ルウとモエギが口をあんぐり開けて、シドはお茶をひっくり返して立ち上がった。
「えっ…?、なっ?、そんな・・・はあっ?!!。」
余りに唐突な話に、頭の回路が付いて行かない。
「儂も馬鹿なと思ったわい。
しかし、長老の一番下の孫息子殿…スオウ殿と…、頻繁に湖の畔を仲睦まじく歩いていたり…。」
「スオウ殿だって?!。」
シドは立ち上がったままもう一度叫んだ。
スオウはシドよりちょっと年上の、修練所の先輩教官だ。
シドに大量の講義を割り振って多忙にさせた張本人でもある。
「そう、そのスオウ殿と娘御が馬に乗ってそっと砂漠へ出掛けるのも見掛けたのじゃ。」
「そ、そ・ん・な・・・・・」
シドは池の底の水草の様にゆらゆら揺れた。
皆が顔見知りの狭い部落。
男女が二人きりで外へ出掛けるのは、付き合っているって事…と、暗黙の了解があった。
「だから儂は個人的に訪ねに来たのだ。
スオウ殿は小さい時から見知っている。 幸せになって貰いたい。
相手が真剣で無かったらお可哀想じゃ。」
「・・・・・・」
「スオウか。 確かにイケメンで要領の良い奴だな。 女の子に人気がある…。」
顎に手を当てて妙に納得するモエギの前を横切って、シドはフラフラと戸口へ向かった。
「た、確かめて…来ます…。」
もつれる足で色んな物に躓(つまず)きながら外へ出たシドの頭上に、今一番会いたくないヒトの声がした。
「まったく飽きさせないな。 西風の連中は。」
屋根の上に腰掛けているのは、半笑いの漆黒のハトゥンだ。
「よっ!、寝盗られ男!!。」
「ハ、ハトゥン様!、いくら貴方でも…!。」
「いくら俺でも、何だよ。」
ハトゥンはひらりとシドの真ん前に降りて、額をピンと弾いた。
「だから子供だってんだ、お前は。 彼女に会って何て言う?。
責めるのか?。 婚約者から彼女を略奪したお前が。」
「…………・・・。」
「頭を冷やして、馬曳いて来い。 彼女はさっき砂漠の方へ飛んで行った。」
いつの間にか、ハトゥンは自分の黒衣の馬を曳いていた。
「エノシラは一人でしたか…?。」
ハトゥンと馬を並べて砂を駆けながら、シドは俯いて聞いた。
「ああ、エノシラ一人と、青い目の色男一人…。」
「………!!。」
「だから、落ち着け。」
ハトゥンはシドの青毛の手綱を掴んで停止させた。
「何を落ち着くんです…?!。 貴方に何が分かるってんです?。
モエギ様の気楽な通いダンナで、何の責任も背負っていない貴方に。」
ハトゥンの漆黒の瞳の奥に一瞬稲妻が過(よぎ)ったが、すぐ消えた。
「……ああ、俺は何も背負っていない。 今はな…。」
「………?。」
「俺の女房と娘の価値を、女の基準を純潔かどうかなんてので測る西風のボンクラどもがいつまでも気付かないのなら、いつでも拐(さら)って行ってやる。
それをしないのは、あの二人が西風を大事に思っているからだ。
あいつらが大事にしている物、全部引っくるめて、俺はあいつらを愛す。」
「…………。」
砂丘を越えた岩山に、少しの灌木と地衣類の緑が覆う場所があり、おさげ娘と草の馬はそこに居た。
スオウの姿は見えない。
エノシラは、近寄って来るシドに気付いて、明らかに罰悪い表情をした。
「エノシラ?。」
岩の裏から声がして、色男の登場だ。
筋肉の見本市みたいな美しい体型に理知的な顔立ち、
人当たりも良くて人気者で、おまけに長老の孫…と、三拍子も四拍子も揃っているスオウだ。
「あれ?、シド教官。 何でここに……?。」
「俺がお前に用がある!。」
ハトゥンがいきなりスオウの腕を組んで、否応無しに岩山の向こうへ引きずって行った。
去り際に横目でシドをギロリと睨んだ。
自力でちゃんとケリを着けろ!、って目だ。
「………………。」
「………………。」
エノシラは情けない顔でスオウが引っ張られて行った方向を気にしている。
