何かを得るときの時節は大事であるそうですが、理解の為にもなりますね。私の段階では、次節による変化があり、毎度驚かされてきました。何かを得たのか・・・得たものは、驚きと、気付きです。驚くぐらいですから、そこから何かに気づこうと努力するのは、人の性ではないでしょうか。※少なくとも私はそうです。
・大切なもの一切は、神が人間に与へてあるでないか。人間はそれを処理するだけでよいのであるぞ。何故に生活にあくせくするのぢゃ。悠々、天地と共に天地に歩め。嬉し嬉しぞ。一日が千日と申してあらう。神を知る前と、神を知ってからとのことを申してあるのぞ。神を知っての一日は、知らぬ千日よりも尊い。始めは自分本位の祈りでもよいと申してあるなれども、何時までも自分本位ではならん。止まると悪となるぞ。神の理(ミチ)は弥栄ぞ。動き働いて行かなならん。善と悪との動き、心得なされよ。悪は悪ならず、悪にくむが悪。(一月三日)(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第九十八帖)
>一日が千日だと言ってます。
神々、天使等の存在を知りだしてから、ここす数年で探求やらで相当な気付きやら得てきましたと思っています。今考えてみると一つ一つの気付きと体得的な経験は神々を知らなければ、一体、何年かかったことやらと思うわけです。
例え、十万年の間に転生を繰り返したとしても、どれだけ気づけたかどうか、同じ経験をこの短期間に得ることができたか・・・二元性の性質を考えるとかなりな疑問に思えます。
ここで、教えと道の違いをキッチリ説明できるようになってきました。教えでは気づきを中々確信できませんが、神々と歩む道では確信しつつ前進できているのです。そして神々の協力を得て共に歩むので日々の変化と神々のメッセージにより確信ができるのです。
神になる道であり、神と歩む道でもあるのではないでしょうか。ひふみの神さん的なジョーク(言葉遊び)にも感じてきましたw教えについては守っていればという考え。道については自分で探求し開き進むという考えですし。たしかになー。確信的な気づきを得るなら、やはり信頼する存在と歩む道ですね。
今と昔では、明らかに、神に関わる方法が、どこかの霊能者や坊主だけでなくてよいあたり、開けていますよね。時節はもうとっくに来ていたのです!神々のメッセンジャーが既に、そこら中に現れているのに、このチャンスを掴まない手はないと思います。
私の次元に対する観点では、神とつながるのは、メッセンジャーでなくても何でも良いのですが、思考やモノの見え方等の形態の解釈がわかりやすいのは、神に集中した人々からの言葉ではないかと思うのです。
本物偽物に関係なく語彙も揃ってますし、レベルの高い人ならば、草木や風や水の流れ等の自然からでもわかることでしょうね。
いつまでも自分本位ではならん。
チャネリングメッセージだけでも、うそ臭いメッセージやら、エゴに侵されているっぽいのやら、目的が不明なものまで・・・たくさんありますが、それはそれで、気づきを得る事ができるのです。
悪を憎むのが悪。憎んでしまっては気づきを得ることができません。それを言い出したら、坊主であろうが神主であろうが、同じことです。
教えや方便を頼りに一生懸命修行して何かに気づけたとしても、それはエゴかもしれませんよね?!同じ気付いたという感覚でも体験と関連(シンクロ)させて確信できるのとは、かなり違うことだと思いませんか?
神を知ってからの一日が年日になるとは、なるほど!と言えます。
それだけを考えてみても、既に、何千年、何万年分の進化過程で得る気付きを得たのかもしれません。最近気づいている物事などは、神、天使なしで進化を続けていたら・・・想像もつかないほど年月が必要か、どれだけ経っても・・・どうだかってな風に思えます。
でも、時空を超えている神、天使様と繋がっている事に気づきさえすれば可能な話だと思いませんか?
一日が千日、まさに時間の加速です。
すると、神になっていく為の気づきを得るのがこの世や転生とするならば、時間はないのと同じであるのだけど、あまりにも次元の底に落ち込んでしまったために永遠性を感じられなくなり、体が変化したり風景がどんどん変わっていく事のみが生きるという意味となり、時間という区切りの概念を作ってしまったってことですかね。というか、そうしなっちゃった?
時間に囚われて生活している事は、ただ、二元性に囚われて生きているだけとも言えるのかもしれませんね。(・・・)または、千日位かかってやっと幾つかの気づき(のようなもの)を得ているとか・・・思い返してみればそうかもしれません。それこそが神が常に進化弥栄している様ではないでしょうか。
それでも、時空の永遠性には変わりないけども、あまり楽しくない現実を過ごしていることになるのでしょうか。ここで、何故、これほどまでに時空の底に落ち込んでしまったのか?という疑問とつながってくると思いますが、それはさておき・・・
気づきは心の変化であり、気づきは時空を超えるた存在になる為の理解、進化であり、気付きと心の変化は一致しているし、神の園は心で、神は時空を超えた存在であるし、高次元は変化があるだけ・・・・だんだんつながってきました♪
そう!これくらいの事は子供でも感じてるし、皆、どこかで知っていたことなのです。ただ、真実として考えたこともなければ体験したこともないから、イマイチ、「現実感」がなくてやる気になれないだけ!まず、我々はその道を開くところから始めると良いのではないだろうか。
気づけば気づくほど・・・時間は存在しない世界に近づき・・・現実も変化が早くなり・・・・真の姿に近づく・・・・それは人それぞれってことだけど、心は繋がっているから、増えれば増えるほど真実が表面化していく事になっていくので・・・・
面白い話になってきました^^。
今日は、このあたりで。
-追記-
時間の加速と言えば・・・タイムウェーブゼロ理論・・・
今、タイムウェーブゼロ理論の証明をしてきたのではないかという事に気づきました。
何が加速してるのかさっぱり感じてませんでしたが・・・てか、スッカリ忘れてました(笑)
外側の変化で見るのではなく内側の変化を見た結果からの検証をしてしまった!!のでしょうか。心=超越時空(時間に関係なく物事を並べられますよね!)、気付き=心。神の宮=心。 ほら!つながったでしょ♪なんかすごい発見してるのかも♪
そうそう!シンクロニシティは、気付こうとする思考、意識、気付き(内側)に対して(外)から反応が見て取れるのです!ここ、お間違えなく!!
