※最初に。
私が言う神とは至高の多次元存在の事です。自分自身が多次元存在であるという意味であり、至高の多次元存在の一部でもあるという事です。集合意識とか様々な言葉がありますが、意識の階層構造等というような事についてもも、同じように多次元であ、一つであり全てでもあると解釈しています。一つであり全て、縦横立体、そのまた立体、それら全体の次元(一神則多神則汎神)の、普遍性の働きの根源(エッセンス)について言っています。
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神が一緒に存在する、いる、と、そうであるように思えば、または、感じ取る事が出きるなら尚のこと、まず、現状に関するエゴを除いた部分で、幸せに感じる
でしょう。

神と自分自身が一体であり、それ以外何も必要ないという心境になれば、わかると思いますが、神が在る事を心に感じ、ただ、それだけで他に何も要らないという状態で、神とその子である私が幸せに感じている事を、誰かに、何かに邪魔される、どんな理由もないと思います。

その状態で、エゴや様々な欲を頭から取り外し、自分自身の幸せの在り方を追求していくと、更に幸せでいたい状態が見えてくるかもしれません。それらを邪魔する物事、人物が見えてきたり、実際にはいつものように生じてくるかもしれません。

だからと言って、人を排除すればいいという話しにはなりません。
だからと言って、人をコントロールすればいいという話にもなりません。

それでは、支配する事やエゴそのものです。

だからと言って、お人好しや、支配、抑圧され続ければいいという話にもなりません。

人それぞれ、いろんな環境、立場や状況があるでしょうから、複雑過ぎるため、個人事に対して逃れる統べのような、イロハは私には述べることはできませんが、

心の中に、いつも神(至高の善の存在)を抱いていれば、
おぼろげにでも、この世の因縁のようなものや不思議に思うような事から意識が神に向く
のではないかと思います。

単なる偶然、不思議を気のせいで終わらせずに探求する事は、人生や人生観を変える事になるでしょう。

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神が人々の幸せを願っており、働きかけているという事を信じればこその話ですが、

自分自身が神と融合した幸せな存在になっていくと想像してみること

その事自体が自分自身が神を表現しており、益々、神と融合すれば幸せが増す状態になっていく事ですし、自分自身の幸せのみならず、全ての存在も幸せになっていくという、最善の願いにもなる事だと思います。 

実際に自分自身の心に幸せが感じ始められると、益々、神の存在を認める真実への気づきや奇跡体験(ちょっとした偶然など)に注意し始め、偶然は必然である如く、神の御光(存在感)である愛を感じだします。 

その体験が自分自身の真実となり、蓄積され、体験が積み重ねる事で、智慧となり、神の愛により気づかされた真実に基づいた智慧により、独善的な善ではない、真実の善が生まれ、働く事でしょう。

この繰り返しが、神の守護のように働き、独善の道にそらさないようにしてくれる事で、愛真なる善が益々栄ていく鍵にななるのではないかと思います。

そして、神に向かい合う事を続けることで、神は最強(無限の可能性を創造するエッセンス)であり、全てであり、自分自身でもあったと認めていくことになるのではないでしょうか。 


皆、神。拝。
気づきをありがとう。