1人の教育者のブログ

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この度、更新日時が約束していた期限を過ぎてしまい
本当に申し訳ありません。
一週間程度の間隔の更新ならば、そこまで苦しくはないと
思っていましたが、決してそんなことはありませんでした(ー_ー;)

そして、まいまいさんへ。
約束した日までに返事ができなくて
本当にすみませんでした。

今後このようなことが無いよう
より先見の明を持ってお答えするようにして
いきたいと思います。
もし宜しければ、お付き合い頂けたら幸いです。

では、勝手ではございますが6月16日の
まいまいさんが下さったコメントへの返事を
以下より、していきたいと思います。

確かに、担任や学校の指導能力を超えた場合
外部の専門家に委託するということは
一つの選択肢として、有力なものである
ということは私も同感です。
通常、客観的に見た場合では
指導能力の範囲内のように見えるものも
今現在、学校現場において教員の立場が非常に弱く
また劣悪な職場環境では、容易にそれが覆ってしまう
そのようなケースを度々耳にします。

選択肢すら用意されていない現在の学校では
このようなケースの場合、教員にとって
本来、児童生徒への指導だったことが
いつの間にか、教員自身への自己防衛へと
変わっているような気がします。
(教員の暴力や体罰問題も然り)

しかし、私としてはやはり
この選択は(大阪市教委の)、選択肢の一つとして
有効なのであって、決してベストな選択だとは思えません。
やはり、担任は自分の児童生徒を
どんなことがあっても、見捨ててはいけないと
思うからです。
そこには、教員が学校という現場で行うことの
一番の意義が、表れているように思うのです。
学校で教員が一番に教えなければいけないことは
優先しなければいけないことは
勉学でしょうか?
教養でしょうか?
コミュニケーション力でしょうか?
文科省は「生きる力」と言っています。
これに直結するものとは?
児童生徒たちを大切にする中で
最も伝えるべきものはなんでしょうか?

私は人間性だと思っています。
あわゆる人間と付き合えるようになること
関係を築くことができるようになること
様々なことに対して偏見を持たず
幅広い視野を持って理解に努めることが
できる人間になること。
その視野の広さ、器の大きさを育てることが
学校の一番の存在意義だと私は思っています。

ここで、隔離される子の視点に立った時
悪いことをしたら隔離されるから
悪いことはやめよう、とはならないでしょう。
これは一つの脅威によって押さえつける方法で
レベル4、5に該当するような子ども達は
こういった脅威に非常に敏感で、また慣れていると
思うのです。(専門家じゃないのにでかい口たたいて
すみません;w;)

そもそも、レベル4、5に該当するような子どもが
学校に来ているということ自体を褒めるべきだと
教員としての立場なら、私は思います。
その子にとって学校に来たい、という理由があるから
きっとその子は学校に来るのでしょう。
しかし、ここで隔離する、つまり大阪市教委の方針を
取ったらどうなるでしょうか?
私は、おそらく子どもは不登校になると思います。
自分にとっての大切なコミュニティの場を奪われ
担任からも学校からも見捨てられたと感じる場所に
行きたいと思えるでしょうか?

よって一時的に効果が出たとしても
長いスパンで観察すると、不登校者が増加し
学校が学校と呼ばれる必要性が
問われるようになるのでは、と思います。

この点については、まいまいさんが仰っていること
そのものだと思うんです。
彼らが個別指導教室から戻ってきた時に
クラスにスムーズに溶け込むことは
私も非常に難しいと思います。
元担任や周辺の教員、児童生徒たちとの関係を
修復できないということは、児童生徒から学校という
コミュニティの場を奪うということではないか

ということを、行政が見通した上での方針なのか
そうではないのか、非常に疑問です。

私は、この個別指導教室での専門家に使うお金を
より学校現場での即戦力、人員を少しでも
増やすべきだと思っています。

実は先日、ある特別支援学校に行ってきました。
そこでの先生方の連携力は非常に素晴らしいもので
何かトラブルがあれば3人以上の先生方が集まり
情報を共有し、相談しあい、常にその場での
冷静でベストな選択を取ることが
丁寧にできているように私には思えました。

