交際相手の女性に携帯電話から「死ねよ」などとメッセージを送り、飛び降り自殺させたとして、警視庁三田署は21日までに、川崎市中原区木月住吉町の慶応大3年、渡辺泰周容疑者(21)を自殺教唆の疑いで逮捕した。

逮捕容疑は昨年11月8日夜、交際していた慶応大3年の女子学生(当時21)に対し、無料通信アプリLINE(ライン)で「手首切るより飛び降りれば死ねるじゃん」などと送り、翌日朝、女性を港区のマンション8階の自室から飛び降り自殺させた疑い。

三田署によると、女性は渡辺容疑者からのメッセージを受け取った後、友人に自殺をほのめかすメールを送り、両親宛てに遺書も残していたという。

昨年11月に匿名の情報提供を受けた同署が調べていた。 (日本経済新聞)



[身近に潜む自殺教唆・・・]




ん~、びっくりしましたね。

いや、何にっていうと、メール(LINE)で自殺教唆が成立するんだ!!ってことだよね。

これはだから、考えようによっちゃすごい身近な問題だと思う。

ぶっちゃけた話、男子のノリで友達に「死ねよwww」みたいなことを言ったことがある。極論、それが原因で友達が自殺してしまったら、僕は自殺教唆になってしまうのだろうか!?


一応、wikipedia氏からの以下コピペ。

自殺教唆罪

自殺の決意を抱かせる事によって人を自殺させた場合に自殺教唆罪となる。この自殺の決意は自殺者の自由な意思決定に基づくものでなければならず、行為者が脅迫などの心理的・物理的強制を与えた事によって、自殺する以外に道がないと思わせたような場合には、その決意は自由な意思決定とは言えず、自殺教唆ではなく殺人となる。 また、意思能力がなく、自殺の意味を理解していない者に自殺の方法を教えて自殺させたような場合にも、自殺者の決意は自由な意思決定とは言えず、殺人となる。



「自殺の決意を抱かせることによって人を自殺させた場合」・・・ねえ。


さて、ネットではこんな画像が出回っています。拾い画です。



これを見る限りでは、たしかに自殺教唆が適用されるのもわからなくはないなぁって一瞬思いますけどね。でもさ、これが本当に「自殺の決意を抱かせることによって人を自殺させた場合」にあたるのかなって思うとやっぱり怖いよね。

もちろん僕はこの画像だけで、彼が有罪か無罪かを判断しようとしてるわけではないし、この記事もそういう意図で書いてるわけではないです。

でも、これってかなり身近な問題なのではないかなぁって思うね。

ちょっとこの事件をきっかけに僕が思ったことをこれから書いていきますね。



[メールって何?]


そこで僕は、メールっていったいなんなんだろうって思うわけだ。

メールってコミュニケーションツールとしてはたして適切なのかなってたまに思う。

もちろん、恐ろしく便利なツールだ。江戸時代のように、飛脚さんが必死こいて走りまくっていた時代に比べたら、情報の伝達という点は素晴らしく進歩したと思う。

だけれど、頼りすぎは少し怖いんじゃないかな、とも思う。


やっぱり、顔が見えないコミュニケーションってどうなのよ!?

現代に生きる皆さんならみんな実感したことあるでしょう。メールでのやりとりが予想外のトラブルを招いてしまったこと。


顔とは感情を表す部分だ。その部分が見えなければ、どうやって文章だけで感情を推し量ればいいのだろうか。それに、メールだからこそ、シンプルな文体になりがちだ。絵文字がついてるついてないだけで、どうして余計な思いをしなければならないのか?


メールは、情報伝達の点においてはとてつもなくすぐれていると思う。

遠く離れた人に、一度にまとめて複数に同じ情報を伝えることが可能だ。それはスケジュール伝達のときなどに大変な効果を発揮する。


しかしだ。多くのひとは、LINEなどのチャットツールを使って人と交流をはかる。

(そうだよ。メールだったときのがまだまともだった。LINEのほうがより手軽さが増して、自分の発言にあまり責任を持たなくなってしまった。それに「既読スルー問題」。あれなんか面倒くさくてしょうがないっての!)


顔が見えないことが弱点のため、それを補うつもりか、一応「絵文字」、「スタンプ」などを用意してくれてはいるが、そんなものをわざわざ考えなくてはいけないのか。

「あっ、ここで絵文字つけとかないと、無愛想に見えるなぁ。つけておこう」


僕なんか、ろくに絵文字をつけないから、モノクロのシンプルな文体を使う。

そのため、たまに「なに?怒ってるの?」と返信されることがあった。

まあ、さすがに、中学生時代に多かったなあとは思うが、今考えたら滑稽で仕方ないね。

なんだよこの面倒くさいツール。


というわけで、僕はメールを感情表現に使うのはあまり好ましくないと思っているのだ。

だからもう、もっと言ってしまえば、メールは事務的な情報伝達に使用をとどめるのがベストで、メールなんかで人とコミュニケーションを図ろうなんて、はなから間違っているのではないか。


今、現代に生きる僕たちにもっとも必要なことは

「直接コミュニケーション」なんだ。


直接話すんだ。面と向かって。

そうすれば、くだらない誤解なんて生まれない。そしてすぐに訂正できる。

友人・恋人に限らず、愛する人ならば、メールなんかではなく、直接愛を伝えればいい。恥ずかしいとかそういうのいいって。直接言われるほうが嬉しいはずなんだよ。それで抱きしめればいいじゃないか。愛を伝えたいのなら、一番伝わる方法で伝えろよ。

メールなんかで、くだらない誤解つくって、塀の外側で冷戦してんじゃないよ。伝えたい気持ちは、直接顔をみて話せよ。知らない間に気まずくなってる、とか一番ばかげてるじゃないか。もう十分生きてきたんだろう?どうして、昔できていたことが、今できなくなってるんだよ。

SNSだってそうさ。SNSと直接コミュニケーションどっちを信じるんだよ。SNSでなんか不穏な空気が流れていたとしても、直接会って、とてもいい雰囲気で話ができたんなら、そっちを信じてあげろよ。どうして、SNSで友達が減らなきゃいけないんだ。

ツイッターでフォロー外したからなんなんだよ。友達ならツイート見なきゃいけない義務でもあるのか?直接、学校で仲良く話できるんなら、なんでそっちを信じてあげられないんだよ。


本当にその人が好きならば、その人の本当を信じてあげようよ。


メールはメールですぐれている点は認めつつ、やっぱり、感情を伝えるツールとして使うには、少し頼りすぎな気もするわけだ。せっかく人間なんだ。LINEの向こう側が、電子知能を持ったコンピューターなのかもしれないんだぜ!?

やっぱり、SNSとかに触れていると、もう少し、直接コミュニケーションの重要性という視点を持たなければならない人が多いように思う。

ぜひ、多くの人が、人を信じられるように。

少なくとも、僕の友人だけでも・・・・・。