あれだけ献身的に
妹さんの看病をしていた小林麻耶さんでさえ
後悔しているんだって。
たかが数ヶ月看病しただけの私より
ずっとずっと苦しくて大変で
毎日必死な思いで看病していらっしゃっただろうに。
一緒にいた月日だって、
私とパームさんより全然長い。
『充分やった』
なんて、どれだけやっても思えないんだろうな。
「後悔とともに生きること
その、後悔を活かすこと
それが遺された者が出来ることでもある」
いつも “次こそは” と思うけれど、
相手が元気なときには行動できないものなんだよね。
過去、実家で三匹のうさぎを飼っていた。
初代のモル(モルモットみたいな見た目だったので、うさぎなのに名前が『モル』)は
8歳のときに乳がんで亡くなってしまった。
他の二匹は可哀想すぎて書けない。
どちらも8年も経たずに亡くなってしまった。
子供の分際だったから、
当時、自分が自由に使えるお金は一銭もなくて(お小遣いが全くない家庭だった)
良いものも食べさせてあげられなかったし、まともな医療も受けさせてあげられなかった。
みんな可哀想なことをした……
もしも自分がお金を持っていたら、もっとうさぎのために使ってあげて
延命できたかもしれないのに。
あの頃はうさぎに詳しい動物病院がそもそもなかったし
あったとしても調べる手段もなかった。
食べさせてはいけないものも食べさせていたし
外で飼っていたから、夏は暑く冬は寒かっただろう。
だから、大人になってお金が手に入った今は
パームさんがモル・ハク・シロのようにならないよう、
近くでうさぎの診療可能な動物病院を調べたり
定期的に健康診断に行ったり
ごはんも適切なものを食べさせて
一応、過去の後悔を活かして育てていたつもりなんだけど……。
どうしても後悔が積み重なっていく。
私が働き詰め・飲み会漬けで
割とパームさんを放ったらかしだった頃を知っている友人からは
「パームさんは幸せだったかな?それは分からないね」
って、ハッキリ言われたし。
パームさん、あれだけいつも足元にくっついて来ていたし
ドアを開ける音だけで、走って迎えに来る子だったから
もっとかまって欲しかっただろうし
遊んで欲しかっただろうな。
慌てたように、具合が悪くなってから
会社辞めて付きっ切りで介護看病したところで
なんの罪滅ぼしにもならない。
抱っこされたときに、もっと強く止めれば良かった。
「嫌がってるからやめて!」くらいじゃダメだった。
奪い取るくらいのことをしないといけなかった。
背骨を骨折しなければ、少なくとも寿命までは
自由に歩いたり走ったりできただろうに……。
動けない晩年はつらかっただろう。
ごめんね、本当に。
次に活かせるかな。
活かさないとダメだよね。
そうしないと、うさぎを飼う資格なんか1ミリもない。
初代は、学校の飼育小屋から保護したコだった。
今見てもかわいい。