みなさん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 ところで、2006年みなさんにはどんな出会いがあるでしょうか。わたしは、2004年に出会った多くの人と、別れる経験をとおし、人間関係について改めて考えさせられました。それでは、私が一昨年法話させていただいたものをどうぞご覧ください。

 

先月私は、とある団体を辞めました。どういう団体かというと、伝道部などのサークルの部室がある建物を管理する大学の学生の団体です。その団体は今まで自分から積極的に友達を作れなかった自分に、いろんなサークルの友達を作る機会を与えてくれました。しかしその団体は活動が忙しく、仕事をしても一切お金はもらえないという団体で、多くの方と知り合いになれるという面はよかったのですが、自分の時間が犠牲になるということでその団体を辞めました。一緒に活動してきた仲間は、やめないでと最後まで引き止めましたが、私はそういう、自分を思ってくれる仲間の気持ちを踏みにじってしまいました。本当はそうしたくはなかったのですが、やめるために仲間を裏切ってしまいました。やめると言い出すまで、毎晩眠れず、不安を紛らわすためにお酒を飲み、部屋に閉じこもるくらいに悩んだのです。最近は眠れないということはありませんが、時々仲間のことを考えると気分が重く憂鬱になります。皆さんは私より数多くの悩み事を抱えて過ごされてきたことと思います。人間関係って、本当に悩みの種ですよね。ですが生きていくうえでは欠かせないのが人間関係です。仏教では「愛別離苦」(愛する人と分かれなければならない苦しみ)「怨憎会苦」(憎む人とも会わなければいけない苦しみ)を言っていますが、確かにそのとおりです。そういう人間関係の苦しみをどうすればいいのかを今日は皆さんとともに考えながらお話しさせていただきたいと思います。

 ここで今日の御讃題を拝読させていただきます。「(仏説阿弥陀経に説かれてあるとおり)生きとし生けるものすべて、浄土の有様を聞いたなら、ぜひとも浄土に生まれたいと願うがよい。そのわけは、優れた聖者たちとともに同じところに集うことができるからである。」仏説阿弥陀経とはお釈迦様がインドの祇園精舎で説かれたもので、お釈迦様が自分からお説きになられたお経で、お釈迦様のすべての説法の結びのお経といわれています。その中には、浄土の様子や、すべての仏様が、お念仏が真実であることが説かれています。皆さんは「倶会一処」という言葉をご存知でしょうか。墓石によく書かれています。私の先祖のお墓にもかかれてあります。その言葉が今日の御讃題なのです。「ともにひとつのところで会う。」なんと心が落ち着く言葉でありましょうか。私たちは、命を持っています。命はいつか終わります。しかしいったん別れてもまた再び同じところで合えるというのは、命の行き着くところはひとつなのだということを示しています。愛しかった人の命とも会うでしょうし、憎んでいた人の命とも会うでしょう。しかしもうすべての命はひとつとなるのです。浄土は命の関わりが行き着く場所なのです。

 ですが、問題なのはこの世の中で別々の命を持ったものとしてどう接するかです。この世の中では、すべての命と平等に接することができません。私たちは一番身近な命として受け止めている親や子供、そして恋人などとも一緒に死ぬことはできません。生まれるときも一人で死ぬときも一人なのです。なぜそんな悲しい世の中を生きなければならないのでしょうか。その答えを探して生きた方が親鸞さまなのでした。ここ大谷本廟には親鸞さまのお墓があります。今日は親鸞さまの元で、こうしてお話させていただけるとはありがたいことです。皆さんは「しんらんさま」という歌をご存知でしょうか。この歌は、親鸞聖人700回忌のときに作られた歌です。その2番の歌詞が簡潔に親鸞さまが私たちに生きる道を示してくれていることをうたっている歌詞のような気がします。(歌詞カードを配る)ここでどういう歌かを歌わせていただきます。「きらめく夜空 星の影 嵐に消えても 隠れても なもあみだぶつとなえれば しんらんさまはともしびを わたしのゆくてにかざされる」この世の中も本当は命がきらめいているんだけど、自分中心の命のとらえ方や、多くの悲しい出来事によって、命のきらめきが見えなくなってしまう。そんな中なもあみだぶつのみ教えは命のきらめきを見つめ真実の道を私に示してくれる。そのようにこの歌詞は受け取れる気がするのです。本当は、すべての命がひとつだと気づきたいんですが、なかなか気づけない。だからこの世の中の悲しみがあるからこそ命のきらめきが見えてくるような気がします。光の中では光があることは気づかないのです。闇があることによって光に気づくのです。浄土もこの世もまったく違うように見えてどちらかが欠けたらどちらともなくなってしまうのです。ですからこの世の中でも、真実のみ教えであるなもあみだぶつの教えを信じて命を大切にして生きたいと思います。どんなものにも、なもあみだぶつのみ教えは届いています。どんなことがあってもなもあみだぶつのみ教えは私たちを救われます。と親鸞さまは説かれました。その教えをただ信じることそれが、この世の中における最大の生きる意義ではないでしょうか。そして信じることは終わることのない命の関わりへつながっていくのだと思います。