そこでは児童生徒の数は決して少なくなく
普通(私が知る限りの)学校ならば
決してこんなに上手く組織が回らないだろうと
思えるようなところでした。

それでも、私が近くで見ていて感じたような
組織を上手く機能させているものは
教員にとっての、あらゆる面での余裕だと
いうことです。
人員の余裕や、気持ちの余裕、時間の余裕
これらが今、学校現場で最も必要とされている
ものではないかと感じたのです。

余裕がないから、指導しきれない。
でも指導をしないと職場放棄とされてしまうから
身を削って対応しようとするか、放棄する。
その結果、児童生徒には何も伝わらず
そこに学校は存在しなくなってしまっている

このような学校現場は決して少なくないと
感じるのは私だけでしょうか。

度々ですが、この度は更新が遅れてしまい
本当に申し訳ありませんでした。
これからも、時間があいてしまうことはありますが
ゆっくりでも確実に、更新していきたいと思いますので
どうぞ宜しくお願いします。

どうもこんばんわ。

1人の教育者です。

もう日付が変わろうと・・・変わっちゃった・・・
今日も出勤だ・・・はぁ~(´・ω・`)

いや、しかしこういう時こそ頑張らねば!!
ということで、今回から長編をスタートしようと思います。

テーマは「不登校が増えている理由」です。

私の考えでは、この理由は大きくわけて
子ども自身の学校に対する価値観、家庭を含めた学校の環境
子どもの内的成長、の3つに分別されると思っています。

具体的に言えば、人生色々あるよね。で終わってしまうのですが
教育者としては、そうも言っていられません。
学校の必要性が問われる問題ならば向き合わなければいけない。

私がこの3つの理由の中でも、最も強調したいことは
家庭を含めた学校の環境、つまり家庭の中でも
学校の中でも、子どもがもっと学校に行きたい
学校で学びたいという気持ちを持てているか、ということです。


まずは格差社会について。
現代の日本ではいたるところで格差社会を目にします。
それは学校も例外ではありません。
子どもの世界では顕著にみられるような気がします。

それは大人の世界と違って
高所得の家庭の子も、低所得の家庭の子も
ルールが厳しい家庭の子も、ルールが緩い家庭の子も
みんな同じ一つの教室にいるからです。

そして、昔は意識されなかった格差社会というものが
今の子ども達にとって、一つの強烈なコンプレックスになり
様々な人間形成の場面でのハンディキャップとなっています。

その中には、携帯やゲーム機やパソコン、タブレット端末
などといった昔では余り目にしなかったものが多々あります。

困ったことにこれらの中にも、古いバージョンのものと
先進的な新しいものとの差別化が起きています。
互換性というものですね。
古いものは新しいものでも使えるけど
新しいものは古いものでは使えない。

良い例がスマートフォンです。
LINEというアプリは度々メディアにも取り上げられ
今ではすっかり有名なSNSですが
今現在、このLINEやカカオトークなどといったスマホの知識は
教員にとって必要不可欠になっています。
それは、これらが原因の差別化が絶えないからです。

先日gooニュースに、中学生の娘にスマホを持たせるべきか?
という記事が取り上げられていました。

スマホを持たせることに賛成の親もいれば反対の親もいます。

私が本当に言及したいのは、賛成にせよ
反対にせよ、子どもがきちんと納得しているか
ということです。
親の意見を押しつけていませんか?

子どもには子どもの視点があります。
もちろん親にも見えない視点があるのです。
そういう部分を共有し理解しえない場合
子どもが学校に行きづらくなっている環境を
家庭の中で作っているのかもしれません。



次回は、「学校に行く必要がない理由」というサブテーマで記事を書こうと思います。


ご意見、ご感想ありましたら、お気軽にコメント下さい。
なるべく早く返します。




すいません。

大切なことが抜けていました。

隔離される問題児の視点で、大切なことが一つ。

問題児にとっては、隔離されることで
その学校で教育を受ける権利を奪われることに
なるのではないか、ということです。

好きな先生がいて、仲のいい友達がいて
好きな異性もいるかもしれない。
授業のみに関わらず、生活面や人間付き合い
人間性を形成する役割として大きく担っている学校が
授業を妨害するという理由で、この権利を奪って良いのか?
ということです。

万が一、クラスの半分以上が問題児であったとしたら?
その大半の子ども達を隔離するのでしょうか?
そのような状況で学級経営を行って育った子どもは
社会に出た時に、対応できるのか?

