※聖教新聞 2010年4月21日付から引用させて頂きました。

60歳で念願の税理士に 【大阪市H区】

[創価学会・体験談]

自身と家族を襲った病魔に打ち勝ち、昨年、念願の税理士資格を取得したIHさん(60)。短期大学に勤務し、学校経営の要職を担うなかでの快挙だ。若き日の誓いを果たした今も、挑戦の心意気は変わらない。

<あきらめるな>

60歳を数年後に控えたある日のこと。仕事関係の先輩から、税理士の資格を取得すれば、と促された。実は、20歳代半ばまでに、取得に必要な5科目のうち4科目に合格。あと1科目までこぎ着けたものの、どうしても最後の壁を突破できなかった。そしてそのまま、約30年の歳月が流れてしまった。そのことを知っていた先輩はIさんに、大学院の修士課程を修了すれば、残る1科目は免除されるのでは、とアドバイスし、「夢をあきらめるな」と奮起を促したのだ。しかし、還暦も間近の自分が、まさか大学院に合格できるとは思えなかった。仮にできても、短期大学で庶務会計課長の重責を担う多忙の日々……。勉強の時間を十分に割けるはずもない。

ただ、友人の厚意を無にできず、大阪経済大学の大学院(経営情報研究科)を受験。それが、合格してしまったのだ。さて入学すべきかどうか、と葛藤する中、若き日の誓いが蘇った。"御本尊からいただいた、最後のチャンス。どんなことがあっても、税理士になろう!"職場に迷惑はかけられない。仕事を終えたその足で、大学院へ。帰宅はいつも、日付が変わる直前だった。通勤に時間がかかるため、起床は午前4時過ぎ。体力的にも疲れは激しかった。しかし、"どんなことがあっても、やり抜いてみせる"。その強い意志が揺らぐことはなかった。

<夢を失わず>

入会は15歳の時。重度の結核を患っていた父は、手術で一命を取り留めたものの、無理が利かない体に。母が身を粉にして働き、家計を支えた。手に職を付けて、両親を楽にさせたいと、工業高校を受験。しかし、結果は不台格。やむなく、商業高校へ。そこで、職業会計人の仕事があることを知った。猛勉強の末、高校卒業までに日商簿記1級の資格を取得。進学した大学では、公認会計士でもあったゼミ担当教授の助言に従い、税理士を目指すことを決意。在学中、「事業税」「簿記論」に合格した。大学を卒業後、一般の会社に就職。その後、相次いで「法人税法」「所得税法」に合格。残るは「財務諸表論」だけとなった。しかし、妻のE子さん(60)との間に二人の子どもが誕生。組織でも、男子部のリーダーとして同志の激励に駆ける毎日。次第に勉強時間を確保できなくなっていった。それでも、まだ税理士への夢は失ってはいなかった。そうした最中、Iさん一家に試練が訪れる。

<道が開かれた>

体調を壊したE子さんは、病院で「肝炎」と診断された。入院はーカ月半に及んだ。E子さんが退院したのもつかの間、今度は長男が急性肝炎に。黄だん症状も激しかった。わずか2歳の体には負担が大きく、医師から命の危険を告げられた。病室のベッドに、ぐったり横たわるわが子の姿に、胸が締め付けられた。夫婦二人して自宅の御本尊に向かい、猛然と祈った。夫妻の真剣な一念が通じたのか、劇的に回復。1週間後、退院することができた。だが、障魔の嵐は、やまなかった。仕事から帰宅したIさんは、激しい頭痛に襲われた。頭を抱え、のたうち回った。急ぎ病院へ。C型肝炎が劇症化していた。

幸いにも、抗体ができて回復したが、退院まで3ヵ月を要した。「"なぜ、ここまで苦しまないといけないのか"と悩んだりもしました。しかし、ある時、"病気を通して、信心を鍛え直していただいているんだ"と気付いたんです」感謝の思いを胸に、学会では支部長、本部長として奮闘。仕事も高校の非常勤講師等を経て、現在、勤務する学校法人では経営の一端を任されるまでに。一方で、どうしても「財務諸表論」に合格できず、資格取得を断念した。そんなIさんに、30年の時を経て、税理士への遵が開かれたのだ。E子さんが体を心配するほど、2年間、勉学に励んだ。その苦闘が実り、昨年春、修士課程を修了。国税庁に提出した論文も承認され、同7月、念願の税理士登録を勝ち取ることができた。修士論文を次の一文で締めくくった。「60にしてさらに若く、生涯青春の気概sで」――青年の息吹をみなぎらせ、Iさんは"2の人生"を力強く歩み始めた。(関西支社編集部発)



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