僕が人に対して得意になれるときは三つある。
一つは、体育で器械体操をするとき。
一つは、僕の眼鏡を友達にかけさせるとき。
そして最後の一つは、東京で雪が降ったときである。
最初の二つについて軽く説明をすると、僕は小学校二年生まで習い事で器械体操をやっていた。その貯金があったせいか、小学校時代から、高校時代にかけて、体育で器械体操があった日には僕はとても目立っていた。僕しかバク転ができなかったのだ。高校のとき、先生に促されて、習ってないバク宙をやらされたときにも、なぜかぶっつけ本番でできてしまった。
とにかく、体育で器械体操があった日には、僕以上に目立つ人間はいなかった。それはもちろんのことである。みんながサッカーとか野球とかやってた時期に僕はくるくるマットの上で回ってたのだから。
まあ、こんなのは過去の栄光であり、これからの将来において、僕がよほどの変態的な性癖を開発しない限りは、マットの敷いてある体育館には訪れないであろうから、少し語らせてもらった。
そして、僕はすこぶる視力が悪いのだ。
「すこぶる」という副詞が「悪い」とコロケーション的に合っているのかどうかはすこぶるわからないが、とにかく僕は視力が悪い。
僕より視力が悪い人間に出会ったことがないのだ。
どうしてそんなことがわかる?
答えは簡単だ。
(というより、そんなことわからないのならば君はきっと視力がいいに違いない!)
自分の眼鏡を相手にかけさせてみればいい。
つまり、僕の眼鏡はすこぶる度が強いので、僕の眼鏡をかけさせて相手の反応をみることにより、僕と相手のどちらが視力が悪いのかを確かめることができる。いや、僕はこれを一種の勝負としてみている。
ふはは。
僕はね、負けを知らないのだよ。誰か敗北を教えてくれ。
みんな、僕の必殺メガネかけにより、一発ノックダウン。
一度、とてもおとなしそうな女の子に、僕のめがねをかけさせたところ、とたんに彼女の目が飛び出し、身体は痙攣し、よだれを垂れ流して失神してしまったことがある、というのは全くの嘘だが、ほとんどの挑戦者たちは、僕の前であっけなく散っていくのであった。
もちろん、僕はいまそのいわく付きのメガネをかけながら、この記事を書いている。あっ、今メガネがずれてきたから、左手の人差し指でくいっと押し上げたよ・・・。
はは。そうさ、視力が悪くて良かったことなんて一つもない。みんな目を大切に。
さて、僕が得意になれる瞬間の三つ目。
「東京に雪が降ったとき」である。
なにをかくそう。僕の出身は北海道なのである。
東京都民諸君、僕と一緒に雪道を歩こう。
そうすればどれほど僕が頼もしくみえることか。
僕が雪に対してびびることなど何一つないのだ!!なぜならば僕が19年住んだ北海道という場所は一年の約半分は地面に雪が積もっているような場所なのだから!!