ここには、学校に求められているものが
大きく関わってくると思います。
教育を、その中でも勉強、成績、学業といったものを
特に重要視しているのが世論だとしたなら
問題児の視点を優先すべきではない、という
考え方に至るかもしれません。

しかし、教育を、どんな人間とも関われる力
繋がれる力、人間性を育む、ということが
特に重要視されているのだとしたら
問題児の視点は決して無視すべきでは
ないと思うのです。

私は教育者としてどちらを選択すべきなのか
こういったことを踏まえて、もっと自分と向き合わなければ
いけないと思いました。






さて、本当は先にもっと記事にしたいことが多々あるのですが
大阪市教育委員会が大きな決断をしたことが
現在大変マスコミを賑わせているので
これについてふれてみたいと思います。

とは言ったものの、私は教育界では決して大きな権限は
持っていないし、私がここで一つ意思表示をしたところで
何かが変わるとは思っていません。

でも、少なくとも教育に携わる人間の一人として
こういう考えを持っているんだよ、という事実を示すことで
教育に対しさまざまな観点から
批評して下さってる(より良くしようという想いから)方々に
何かが伝わればいいな、と思っています。

第2回の記事にも書きましたが現在の多くの公立学校では
問題のある子どもを教室から隔離する、または席に座らせず
ずっと立たせる等の指導は体罰にあたるとされています。

大阪市教育委員会の今回の決断はこれを容認する
ということになるわけです。
橋本市長はこの決断について
「特別な指導が必要な生徒に対しては、きちっと特別な体制でやっていく」
と述べ、子どもの問題行動を5段階にレベル分けしました。

レベル① 無断欠席や遅刻など
レベル② 攻撃的な言動・授業妨害など
レベル③ 暴力・著しい授業妨害など
レベル④ 重い暴力・違法薬物所持など
レベル⑤ 極めて重い暴力・凶器の所持など

この中でもレベル④、レベル⑤に当たる子どもは本来の教室から
隔離され、専門性をもったスタッフが配置された「個別指導教室」で
指導されるようにするというものです。

子どもを隔離する。そこで担当の教員とは違った専門スタッフが
指導を行う、ということは、担当の教員にとってその子どもへの
「指導の放棄」となるわけです。

例えば、これを大阪市以外の都市でやったらどうなるか?

あくまで隔離しても、それは教育の一環であり
担当の教員自らが指導していた場合は問題ありません。

しかし、別の教員にバトンタッチする、ということは
許されていません。できないのです。
この場合は職務放棄となり、職務規定に違反します。
よって管理職から懲戒を与えられる可能性があります。
(ここらへんは専門ではないのでもしかしたら間違っているかもです)

ですが、大阪市はそれを今回の方針決定で行政判断として
可能にした、ということになります。

一見、非常に効率が良い、システマティックな方針だと思いますが
実は、ここには教育の概念を左右する
非常に、大きな決断が含まれています。

それは、子どもにとっての自己肯定感、自尊感情
つまり、「大事にされているという実感」をも隔離する
ということです。

これは本当に非常に大切なもので
教育の「原点」でもあると言っても過言ではないと思います。

子どもにとって、人から(教員だけに限りません)大事にされている
実感が持てないということは、その人間関係の上に信頼が
生まれない、ということでもあります。
信頼が存在しない人間関係の上に教育は成り立たないのです。

ということは・・・どういうこと?

つまり

教員がある子どもに対し、教室から隔離するという
教育方針をとった場合(例えそれが一時的であっても)
その教員と子どもの間での信頼関係が、崩壊し
教育が成り立たなくなるということです。

その結果、その子どもにとっては、特定の学校に
通学する必要性が無くなってしまうのです。
「別にフリースクールで良くない?」、と。

こうなってくると最早学校の概念が問われる形に
なってしまうのではないか、と懸念してしまいます。

しかし、問題のある子どもによって真面目な子ども達が
非常に迷惑していることも事実です。

私としては、このレベル④、⑤に至る子どもと対面した
経験がないのでなんとも言えません。

仮に私が学校関係者であったなら
迷わず隔離を選択すると思います。
現場ではそういったことで迷惑をしている子ども達が
沢山いるからです。

仮に私が一人の保護者であった場合
迷いながらも隔離を選択すると思います。
そういった子どもとの付き合いも勉強の1つですが
やはり我が子となると、度が過ぎるのは
恐れが伴ってしまいます。

仮に私が行政の立場であったなら
悩みながらも現状維持(隔離しない)を
選択すると思います。
義務教育というものがある以上
教員は子どもを選んではいけない、と思うからです。

従って、私の中では2:1で隔離に賛成です。

みなさんはどう思いますか?どう考えますか?

