僕はこのブログで自身の留学生活について書く。
もちろんそれは、人によってはふとした瞬間に切れる単四電池ほどに興味が無いことなのかもしれないけれど、単四電池にも小さいながらそれなりの存在価値はあるのだ。僕が日本から唯一持ってきた電池だって単四電池だ。テレビのリモコンにだって使える。それにしてもリモコンの電池はいつ切れるのだろうか?ずっと微力な電力を放出し続け、リモコンの中にあり続ける単四電池の人生というのは果たして充実しているといえるのだろうか。爆発的なエネルギーを放出し、一瞬にして寿命を終える電池とどちらが幸せなのだろう。もちろんそんなことは誰にも決めることはできない。結局のところ、世界には人々の様々な価値観で溢れている。
確かに僕はアメリカに留学をしている。見ての通りだ。日本中のどこを探しても僕はそこにはいない。大学の図書館、ファミレス、マクドナルド、池袋、札幌。どこを探しても誰も僕を見つけることはできないはずだ。とはいえ、僕はこうしてブログを更新しているわけだし、生きている。決して日本にいないからといって僕が死んだわけではない。
何がいいたいかといえば、何も留学することがそんなに特別なことではないということだ。
これは僕の個人的な感覚である。
正直なところ、僕は留学先でも何も変わらず生きている。心踊るほどに楽しいこともあれば、半日ほどベッドで寝転がりたいほどにうんざりすることもある。こちらでも学校には通ってるし、一日に何章かは必ず本を読む。相変わらず一日二食生活だし、夜は深夜三時に寝て、朝は十時前に自然と起きる。もちろんアラームは付けていない。(ちなみに学校はお昼から)
この部分だけ見れば、僕は日本にいるのか、アメリカにいるのか、まったくわかったもんじゃない。
たまたま、おととい、ナイアガラの滝を見て、水しぶきを頭から浴び、昨日は19歳のサウジアラビア出身のオーマー君と恐ろしくつまらない映画を見て、しまいにはお昼ご飯をおごってもらっただけである。
ただ、それが何も特別なことをしているという自覚は僕にはほとんどない。
つまりはナイアガラの滝を見に行くのだって、たまたま今僕がアメリカにいたからであって、日本の華厳の滝に見に行くことと何も変わらない感覚なのだ。年下に千円近くおごってもらうというのはたしかになかなか無い状況ではあるけれど、まあ、彼が単純に金持ちだったのだ。(結構びっくりした)
留学をするということで、初めのうち、とても大きなものが僕を縛り付けようとした。
それはうまく言葉では説明しきれないほどに大きなものだった。今でもそのことがたまに頭をよぎるし、肩に力が入る。だけれど、僕はどうも束縛されることに向いてないみたいだった。
声を大にしては言いにくいことだけれど、学生のほとんどが留学という、とてつもないプレッシャーに押しつぶされているように僕にはみえる。
もちろんそれが悪いといいたいわけではない。単純にそういうことが僕には向いていないだけなのだ。
英語を話さなくてはならない、だとか、一年間でペラペラになって帰ってこなくちゃ、だとか、ずっと外国人と一緒にいて会話の練習しよう!、お金めっちゃかかってるしな~、とかそういう考えははっきり言ってとてもうんざりすることなのだ。
僕みたいにこんなことを言うことはもしかしたらとてつもなく贅沢なことなのかもしれない。「留学行きたくても行けない人もいるんだぞ!!」と僕にくってかかる人もいるかもしれない。
じゃあ、「留学するって何だ?」と僕は問う。
もちろん答えは無い。単四電池と同じだ。単四電池の生き方の善し悪しなど誰にも決められない。
だからこそ、僕はそのプレッシャーに対して強く抵抗しているのだ。
ここだけは誤解してほしくないことなのだけどね、
僕は、留学生の生き方に対して、自分のやり方を強く主張しているわけではないのだ。よくわからない外国人と積極的に話すわけでもないし、クラスでも友だちはオーマー君一人だ。学校の時間以外には基本的には本を読むか、寝転がるかだし、黒人のノリに合わせることなんて正直ごめんである。
そうではないのだ。
プレッシャーの存在に対して僕は怒っているのだ。
留学生のほとんどが一度はそのプレッシャーに苦しむ。そんなふざけたプレッシャーなど無くていい。留学することで生まれるノルマなんてものは無い。
もちろん僕は留学先で怠けることをおすすめしているわけではない。(もちろんわかってもらえるだろうけれど。)
ただ、今このテーマを扱うには僕の言葉が足りなすぎる気がする。今の段階では僕の言葉では、「そういうことじゃないんだ」と言うことしかできないみたいだ。
「そうなんだよ。そういうことじゃないんだよ。プレッシャーを生み出す人よ、そういうことじゃないんだ。プレッシャーなんてものはないし、造り出す必要もないんだ。留学して、皆同じような人間になって帰ってきたら気持ち悪くないか?だからといって留学先で自由に生きろってわけでもないんだけどさ。なんとかわかってくれるだろうか。そういうことじゃないんだ」
