今日のアシュタールからのメッセージです。

「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

あなた達が 関心を失ってしまったら あなた達を支配 コントロールしようと

している存在たちは 何も出来ないのです。

たとえば 選挙で無理やりに当選して リーダーの立場になったとしても

あなたたちの信任を得てなっているわけではありませんから 何かをしようとしても

何も出来なくなるわけです。

・・・詳細は、ミナミのライト らいと ライフ~light, right, life~ 様のHPへ。

コメ:実に、私は選挙に於いては、いつも「愛」とだけ書いて愛に投票しています(笑) 神を選択しています。細かい事をいえば選挙という現実を作っている事になりそうですが、神(無限の存在の一部である自分自身)の創造の方向性に力を与えるという選択と意思として、そういうことに。

今、台湾の学生運動の最中ですが、民主なら幸せ?共産なら不幸せ?という話でやっているようですが・・・実のところ民主か共産かという点ではそのどちらも応援してません。独裁でも幸せなところもあるようですし、民主的でも不幸せなところもあるようですし、人々の幸せを決めるものは一体何でしょうか。

台湾のデモに関して、私のスタンスは自由に対する抑圧的なやり方に対して自由意志で平和的に解決を臨もうとする姿に対して、抑圧等による真実と自由意志のねじ曲げという二元的な影の力には負けないように応援していますが、抑圧の力が悪いとか善いといとかの判断はありません。

真実による愛と平和、至高の善という芸術的な創造に対する願望が主体であれば、そうである事で抑圧なんて存在しなくなる方向性へ意識の方向性を決めている事になるのではないでしょうか。

デモが起きるといつものようにリーダーの統率力とかで神格化され偶像化され、悪い決着の場合には問題発端の一人の責任になるように思います。また、決着の結果、良ければ一人勝ち的なものがあります。偶像化し分裂してしまったため、そこからまた、権力争いや功績の格差など、想像していなかったような分裂が生じ、感じの悪い二元性の永久ループになるのではないでしょうか。

これは、自分自身の力をそのリーダーに依存させ、自分自身の力を他人(リーダー)に委ねる事にならないでしょうか。自分自身がそのリーダーくらいの自覚と自信があれば、そうはなりませんが、心配、恐怖におののいてきた場合に偶像を作り出す行動が始まるのではないでしょうか。不安による正当化や無意識的な責任逃れ=自分の創造力を失う事だとも言えるかもだからです。


人々は一体感を得るために神格化し偶像を創りだすのでしょうが、その偶像は自分自身の思っている方向へ動いている可能性なんて分かるものではありませんし、思いは人それぞれです。もしかしたら、素晴らしく強く感じて感動するようでもその偶像は実は恐れているかもしれません。恐れ等の悪的な部分にパワーを与えるどおりはないのです。

また、統率力などに感動すると、リーダーを崇め、神格化し、素晴らしいことだと褒め称える観衆の姿や声も、そういうモノ、形を支援してしまうのではないでしょうか。※褒めることが悪いと言っているわけではなく無意識的な二元性への誘導的な話です。

一人一人がその神格化されるようなリーダーくらいの意識があればデモなんて起きる必要もないはずですし偶像化させる必要もない事に気づくか気づいているかもしれません。

気づいていても、いよいよとなるまで変化を起こせない現実が悲しくなりますが、国民投票などで、何らかのリーダーを決めて力を委ねてしまうところに洗脳的な無自覚や、おかしいと思っていても、決めてしまったゆえ、不愉快を体験しつつ、いよいよとなるまでよからぬ変化を止めることができない力が生じているのではないかと思います。

かと言って、二元的に囚われている者同士では、リーダーやら戒律的なものを決めなければ、秩序が乱れますので・・・その現実から逃れるのは難しいような感じもしますが、どうであれば、それが必要ないかくらい想像する事は誰にもできます。

例えば、空白の世界・・・政治や法律などもなく、強要が一切ない自由の中、平和を創造しているくらいに意識が高い存在だらけの中、何かを実現したい!と思った時、どういう展開になるでしょうか。相当、想像力を働かせる必要があるかもしれませんが・・・

例えば、リーダーが必要であっても皆が成功するリーダーである世界だって想像できます。混乱や影など生じませんし、もとより変なものが創造されない善一筋、影の無い世界の想像・・・

そのような理想な絵が見えたら、この現実に対して適用できるところから適用していけば、今までの意識に対して変化が起きたわけで、そのような空気(現実)を生み出し、道を開いた瞬間ではないでしょうか。

世の中の空気の変化を察知したり、陰陽的な動きを感じたり、シンクロニシティを感じたり、様々な感覚に対して、本当の心の思いを探り、根気よく観察し続けることでも、内部と外部が関連して繋がっているという発見があります。

それが
神や天使の存在の証拠、または、一体性のある何かであると体験的なものから信じれるようになれば、私達の心が一体性として外部の現実と関連している事が分かってくる訳で、そうなってくれば、そこに向かう道に疑う理由もないですから、一体性による変化(心の変化)が自分自身の現実になっていくという理解とそれを実現しようと思う意図が湧いてくるのではないでしょうか。

こういう作業は時間の無駄でしょうか?それとも忙しいから、人に委ねてしまいますか?という話になってきます。ただ待ってるだけでも理解や気付きの機会は訪れるかもしれませんが、ただ漠然と新しい次元(世界)になる事を祈って何も気づかないないのは・・・?よくわかりません。

何だか人類の今のレベルからの自立(進化)を促されている感じがするわけなんですが、どうなんでしょううね。個人的なことかもしれませんし、、人それぞれ何を選択し変化させようともそれが現実、楽しんじゃえ♪なノリ(笑)