 子どもの未来をひらく』(法蔵館)のなかで、「臨教審・文部省(現文部科学省)の教育政策も、表面的には国際化に対応する教育を標榜しながら、実際の中身は、国際化に対応する教育を標榜しながら、実際の中身は、国際協力によって人類の危機を克服していく方向ではなく、ますます激化していく国家間の経済競争の中で、「日本という国家」がいかにして「他の国家」に打ち勝って生き残っていくのか、のみが問題にされており、そのために「国民」(文部省の感覚からいえば「公民」の方が妥当かも知れないが・・・)をいかに「人的資源」として最大限効率よく使用、支配していくのかを考えた教育政策である言い切ってもよいものであろう。道徳教育政策はその重要な一端を担わされている。」(六)と述べている。道徳教育は政策となり、波線を引いた箇所の「「国民」をいかに「人的資源」として最大限効率よく使用、支配していくのかを考えた教育政策」の重要な一端を背負わされることとなったのである。

 これは、私が中学生の時に経験したことである。私の通った中学校では、道徳の授業の中で、地域学習というものがあり、「輪飾り」を年に一回作らなければならなかった。輪飾りは神道につながる。私は、「家が浄土真宗のお寺なので、欠席させてください」と先生に言った。すると先生は、「この授業も授業日数に含まれるからね・・・」と、難しい顔をされた。結局、私は輪飾りを作った。家には飾れないので、親戚にあげた。(少しお小遣いをもらえた。)私はこの出来事により、見えないところで、宗教の中立である公立学校も、神道という宗教による道徳を教えていることを意識するようになった。それは、私がお寺に生まれたからで、他の友達はそんな意識は持たなかっただろう。神道が良い悪いの問題ではなく、学生が宗教への問題意識を持てずに安易に危険な宗教思想に流されるという危険性があるというのが、今の日本の宗教教育の現状であろう。

引用文

(三)『大辞林』 第二版 三省堂

(四)『世界大百科事典』(平凡社) 

(五)文部省高等学校用教科書『民主主義』一九四九年

(六)加藤西郷著『宗教と教育 子どもの未来をひらく』(法蔵館)四五ページ

1、 戦前の教育

 戦時中の教育とは、教育勅語による国家神道の教育であった。国民は、現人神である天皇のためなら命を犠牲にしても尽くすことを教え込まれたのである。そして、天皇のために異国を倒すという目的で、戦争をし、多くの人が犠牲となった。

 戦後の教育も、「君が代」を「国歌」とし、「日の丸」を「国旗」として「国歌」を歌わない教師を懲戒免職にするなど、戦時中のような面もある。そして公立の学校だけでなく私立の学校でも、「国歌」を歌い、「国旗」を掲げる学校もある。私の通った高校も、普段は「君が代」を歌わなかったが、運動会の時は、「日の丸」を掲げ、「君が代」を歌った。信仰の自由はあっても、見えないところで、国家神道のかげが残って、人々を支配しているのである。加藤西郷氏も『宗教と教育 子どもの未来をひらく』(法蔵館)のなかで、「かつて、明治政府が作った新宗教にすぎなかった「国家神道」が果たした役割を今こそ想起する必要がある。法制化された日の丸・君が代は「国旗」「国歌」として絶対化され、これから先それへの忠誠を国民道徳として限りなく私たちに強制してくるであろう。精神的自由の問題は根底から崩されていく恐れがある。」と指摘している。(二)

引用文

(二)加藤西郷著『宗教と教育 子どもの未来をひらく』(法蔵館)四ページ

1、 教育と国家

私は、大学三回生に成らせていただくまでに、小学校の教育を六年間、中学校の教育を三年間、高校の教育を三年間、大学の教育を二年間と半年修了させていただいた。中学までは、公立で義務教育だったが、高校と大学は、浄土真宗の学校である。おそらく日本の一般的な教育課程の中で学ばせていただいてきたのだ。ここで、ある疑問が起こる。なぜ、高校も大学も、浄土真宗という宗教法人の学校であるのに、日本の教育課程と同じ年数なのかということだ。それは学校法人となるには、そうせざるを得ないからと言う端的な答えを返されるかも知れないが、宗教教育をする学校であっても政府の規制を受けていることに気がつくこともできる。政府は国家の機関であるから、大きくとらえれば、宗教と教育の関係を見るには、国家を考えなければならない。

