最近思うのは、人間って個性的でありたいんだなってことだ。

それはまぁ、個性尊重の時代に生きてきた私たちであるから、納得できないことではないのだが。


しかし、これは別に私たちに限ったことでもなんでもない。


というのは、たとえば血液型占い、または診断。


あれを「当たってる~すごい!!」などといって喜ぶ輩は、確実に自分は個性的だと思ってるのだと最近気づいた。


なぜかというと、実はあれには、だれが読んでも思い当たる節があることが書いている。


まぁ、ああいう診断系は10個羅列して、1つでも当たれば、当たった気になるのが人間のあほなところだが、今回の問題はそこではなく、


”これはだれにでもあてはまること、という思考がない”


ということだ。



自分はまったく個性的でないと思ってる人間が同じものをみたとして、

きっと、同じ感想はでてこないだろうと思う。



なんだこれ、あたりまえじゃん。 とか、そんなところだろう。



それに対して、感動し、驚くやつは、少なくとも

自分は”やっぱり”ほかの血液型の人間とは違う個性をもっているんだ!


という思考がはたらいているに違いない。


最近、Twitterで、

A型の人RT、B型の人RT、O型の人RT、AB型の人RT

という風に4つ血液型診断のツイートがあったのだが

そのそれぞれの血液型の性格的特徴を示した、4つ全部が同じ内容で、しかも意外と結構な数がRTされてて笑ってしまった。



まぁ、そのツイート主は、きっと、血液型診断なんてあてにならないでしょ?ってことはもちろん

「なに、自分の性格が個性的だと思ってるんだよ。みんなそうだっつーの。ほらみてみ?」

という思いも込めていると信じたい。



というわけで、人間って個性的でありたいのです。何か考えを持ったらこの考えは自分だけのものだって思っちゃうタイプなんです。




だから、恋愛観、仕事観などなどの考えは決して曲げずに貫き通したがるのだ。

じゃあ自己主張ってなんだ。


食事の席では、ちょっとばかしまずい料理がきたとしてもみんなで声を合わせて「おいしい~!」と、とりあえず言うのだろう。それでひとりになったとき「やっぱまずかったな。。。と感じるのは私だけだろうか」なの?

違います、みんな同じこと思ってます。個性化失敗、残念。



犬と猫がでてきたら、とりあえずみんな声を合わせて「かわいい~!」ですか。きっとその場の空気に合わせていっているのでしょう、わかってます。

「私は、本気でかわいいとは思ってませんが、あの場ではかわいい~!と言うことによりその場の空気に一体してみただけです」って言うんでしょ?わかってます。「私を他の大勢と一緒にしないでください。」でしょ?わかってます。

でもね、それすらみんな同じこと思ってます。個性化失敗、残念。



みんな個性的でありたいのである。

すでに見た目が違う時点で充分個性的であることに気付かずに...。



まぁこんな記事自らの首を絞めているだけなわけだ。


ただ、まぁ、やはりそれがどんなに普遍的な考えであろうと、表に出すことにはなんらかの意味はあると思う。人は結局は一人で孤独の世界にいるときにしか個性的でいられないのだから。