シドの頭の中は、必死で落ち着こうとする天使軍と、暴れまわろうとする悪魔軍の大合戦が繰り広げられていた。
「あ―……。」
長いか短いか分からない時間が過ぎて、シドが裏返った声を発した。
辛うじて天使軍が勝利した様だ。
「その…、エノシラ……、僕は、君が、大事だ。
君の大事な物、みんな引っくるめて、君を大事に思う事にした。
例え、その…、君が…、僕の他に、どんな大事な物が出来ようと……。」
「本当ですか!?。」
おさげ娘は目を輝かせて顔を上げた。
「良いんですか!?。」
「あ……ああ……。」
「ありがとう!、嬉しい!、シドさん…!!。」
エノシラは駆け寄ってシドの両手首を掴んだ。
当のシドは、生きた亀虫を呑み込んだみたいな情けない顔をしている。
そんなに大喜びしなくったって………。
「良かったな、エノシラ!。」
斜め後ろで色男の声がした。
建前も上司もあるか!、一発殴ってやる…!!。
鼻息荒く振り向いたシドだったが、振り上げた拳は行き場を無くした。
「あれぇ…セーンセ…。」
「シド先生だぁ。」
そこには修練所の子供が十人ばかり、目を丸くしてシドを見ていた。
真ん中でスオウがニコニコしている。
「エノシラに、薬草の知識の講義をして貰っていたんだ。
私の知らない事を沢山知っていて、助かったよ。」
「………………………………………………………………。」
シドは長ぁい、長ぁ~い時間を掛けて、目の焦点を、遠くで斜に構えてニヤニヤしているハトゥンに合わせた。
「だって、俺、『二人きりで出掛けた』なんて、ひとっ言も言ってないぜぇ……。」
*****
「エノシラは、私の祖父を助けてくれたんだ。」
シドは岩山に並んで腰掛けて、スオウの話をぼぉっと聞いている。
上がったり下がったりの感情はヘトヘトで、何かを聞き返す気力も無い。
「最初、挨拶に来た時から、寝たきりの祖父を凄く気にしてくれていたらしくて…、
蒼の里の自分の師匠に治療法を問い合わせてくれたんだ。」
「……………。」
あの僅かの紙片をその事に使ったのか…エノシラらしい……。
「何日か後、薬が届いたって持って来てくれた。 随分朝早くに息急(いきせ)ききって。」
「………………。」
「その薬を飲んで、言われる通りのリハビリをしたら、祖父はみるみる良くなってね。
今では伝い歩きしている。 彼女、マッサージにも通ってくれたんだ。」
スオウは遠くの窪地で子供達に苔の解説をしているエノシラを眺めて目を細めた。
「僕…一言も聞いてない……。 今日の授業だって……。」
シドがうつ向いたままボソボソ言うのに、スオウは気の毒そうな顔をした。
「すまないな。 祖父が失礼を言って…、それで、拗(こじ)れさせてしまったんだ。」
シドは顔を上げた。
「あの朝、薬を飲んだら、一発で身体の痛みが引いてね。
感謝すべきなのに、愚痴を溢(こぼ)したんだ。
蒼の里にはこんな良い薬があるのに、シドもソラも持って帰ってくれようともしなかったって。」
「!!、なっ…!!、それは…!!。」
思わず顔を向けたシドを、スオウは真正面から見つめていた。
「分かっているよ。 君もソラも博学ではあるけれど、医学は専門外だ。
蒼の里の医療についてはほとんど知らないんだって…、エノシラがすぐに言ったよ。」
「………………。」
「でもね、それで彼女、思い悩んでしまったんだ。
自分の常識で良かれと思ってやった事が、ここ西風では思わぬ方向へ転ぶ。
やりたい事はあるのに、怖くて出来ない…、 そんな悩みを私が知ったのも最近だけれどね。
彼女、大好きな水辺にすら怖くて行けなかったんだ。
それで、一緒に付いて歩いてあげた。 その時、ポチポチと話してくれた。」
シドはまた足元に視線を落とした。
悩みなら、僕に打ち明けてくれればいいのに……。