 実際に、文部科学省も「これまでの日本の教育は、一言で言えば“上から教え込む”教育であり、“詰め込み教育”であった。・・・受け身の教育や手段としての勉強では、身についた学問はできない。・・・そのうえに、もっと悪いことには、これまでの日本の教育には、政府のさしずによって動かされるところが多かった」(一)と述べている。日本の教育が「政府のさしずによって動かされる」以上、日本の宗教教育も政府のさしずを受けるのである。政府がさしずすると言うことは、自由な宗教教育ができないと言うことになる。それは、戦争後の教育が、戦時中の教育同じようなものとなる危険性を秘めている。 

引用文

(一)文部省高等学校用教科書『民主主義』一九四九年

浄土真宗というものは、本当はどういうものなのでしょうか。そのことを考えるに当たり、見ていかなければならないのは、宗教と教育の関係です。なぜならば、教育は、私達の成長におおきな影響を与え、知らず知らずのうちに当たり前ではないことが当たり前のことになっていることがあったりするからです。

今回、宗教と教育の関係について載せたものは、今年の夏休みに書いた」「宗教教育学」のレポートです。原稿用紙で10枚なので、一回のブログでは見るのが、大変だと思います。ですから、

1、 教育と国家 (政府)

2、 戦前の教育

3、 国民道徳

4、 これからの宗教教育

という4項目に分けて掲載します。

『日野小学校事件から学ぶこと』

 もうすぐ日野小学校事件から6年となる。最近も、多くの幼い命が奪われる事件が起こっているので、子ども会の安全面について考えていきたい。

 1999年12月21日、日野小学校の校庭で、一人の小学生が、何者かに殺害された。そして事件は犯人の自殺という最悪の事態を迎えた。

 毎年、日野誕生院土曜学校では、この事件のはなしを事件が起こった頃にしている。それだけ、重大な問題をこの事件は持っているからだ。今回は『聞け‘てるくはのる’よ』という新潮社の本を、参考とした。ある先輩は、この事件がおきた影響からしばらく土曜学校をするのを休んでいたそうだ。将来土曜校の子供が事件を起こしたら、自分の責任にもなるという理由からだ。しかし、休んでも子供に与える影響もあり、また土曜校に参加されるようになったということである。そういうことは自分たちにも言えることである。自分たちは土曜校の子供の将来に責任を持てるのだろうか。

 私が小学校低学年の頃、私は近所の川で遊んでいて、岸辺に上がれなくなり泣いていた。そこに近所のお兄さんがたまたま通りかかり、私をおんぶして岸に上げてくれた。自分にとってお兄さんとは、憧れだったのだ。しかし、日野小学校事件の犯人は事件を起こしたとき20歳くらいで、今の自分たちと同年齢くらいである。この事件は小学生が抱くお兄さんの像を怖い存在とし、保護者の方も大学生くらいに任せるのは心配だという思いを抱いたことだろう。果たして、自分たちは子供会を通して何をするべきなのだろうか。確固たる考えは、今の自分には浮かばない。子供が好きだから、とか、楽しいからという理由だけで子ども会をすることはできるのだろうか。 だが、子供が嫌いとか、悪い子に育つのは親のせいといって、はなから自分と少年事件は関係ないとし、子ども会は必要ないというお寺の僧侶は、教えを伝えることはできないだろう。それは子供に伝えられることがそのまま、すべてのひとが子供時代を経験したということで、多くの人に伝えることとなるからである。なので、子ども会はお寺にとっては必ず必要なのだ。私たちは、自分の子供時代を思い出し、子ども会を考えなければならない。

 「非僧非俗」とは、僧でもなく、俗でもないということです。親鸞聖人は、承元の法難(1207)という念仏弾圧によって、越後(現在の新潟県)に流罪になります。当然僧侶の資格も取り消されたので、僧に非ずということで、「非僧」、だからといって世間に流されるのではない(俗に非ず)「非俗」なのです。
 ですが、現在浄土真宗は、親鸞聖人の教えによって生きることを目指しながらも、僧侶の資格を取らないと僧侶にはなれません。そして、僧侶になる大半は、お寺に生まれたものです。それもいやいや自分の生きる道を僧侶に決めたという人も結構いるのです。生きるためには仕方ないからお寺を継ぐ、こんなことではお寺に希望を持てなくなるのも当然です。
 現在、仏教は「葬式仏教」と呼ばれ、死んだ人の相手をしているのが僧侶だと思われがちです。上田紀行さんは『がんばれ仏教!』(日本放送出版協会)という本の中で、この本のスタートは、お寺の跡継ぎの大学生の「このままだと、葬式すら寺に頼まれなくなり、仏教は死んでしまう」言う発言だったと述べられ、どうしたら仏教が再生していくかを考察されています。多くの興味深い視点で、仏教の未来を考えられているのですが、そのなかでも「現在の仏教が取り戻すべきは、エネルギーであり、躍動でなければならないのではないか。」と述べられているのは、なるほどなと思いました。確かに今の仏教は、社会を動かすだけのエネルギーがないように感じます。それは、現在の僧侶が命をかけてまで仏教をやっていこうとする人が少ないことにも見受けられます。
 教えを受け継いでいくのも大事ですが、目の前の問題にとりかからなくては、教えは生きてはきません。浄土真宗のお寺でも、NPOに参加されていたり、コンサートを開いたりされていたりします。そういうお寺を、お寺の仕事を投げ出して自分のしたいことをやっていると見る人がいますが、その人はお寺に何を求めているのでしょうか。 お寺は多くの人の生きる道を示す場所で、多くの人が集まる場所です。文化発祥の場所でもあるのです。やろうと思えば、大きなことを成し遂げられる場所なのです。そういう場所が今、社会にどれだけあるでしょうか。いいたいことや、やりたいことががあっても、話し合うことができない人がたくさんいるはずです。そういう人が宗派を超えて集まる場所にこれからお寺がなっていけば、大きなエネルギーが起こってくるのではないでしょうか。


