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はっきりいって、ほとんどわからなかった。
こんなに内容がわかっていないのに、はたして記事なんてものを書いていいのだろうか、とも思ったが、いやいや、決してこの記事は作品の解釈をのっける意図で書いていたわけではないし、あくまで感想を書いているのだから、じゃあ正直に「わからなかった」ということについて書こうじゃないかと思った。
村上春樹氏の解説によると、この作品はもともと『グレート・ギャツビー』のプロローグとして書かれたものらしい。となると、この作品に登場する、ルドルフ・ミラーは、ジェイ・ギャツビーの原型と考えていいかもしれない、ということだ。
『罪の赦し』(Absolution)は、まあずいぶんとほかの作品と比べて色が違う。油絵で描かれた絵画のような、そのくらいしっかりとしたものだ。カポーティの作品の色に似ている感じも受けた。もちろん、ほかの作者の色に似ている、なんてことを言うのはばかげたことだというのはわかっているけれど。
五章構成になっていて、一時間程度で読める短編となっている。
とりわけ、四章までは比較的面白い。読者に先を読ませる力がとても強く、またそのシリアスな感じが作品全体を覆っていて、結構読む側としても、まじめに読んでしまう。
しかし、最終章の五章に至っては、さっぱりである。神父が何を言ってるのかまったくわからない。第一章の冒頭を踏まえると、神父がなかなか病んでる男だというのは伝わる。だけれど、あまりに彼の発言が抽象的すぎて、結局のところ、本当に何を言ってるのかわからないまま作品が終わってしまった。
この話はかなりキリスト教の背景知識が必要とされる作品である。もちろん僕もまったくわからなかったので、ちょくちょくウィキペディアにお世話になった。漠然と言ってしまえば、「告解」と「聖体拝領」という二点について知っておくといいかもしれない。「告解」は、神父さんに自分が犯した罪について告白すること。キリスト色が強い映画で見たことがある。最近では『悪の法則』であった。「聖体拝領」とは、最後の晩餐にて、キリストが、パンとワインを手に持って「これが、俺の肉体。そしてこれが俺の血」といったことから、ミサにて教徒にパンとワインを食わせよう、みたいなそんな儀式のことだ。
ルドルフは幼い少年である。罪悪感を非常に強く感じる子どもである。自分が告解にて、嘘をついてしまった、という罪悪感から、聖体拝領でパンを食べさせられるとき「舌の上にべっとりとしたワックスのような聖餅の味を感じた」と、こう表現する。そして、罪を犯したまま聖体拝領を受けたことにより、「自分は悪魔に近づいている」そんな感覚を彼は感じ始めるのだった。強烈な罪悪感を彼は身の内に秘めるのだ。
要はこれが、冒頭でルドルフが神父に明かす自身の本当の告解である。
そうして神父は、神父としての務めを果たすべく彼に説教をするのだが、、、やはり彼の発言がぶっとんでいてわからない。これが僕が言ったところの最終章の部分なのだが。結局彼はわけのわからないことを言って、苦しんで床に倒れこんでしまう。やはり何かの病気だったのだろう。もしかしたら精神的なものかもしれない。毎日のように、他人の罪の告白話を受けているのだから。
それでも、なんとか読み解こうと思った。彼の発言の真意を。
まったくもって説明はできないが、それでもなんとなく、なんとなくであるがわかるような気がしないでもなかった。それは水で極端に薄めて描いた水彩画のように僕の頭の中で広がっていることだからだ。
「ブラッチフォード・サーミネントン」、そして神父から受けた説教によるルドルフの気づき。これがカギであると思う。わかったら追記したい。少なくとも授業前までには。