僕が雪を恐れる理由は一つもない。
氷道の上で転ぶなんてことは僕にとっては起こり得ない。むしろその上を走ることだって可能だ。本当さ。
君はきっと氷道を見つけたら歩幅をできるだけ狭くして、ペンギンのように歩くのだろう。
僕は違う。まず、氷道自体の存在に気づかない。だって、僕にとっては普通の道と変わりないのだから。その上をゆうゆうと歩く。
もしだ。もし僕がバランスを崩したとしよう。足がスリップしたとしよう。普通の人ならば、そのまま足をとられてずっこけてしまう。
しかし僕の場合はすぐさま上半身の筋肉が躍動し、宙に完全に身体が浮いた状態だとしてもバランスを取り戻すことができるのだ。
これがいわゆる、慣性の法則、というやつだ。いや、質量保存の法則かもしれない。もしかしたら、ピタゴラスの定理というやつだったかも。
まあ、僕が物理未履修かつ数学で赤点をとったことがあるという事実はおいといて、とにかく、この能力は別に僕に限ったことではなく、北海道民すべてに備わっているものなのである。
こちとら一年の半分雪ふっとんじゃ。一年に二三回しか降らん土地に住んどるものとはもともとの地力がちがうんじゃ。
というわけで、僕は雪に関しては完全に無敵である。
都民から見る、氷上を歩く僕の姿はあまりに頼もしく、かっこいいはずだ。
さながらこんな風に見えることだろう。

さて、昨日はとにかく大雪であった。正直な話、この無敵の僕も少し手こずった。
ちょっとお聞きしたいのだが、都民の方々・・・。
「道民は雪の日に傘をささない」
という事実を知っているだろうか。
これは本当のことで、まさしく昨日僕が実体験したことである。
僕は昨日、傘をささないことになんの違和感もなく、家を出た。
すると、まあ僕以外の人がみんな傘をさしているものだからびっくりだった。というか、僕の存在にみんなはびっくりしていただろう。
これは都民、道民、お互いにカルチャーショックなのではないだろうか。
都民にとっては雪の日に傘をさすのは当たり前。
道民にとっては雪の日に手ぶらで外に出るのは当たり前。
なぜ、道民が雪の日に傘をささないのかというと、おそらく北海道の雪は「パウダースノー」だかららしい。つまり、粉っぽくて水分をあまり含んでいないし、なにより外気温がとてつもなく低いから、雪が服についてもすぐには溶けないのである。
結局のところ、そんな雪ははらってしまえば、なんの問題も無く、それはつまり傘を持つ必要がない、ということなのだ。不思議だね。カルチャーショック。
僕はそういう環境が当たり前だと思っていたから、あまりの傘をさす人の数にいささかびっくりしてしまった。(びっくりされているのは僕だ・・・・・・)
でも別に、東京でも傘をささなくてもなんの問題もなかったけどなあ。
僕にとってはやはり手がふさがるくらいなら、雪かぶった方がいいんじゃないかって思うけれどね。
だって例えばさ、目の前の人の傘をふんだくって、ばっきりと半分に折ってしまったとしよう。
きっとその人は「まあ、なんていい人なんだ。ちょうどこの傘の処分に困っていたところなんだよ。折ってくれてありがとう」と言うに違いない、わけないよね。
うん、そんなわけないよさすがにね。
一つは、体育で器械体操をするとき。
一つは、僕の眼鏡を友達にかけさせるとき。
そして最後の一つは、東京で雪が降ったときである。
最初の二つについて軽く説明をすると、僕は小学校二年生まで習い事で器械体操をやっていた。その貯金があったせいか、小学校時代から、高校時代にかけて、体育で器械体操があった日には僕はとても目立っていた。僕しかバク転ができなかったのだ。高校のとき、先生に促されて、習ってないバク宙をやらされたときにも、なぜかぶっつけ本番でできてしまった。
とにかく、体育で器械体操があった日には、僕以上に目立つ人間はいなかった。それはもちろんのことである。みんながサッカーとか野球とかやってた時期に僕はくるくるマットの上で回ってたのだから。
まあ、こんなのは過去の栄光であり、これからの将来において、僕がよほどの変態的な性癖を開発しない限りは、マットの敷いてある体育館には訪れないであろうから、少し語らせてもらった。
そして、僕はすこぶる視力が悪いのだ。
「すこぶる」という副詞が「悪い」とコロケーション的に合っているのかどうかはすこぶるわからないが、とにかく僕は視力が悪い。
僕より視力が悪い人間に出会ったことがないのだ。
どうしてそんなことがわかる?
答えは簡単だ。
(というより、そんなことわからないのならば君はきっと視力がいいに違いない!)
