まずはもともとのこのブログタイトルの由来について立ち返ろうと思う。

「sinking idea」である。(ABOUT:はかっこつけだ。)

sinking(沈みつつある) idea(考え)である。
このブログを開設した当初僕は小説というよりかは、ビジネス書や自己啓発本を読み漁っていた時期で、その本たちから得られたものはとても多くあった。今でも手に取り好きなページをパラパラと読む。

だけれど、僕がただ単に頭の悪い人間だからなのだが、どうも読んだ後一週間も経ってしまうと、結局何が書いてたかうまく思い出せなかった。
どんな感想を持っていたかうまく思い出せなかった。
つまり、印象の鮮度が落ちたのだ。

そこで僕は、文章という形で、その印象を記録していこうと思った。
記録していくことで、忘却の果てに沈みつつある考えを何とか繋ぎとめることができるのではないかと思ったのだ。
そして、そこから得たものを自分なりに思考して昇華するような場としてブログを作った。
だから、sinking idea. だし、thinking ideaでもある。

まあ、ブログタイトルの由来なんて本当にどうでもいい話なんだけど、久しぶりにこのタイトルに即した記事を書く予定だから前振りとして少し語った。

さて、この記事のタイトル。
「体罰ができないことを武器に反抗する生徒に僕はどう対応しようかな?」
教師は体罰をしてはいけないから、生徒がそれを教師の弱みとして反抗する場合があると思う。
もちろんめったにないことだけれど、きっとあると思う。
そうしたらどうしようかな?

という自問に今日自答した。

「僕が君に指導をしたその結果、君が僕にとてつもなく腹が立ち殴りたくなったとしよう。でもそれを実際にやってしまえば君の立場は一層悪いものとなる。なぜならば僕と君は立場が違うからだ。でも僕はそのことを武器に君と向き合うことはしない。とても卑怯なことだからだ。だから君もそんな卑怯な考えを持つのはやめなさい」


こんなことを言おうと思った。

僕は立場が強いものが弱いものに対して、その立場の違いを武器にして対応することは絶対に卑怯なことだと思う。
生徒が教師、または警察に殴ってしまえば、その生徒がどんな気持ちが理由でも処分を受ける。
親ならば子に「誰に今まで育ててもらったと思ってる!?」は絶対に言ってはいけない。

それと同様に学生が教師に対して体罰ができない弱みにつけ込むこともとても卑怯なことだと僕は思うんだ。

【村上龍の「69-sixty nine-」を読んで。】