「祖父のマッサージは私が強く頼んで、来て貰っていたんだ。 彼女の整体術は一級品だよ。
聞けば、蒼の里では立派な医師に付いて助産師の勉強をしていたって言うじゃないか。
それは是非とも、この地で生かすべきだって言ったんだ。 でも、彼女…、駄目だって。」
「……………………。」
「君や、モエギ殿に迷惑かけるって。
女性を決闘で獲るような習慣の部族で、女性が出過ぎた事をやると、またおかしな事になるって。」
「……………………。」
「ねえ、シド…。 彼女、考え過ぎてダメになっちゃうタイプじゃない?。」
「…………そうです…。」
「それでねぇ…、私も色々考えて……、
元老院の目の届かない所で、何か簡単な事をやって成功したら、自信が着くんじゃないかと思ったんだ。
子供が好きだって言うから、口の堅い子供達を集めて、内緒の授業をやってみないかって。」
「………………。」
「下見とか入念にやって、今日の運びとなったんだけれど…、 モエギ殿の夫君に見られていたとはね。」
ハトゥンは遠(とお)に姿を消していた。
今頃、事の顛末をモエギ達に話して大笑いしているのかも知れない。
「そんな所だよ。 色々黙っていて済まなかったな。」
スオウは太陽の位置を見て立ち上がった。
そろそろ帰る時間だ。
シドも立ち上がった。
言わなきゃ…。
磔(はりつけ)台に登る囚人の心持ちだ。
「貴方の方がエノシラを分かってあげられる。 エノシラも貴方を信頼している。」
スオウは真顔で黙って振り向いた。
「何か……、安心しました…。 その…、エノシラを宜しくお願いします……。」
スオウの驚愕の視線がシドを通り越した後ろに集中している。
シドが振り向くと、そこには凍り付いた表情のエノシラが居た。
何か行き違いがあったみたいだね、私は子供達を連れて帰るから、二人でゆっくり話し合うと良い…。
スオウは大人らしい采配をして、子供達を率いてさっさと去って行ってしまった。
シドは立ち尽くしていた。
スオウとエノシラは自分が思うような仲では無かったのか?。
それでもエノシラがより多くを語り、真実の姿を見せていたのは、彼だったじゃないか。
「シドさん……。」
エノシラのシンとした声。
おさげ娘は能面みたいな顔で、岩の上に真っ直ぐに立っていた。
「さっき、シドさんが、あたしの好きなモノをまとめて好きになってくれるって言ってくれた時、嬉しかった。
あたしのやりたい事も、希望も、みんな受け止めて貰えると思った。」
「……………。」
「でも、シドさん、別の意味で言ったんですね…。」
「……………。」
「なら、あたしがシドさんに言う事は一つです。」
無表情のまま、ふっくらした目の下から、涙がホトホトと溢れた。
「エ…、エノシラ…?。」
「帰る……。」
「えっ…?。」
「帰る帰る…!。 蒼の里へ帰るぅううう――!!!!。」
いきなり顔をグシャッと丸めて、おさげ娘は天を仰いで泣き出した。
「エノシラ、エノシラ、落ち着いて…。」
「やだやだ!、もう嫌!!。 帰る!、帰りたい!!、やだあ――!!!。
あ―んあ―んうえーんうえ゛え゛ぇぇぇ―――んん゛―――!!!」
触れようとすると、振り回す腕に弾かれる。
シドは心底途方に暮れた。
雀蜂の大群を相手にする方がまだ楽だ。
「分かった、分かったから、エノシラ…、無理してでも休みを取るよ。
蒼の里まで送って行くから…。」
泣きじゃくっていた娘がゼンマイが切れたみたいにプツッと止まった。
涙でグニャグニャになった瞳で、初めてのヒトを見るみたいにシドをマジマジと見る。
口が金魚みたいにパクパクした。
次の瞬間、エノシラの瞳は、シドの後ろを回転しながら飛んでくる物体を映した。
――スッコォォォン!!!!!――
シドは良い音させて吹っ飛び、久々の跳び回し蹴りを決めたルウが本日二度目の台詞を吐いた。
「大馬鹿野郎おぉぉ――!!!。」