もちろんそれは、人によってはふとした瞬間に切れる単四電池ほどに興味が無いことなのかもしれないけれど、単四電池にも小さいながらそれなりの存在価値はあるのだ。僕が日本から唯一持ってきた電池だって単四電池だ。テレビのリモコンにだって使える。それにしてもリモコンの電池はいつ切れるのだろうか?ずっと微力な電力を放出し続け、リモコンの中にあり続ける単四電池の人生というのは果たして充実しているといえるのだろうか。爆発的なエネルギーを放出し、一瞬にして寿命を終える電池とどちらが幸せなのだろう。もちろんそんなことは誰にも決めることはできない。結局のところ、世界には人々の様々な価値観で溢れている。
確かに僕はアメリカに留学をしている。見ての通りだ。日本中のどこを探しても僕はそこにはいない。大学の図書館、ファミレス、マクドナルド、池袋、札幌。どこを探しても誰も僕を見つけることはできないはずだ。とはいえ、僕はこうしてブログを更新しているわけだし、生きている。決して日本にいないからといって僕が死んだわけではない。
何がいいたいかといえば、何も留学することがそんなに特別なことではないということだ。
これは僕の個人的な感覚である。
正直なところ、僕は留学先でも何も変わらず生きている。心踊るほどに楽しいこともあれば、半日ほどベッドで寝転がりたいほどにうんざりすることもある。こちらでも学校には通ってるし、一日に何章かは必ず本を読む。相変わらず一日二食生活だし、夜は深夜三時に寝て、朝は十時前に自然と起きる。もちろんアラームは付けていない。(ちなみに学校はお昼から)
この部分だけ見れば、僕は日本にいるのか、アメリカにいるのか、まったくわかったもんじゃない。
たまたま、おととい、ナイアガラの滝を見て、水しぶきを頭から浴び、昨日は19歳のサウジアラビア出身のオーマー君と恐ろしくつまらない映画を見て、しまいにはお昼ご飯をおごってもらっただけである。
ただ、それが何も特別なことをしているという自覚は僕にはほとんどない。
つまりはナイアガラの滝を見に行くのだって、たまたま今僕がアメリカにいたからであって、日本の華厳の滝に見に行くことと何も変わらない感覚なのだ。年下に千円近くおごってもらうというのはたしかになかなか無い状況ではあるけれど、まあ、彼が単純に金持ちだったのだ。(結構びっくりした)
留学をするということで、初めのうち、とても大きなものが僕を縛り付けようとした。
それはうまく言葉では説明しきれないほどに大きなものだった。今でもそのことがたまに頭をよぎるし、肩に力が入る。だけれど、僕はどうも束縛されることに向いてないみたいだった。
声を大にしては言いにくいことだけれど、学生のほとんどが留学という、とてつもないプレッシャーに押しつぶされているように僕にはみえる。
もちろんそれが悪いといいたいわけではない。単純にそういうことが僕には向いていないだけなのだ。
英語を話さなくてはならない、だとか、一年間でペラペラになって帰ってこなくちゃ、だとか、ずっと外国人と一緒にいて会話の練習しよう!、お金めっちゃかかってるしな~、とかそういう考えははっきり言ってとてもうんざりすることなのだ。
僕みたいにこんなことを言うことはもしかしたらとてつもなく贅沢なことなのかもしれない。「留学行きたくても行けない人もいるんだぞ!!」と僕にくってかかる人もいるかもしれない。
じゃあ、「留学するって何だ?」と僕は問う。
もちろん答えは無い。単四電池と同じだ。単四電池の生き方の善し悪しなど誰にも決められない。
だからこそ、僕はそのプレッシャーに対して強く抵抗しているのだ。
ここだけは誤解してほしくないことなのだけどね、
僕は、留学生の生き方に対して、自分のやり方を強く主張しているわけではないのだ。よくわからない外国人と積極的に話すわけでもないし、クラスでも友だちはオーマー君一人だ。学校の時間以外には基本的には本を読むか、寝転がるかだし、黒人のノリに合わせることなんて正直ごめんである。
そうではないのだ。
プレッシャーの存在に対して僕は怒っているのだ。
留学生のほとんどが一度はそのプレッシャーに苦しむ。そんなふざけたプレッシャーなど無くていい。留学することで生まれるノルマなんてものは無い。
もちろん僕は留学先で怠けることをおすすめしているわけではない。(もちろんわかってもらえるだろうけれど。)
ただ、今このテーマを扱うには僕の言葉が足りなすぎる気がする。今の段階では僕の言葉では、「そういうことじゃないんだ」と言うことしかできないみたいだ。
「そうなんだよ。そういうことじゃないんだよ。プレッシャーを生み出す人よ、そういうことじゃないんだ。プレッシャーなんてものはないし、造り出す必要もないんだ。留学して、皆同じような人間になって帰ってきたら気持ち悪くないか?だからといって留学先で自由に生きろってわけでもないんだけどさ。なんとかわかってくれるだろうか。そういうことじゃないんだ」