善と悪は互い違うしかないのか?

人は神であり創造主であるなら、なぜ、たがい違って争うのか?

何が、そうさせるのか?

自由の尊厳の無視、いわゆる人権の無視、侵害がそうさせるのではないでしょうか。

偏向した政治、法律、文化、信条、メディアなど・・・

例として、反日というものを考えてみると、

国家的な意識によって人々の創造の自由性が奪われてしまっています。

また、親日一辺倒でも同じです。

どこが?

反日という国家的な意識の中で親日的な言論の自由がいきなり損なわれています。

言論の自由が無い=心の自由が無い=想像の自由性がないという事が分かります。

自由に、善、悪を考えたり、創造する以前の問題なのです。

国家の意識によって善悪という二元性の一つを選択する意図されているようなものです。

選択の自由が奪われていますよね?どう考えてもよいものならともかく、です。

人々の生まれ持った思考や思いを国が制御しているわけです。人権侵害もいいところです。

よって、日本に対して自分達の都合の良いこと以外は何もかもが悪の創造意識で向かってくるわけです。

※このような人権侵害は日本自体にも注意しなければならないところですが。

それにより日本人から見ると、韓国政府や韓国人が悪そのものになってしまいかねません。


では、彼らは、本当に悪人なのでしょうか?

いやいや、同じ人間であり、多くは平和が好きでしょう。

しかし、文化的に植え付けられてしまった性状や、歴史的な風習によるマインドコントロールもあるでしょうから、そこに気づかなければならないでしょう。これは日本人も同じですね。

それがクリアにならない限り、相変わらず、バチバチやり合う仲なままではないでしょうか。

これを国家レベルでやってしまっているという問題もあるでしょうが、それは彼らという個々に染み付いている性状(怒りやすとか恨みやすいとか)が根深いところで共有され浮上していきてるるのであり個人に近づく程、実は根深いというあたりが味噌です。

マインドの開放は個々が気づくしかないという困った問題でもあるのですね。

悪人は自分の事を悪だと思っていない・・・そういう見方もできます。

これを自分に当てはめてみれば分かることですが自分の持っている癖はなかなか治らないものです。それが風習や伝統的なもの、信条等が原因であれば更に難易度が高くなります。


さて人間の心から偏向(マインドコントロール)された善悪がとれると、何が残るでしょう?

自由意志の中で善悪を思考し創造しだすようになるのではないでしょうか?

マインドが偏向されなくなったので、いままで無かった真の善や悪が芽生え始めます。

創造の自由性の復活です。

一体、この日本に於いても、どれだけ無意識的に創造の自由性が阻害されているでしょうか。
特に宗教的な教えから身につけた中に多いかも知れません。

神や仏の教えが違うかも?なんて思うのは、恐怖でついつい心が硬くなってしまい、目を背けたくなる人も多いでしょうが、先人達の間違いかもしれないものを開放、もしくは、解釈の間違いを正すか捨ててしまうには、恐怖を乗り越える事が肝心だと思います。

・・・他には、様々な風習に潜むものがありますが説明するにはキリがないでしょうから心の中を観察すればわかるでしょう。

これで、知らず知らずのうちに失っている権利である、人権問題が一つ一つ解決されるでしょう。

生まれ持った権利なのですから、その権利が阻害されていると思えば、調べてみる価値はあるともいます。

マインドの開放をし真の自由の中から善を芽生えさせ平和にする事ができなければ、どのようにして、今までの、自分自身を超えたレベルになれるのでしょう?


そして、ここでもう一つ考えてみましょう。

人が完全な自由の中で神の一部としての現れとして善悪に別れるならば・・・

それは、我々の考えるような、何かを傷つけあっているような、善や悪でしょうか?

単純に、プラスとマイナスというだけのことではないでしょうか?

おそらくは、神たる本質の部分、それは、いろんな性質があるでしょう。

それは、自分自身を見るだけでもわかると思いますし、事実、いろんな人がいます。

単純に、善悪、プラスマイナスではなく、位相(個性)があるのではないかと思います。

で、その個性達は、ぶつかりあうのでしょうか?

マインドがコントロール(偏向)されたままでは、そうなるでしょう。


また、プラスだから善がない、マイナスだから善がないとはならないでしょう。

人が善悪ミックスの位相付きの個性だと考えればピンとくるでしょう。

人は実際に感じて思考し、物事を生み出す創造主であるのですから、

その神を中心に善一筋の意識がそれぞれにあれば、どうしてぶつかり合う事があるでしょうか。

その状態は、オリジナルな自分、真実の自分自身ではないでしょうか

真実の自分自身は神です。中心です。全てが繋がている状態ではないでしょうか。

未だにぶつかり合っているのは、神の認識がないか、自分で創りだした怖い神など、次元の引くい意識の部分ではないでしょうか。

さらに、エネルギー的にぶつかり合ったとしても、毎日ニュースに流れてくるような、外道的、偽善的な善や悪現実を作るような話にはならないのではないでしょうか。

二元的な話では善悪と表現されるものも本質たる創造主の自分を見つけたなら、お互いを傷つけあうこともなく、相手に嫌なことをしない、気持ち良い関係として、必要とし合う事がわかるのではないでしょうか。

そして、愛も変わらず、善一筋を選ぶか、選ばないかは、本人次第でしょう。しかし、神の力が働くのは善一筋を選択した人ではないでしょうか。

なぜならその善一筋はそれぞれの個性の本質のことだからです。それは、神、根源ということになるのではないでしょうか。私達は善一筋の光であるのが本質ということではないでしょうか。

どんなに、考えてみても(体験から理解し考えてきた結果です)、最後は、神にたどり着くのです。あら、不思議。よって、自由の中の真実の善悪は=善一筋であるので、ただ善の世界になってゆく訳ではないでしょうか。

気づくか気づかないかで、その進歩の速度が変わるってことでもありますね。これは、気づく人が少なく殆どが悪に染まってしまうと人類滅亡ってことでもあるのではないでしょうか。

また、人類が滅亡しようと、エネルギー的なものでは存在するのかもしれませんね。違う生命体として同じ事を繰り返すとか・・・これが、過去の何度かのリセットがあり、何度もカルマを解消しつつ上昇のチャンスを得てきたと伝えられてきた話ではないでしょうか。