法隆寺壁紙 法隆寺

 

 今日は、『歴史のなかの親鸞』(永田文昌堂)という本を紹介します。この本は、史実としての親鸞聖人の生涯だけでなく、聖人が在世時、どのようにして浄土真宗の信仰を確立し、実践し、一人ひとりの人間の尊厳性をよみがえらせ、平等な人格の成り立つ社会を切りひらいていったかを明らかにして、苦悩の中に信仰に生きた聖人の真の姿と歴史的意義を、当時の社会と関連づけつつ新しい視点で追求したものです。そのなかでも、今回は仏教と日本人という章について見ていきます。 

テキスト要約


日本の国家が形成される過程は、民族宗教が明確な姿を現す過程だといえる。3世紀卑弥呼は、宗教的権威によって政権を得た。そして大和国家の王権にも一貫して、宗教的権威と政治権力との合体が見られるのである。こうして大和国家は天皇権力を、祭祀権の確立過程のなかで確立させていったのだ。そうした祭祀権の確立というなかで仏教受容が始まったのである。

蘇我氏は仏教と国家権力との結びつけを志向し、神仏二本立ての信仰シンクレティズム(*語句参照)を創始した。このことは、仏(*語句参照)が外国神としてむかえられたことにも見られるように、民族宗教を基盤とした仏教信仰に他ならない。 仏教の本質を排除した。言い換えると自己中心性・権力中心性は、仏教の持つ人間観と社会性とを不毛にするということである。基盤としての民族宗教社会は、仏教のこのような受容によってはいささかの変化も受けないのだ。

親鸞は「外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」(『浄土真宗聖典註釈版』108ページ』といって、外見は仏教の姿のように見えるが、内面では仏教ではないものを信じていると嘆いている。

聖徳太子は蘇我馬子の仏教受容に対し、明確な異質性を示した。仏教に対して関心を抱き始めたのは、おそらく蘇我馬子の仏教興隆事業に刺激されてだろうが、後には隋が中国を統一し世界帝国を目指し、仏教治国策を展開しつつあったことを知ったのである。

語句

シンクレティズム【syncretism】


起源の異なる複数の宗教的要素が習合して信仰されていること。神道と仏教の習合、道教と仏教の習合、ヒンズー教と仏教の習合など、さまざまな形態がある。諸教混淆(こんこう)。(大辞泉)


仏(ほとけ)


<ぶつ>の訓読語。その語源については、中国で古く仏(buddha)が(浮屠(ふと))(浮図)と音写され(『後漢書』楚王伝、桓帝紀)、それに〈その道の人〉を意味する〈家〉、または性質・気配を意味する接尾語〈け〉がついてなったという説、〈ほとほりけ〉(熱気)からきたもので、仏教が日本に伝来したときたまたま熱病が流行したためにこのように呼ばれたとする説、〈ほどけ〉(解)からきたもので、仏とは煩悩を解き放った存在であるというところからこう呼んだとする説がある。



*仏は熱病をもたらすと仏教伝来時に言われていました。この名残を使っているとして、親鸞聖人は仏という読み方をほとんどしなかったといわれています。皆さんは仏をぶつと読みますか、それともほとけと読みますか?


感想

仏教は、日本に入ったときから変容していたことが分かりました。仏教は寛容さのゆえに、権力と結びつきやすく、本質を見極めることは容易ではありません。

しかし、本質を見極めていくなかで、自己の本質も見ていくことができるのではないでしょうか。仏教の本質は自己の本質でもあるのです。