自分の眼鏡を相手にかけさせてみればいい。
つまり、僕の眼鏡はすこぶる度が強いので、僕の眼鏡をかけさせて相手の反応をみることにより、僕と相手のどちらが視力が悪いのかを確かめることができる。いや、僕はこれを一種の勝負としてみている。
ふはは。
僕はね、負けを知らないのだよ。誰か敗北を教えてくれ。
みんな、僕の必殺メガネかけにより、一発ノックダウン。
一度、とてもおとなしそうな女の子に、僕のめがねをかけさせたところ、とたんに彼女の目が飛び出し、身体は痙攣し、よだれを垂れ流して失神してしまったことがある、というのは全くの嘘だが、ほとんどの挑戦者たちは、僕の前であっけなく散っていくのであった。
もちろん、僕はいまそのいわく付きのメガネをかけながら、この記事を書いている。あっ、今メガネがずれてきたから、左手の人差し指でくいっと押し上げたよ・・・。
はは。そうさ、視力が悪くて良かったことなんて一つもない。みんな目を大切に。
さて、僕が得意になれる瞬間の三つ目。
「東京に雪が降ったとき」である。
なにをかくそう。僕の出身は北海道なのである。
東京都民諸君、僕と一緒に雪道を歩こう。
そうすればどれほど僕が頼もしくみえることか。
僕が雪に対してびびることなど何一つないのだ!!なぜならば僕が19年住んだ北海道という場所は一年の約半分は地面に雪が積もっているような場所なのだから!!
僕が雪を恐れる理由は一つもない。
氷道の上で転ぶなんてことは僕にとっては起こり得ない。むしろその上を走ることだって可能だ。本当さ。
君はきっと氷道を見つけたら歩幅をできるだけ狭くして、ペンギンのように歩くのだろう。
僕は違う。まず、氷道自体の存在に気づかない。だって、僕にとっては普通の道と変わりないのだから。その上をゆうゆうと歩く。
もしだ。もし僕がバランスを崩したとしよう。足がスリップしたとしよう。普通の人ならば、そのまま足をとられてずっこけてしまう。
しかし僕の場合はすぐさま上半身の筋肉が躍動し、宙に完全に身体が浮いた状態だとしてもバランスを取り戻すことができるのだ。
これがいわゆる、慣性の法則、というやつだ。いや、質量保存の法則かもしれない。もしかしたら、ピタゴラスの定理というやつだったかも。
まあ、僕が物理未履修かつ数学で赤点をとったことがあるという事実はおいといて、とにかく、この能力は別に僕に限ったことではなく、北海道民すべてに備わっているものなのである。
こちとら一年の半分雪ふっとんじゃ。一年に二三回しか降らん土地に住んどるものとはもともとの地力がちがうんじゃ。
というわけで、僕は雪に関しては完全に無敵である。
都民から見る、氷上を歩く僕の姿はあまりに頼もしく、かっこいいはずだ。
さながらこんな風に見えることだろう。

さて、昨日はとにかく大雪であった。正直な話、この無敵の僕も少し手こずった。
ちょっとお聞きしたいのだが、都民の方々・・・。
「道民は雪の日に傘をささない」
という事実を知っているだろうか。
これは本当のことで、まさしく昨日僕が実体験したことである。
僕は昨日、傘をささないことになんの違和感もなく、家を出た。
すると、まあ僕以外の人がみんな傘をさしているものだからびっくりだった。というか、僕の存在にみんなはびっくりしていただろう。
これは都民、道民、お互いにカルチャーショックなのではないだろうか。
都民にとっては雪の日に傘をさすのは当たり前。
道民にとっては雪の日に手ぶらで外に出るのは当たり前。
なぜ、道民が雪の日に傘をささないのかというと、おそらく北海道の雪は「パウダースノー」だかららしい。つまり、粉っぽくて水分をあまり含んでいないし、なにより外気温がとてつもなく低いから、雪が服についてもすぐには溶けないのである。
結局のところ、そんな雪ははらってしまえば、なんの問題も無く、それはつまり傘を持つ必要がない、ということなのだ。不思議だね。カルチャーショック。
僕はそういう環境が当たり前だと思っていたから、あまりの傘をさす人の数にいささかびっくりしてしまった。(びっくりされているのは僕だ・・・・・・)
でも別に、東京でも傘をささなくてもなんの問題もなかったけどなあ。
僕にとってはやはり手がふさがるくらいなら、雪かぶった方がいいんじゃないかって思うけれどね。
だって例えばさ、目の前の人の傘をふんだくって、ばっきりと半分に折ってしまったとしよう。
きっとその人は「まあ、なんていい人なんだ。ちょうどこの傘の処分に困っていたところなんだよ。折ってくれてありがとう」と言うに違いない、わけないよね。
うん、そんなわけないよさすがにね。