是非ご意見、ご感想お待ちしています。
どうもこんにちわ。
一人の教育者です。

今日は前回の続きをお話ししたいと思います。

前回の記事では、今現在の教員のメンタルヘルスの原因と
それに対する一人の研究者を紹介しました。

この教職員のメンタルヘルスの問題は本当に深刻です。
文部科学省によれば日本全国の公立学校教職員の
平成24年度における精神疾患による病気休職者は4960人で
これは、なんと休職者のうちの57%も占めているのです。

前回でもふれましたが、こうした問題が教員個々の健康問題だけに
留まらず、学校現場でのトラブル、はたまた学校全体の機能低下に
繋がりかねないのです。

これが示すところのつまりは、教員の環境における問題が
余りにも深刻なために、既に子ども達に甚大な影響を
及ぼしているのではないか、という疑問に繋がります。

この大きな問題に、気が付いている人は多くいるのですが
実際に行動している人、手を打っている行政は本当に少ないのです。

実は、こういった現状の中でも、この問題に着目し
計り知れぬ苦労の末に、成功に近づいている市を紹介させて下さい。

埼玉県川口市の学校教職員メンタルヘルスチーフカウンセラーの
土井一博先生は、この問題にいち早く取り組み、川口市の行政と協力し
平成25年には、川口市内の公立学校教職員47名の危機介入を防ぐ
ことに成功しました。

*ここでいう危機介入とは
慢性的な不眠や食欲不振・体重の著しい減少等の身体症状のほか
以下の要因による出勤拒否のことです。
①一か月に休暇や遅刻・早退などの合計が三回以上ある教員
②仕事上のミスが多くなる、仕事が終わらない、授業に遅れる
お金の計算を間違えるなどの日常に支障をきたしている状態の教員
③人前で突然キレる、大声で泣き出す等の情緒不安定の状態の教員
④子どもとのコミュニケーション不全等による学級崩壊で休暇をとっている教員

ここで非常に大事になってくるのは、この47名という数字を
どうとらえるか、ということです。

例えば、休職者が一人出た場合の人件費について考えてみます。
(ここではあくまで行政の立場をとった視点ですが
学校現場をより良くするためには必要不可欠なステップとして
我慢して聞いて下さい)

教員一人当たりの年間の人件費を300万円とすると
休職者が出た場合、その休職者に払う300万円と
代替教員に支払う人件費300万円で年間600万の
人件費が必要となります。
その他諸々の行政や学校での手続き等での損失が200万円分とすると
年間200万円で済むところが800万円かかるわけです。

つまり少なく見積もっても600万円の余計な出費がかかります。
(実際に土井先生は800万円相当とおっしゃっていました)

ということは、47人の危機介入を回避したとなると

600(万円)×47(人)=2.8億(円)

つまり少なくとも2.8億円分の損害を回避したことになるのです。
(実際に土井先生の計算では3.7億円相当だそうです)

このとてつもなく大きな額のお金が、仮に学校の様々な面に
投資できていたらと仮定するとどのようなことが想像できますか?

IPadを全生徒に配布、教科書無償化、給食費無償化
学校設備拡大などなど、様々なことが実現可能になってきます。

しかし、これは行政の協力があってこその、結果である
ということを忘れてはなりません。

私は土井先生からこのお話をお聞きした時
こんなに日本の教育に情熱をささげる人にだからこそ
訪れた一つの奇跡のように感じました。

ですが、これは奇跡ではあってはならないのです。

現に苦しんでいる先生、子ども、保護者が数えきれない程いる
学校現場で、問題が解決したことが奇跡ではあってはならないと
私は思います。

いかに、この教職員のメンタルヘルスに取り組むか。

今後の国の動向、行政の方向性が問われる時だと思うのです。

次回は今現在マスコミを賑わせている大阪市教育委員会の
問題児における教室隔離について考えてみようと思います。

ご意見、ご感想等ありましたら是非よろしくお願いします。


引用文献
埼玉県川口市内の学校教職員のメンタルヘルス実態調査