無意識状態にも反応しているようですが意識的でないだけにあまりわかりません。かもな~?くらいのものですが洞察をするキッカケとして意識していれば更に楽しくなります。
人がどこに向かっているのか心で分かるって証明になります。
ただし確信は自分でするしかないでしょう^^;ここが難しいところ。
※うまく説明している人がいました。
http://mm-maccyoman.blog.ocn.ne.jp/blog/2014/01/post_d9b5.html
・神々の数は限りないのであるが、一柱づつ御名を称(タタ)へてゐては限りないぞ。大日月 (オオヒツキ)の大神と称へまつれ。総ての神々様を称へまつることであるぞ。日は父、月は母、 (キ)は自分であるぞ。自分拝まねば どうにもならんことになって来るぞ。一日が千日になったぞ。(十二月七日)一二十(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第五十八帖)
・大切なもの一切は、神が人間に与へてあるでないか。人間はそれを処理するだけでよいのであるぞ。何故に生活にあくせくするのぢゃ。悠々、天地と共に天地に歩め。嬉し嬉しぞ。一日が千日と申してあらう。神を知る前と、神を知ってからとのことを申してあるのぞ。神を知っての一日は、知らぬ千日よりも尊い。始めは自分本位の祈りでもよいと申してあるなれども、何時までも自分本位ではならん。止まると悪となるぞ。神の理(ミチ)は弥栄ぞ。動き働いて行かなならん。善と悪との動き、心得なされよ。悪は悪ならず、悪にくむが悪。(一月三日)(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第九十八帖)
>一日が千日だと言ってます。
神々、天使等の存在を知りだしてから、ここす数年で探求やらで相当な気付きやら得てきましたと思っています。今考えてみると一つ一つの気付きと体得的な経験は神々を知らなければ、一体、何年かかったことやらと思うわけです。
例え、十万年の間に転生を繰り返したとしても、どれだけ気づけたかどうか、同じ経験をこの短期間に得ることができたか・・・二元性の性質を考えるとかなりな疑問に思えます。
ここで、教えと道の違いをキッチリ説明できるようになってきました。教えでは気づきを中々確信できませんが、神々と歩む道では確信しつつ前進できているのです。そして神々の協力を得て共に歩むので日々の変化と神々のメッセージにより確信ができるのです。
神になる道であり、神と歩む道でもあるのではないでしょうか。ひふみの神さん的なジョーク(言葉遊び)にも感じてきましたw教えについては守っていればという考え。道については自分で探求し開き進むという考えですし。たしかになー。確信的な気づきを得るなら、やはり信頼する存在と歩む道ですね。
今と昔では、明らかに、神に関わる方法が、どこかの霊能者や坊主だけでなくてよいあたり、開けていますよね。時節はもうとっくに来ていたのです!神々のメッセンジャーが既に、そこら中に現れているのに、このチャンスを掴まない手はないと思います。
私の次元に対する観点では、神とつながるのは、メッセンジャーでなくても何でも良いのですが、思考やモノの見え方等の形態の解釈がわかりやすいのは、神に集中した人々からの言葉ではないかと思うのです。
本物偽物に関係なく語彙も揃ってますし、レベルの高い人ならば、草木や風や水の流れ等の自然からでもわかることでしょうね。
いつまでも自分本位ではならん。
チャネリングメッセージだけでも、うそ臭いメッセージやら、エゴに侵されているっぽいのやら、目的が不明なものまで・・・たくさんありますが、それはそれで、気づきを得る事ができるのです。
悪を憎むのが悪。憎んでしまっては気づきを得ることができません。それを言い出したら、坊主であろうが神主であろうが、同じことです。
教えや方便を頼りに一生懸命修行して何かに気づけたとしても、それはエゴかもしれませんよね?!同じ気付いたという感覚でも体験と関連(シンクロ)させて確信できるのとは、かなり違うことだと思いませんか?
神を知ってからの一日が年日になるとは、なるほど!と言えます。
それだけを考えてみても、既に、何千年、何万年分の進化過程で得る気付きを得たのかもしれません。最近気づいている物事などは、神、天使なしで進化を続けていたら・・・想像もつかないほど年月が必要か、どれだけ経っても・・・どうだかってな風に思えます。
でも、時空を超えている神、天使様と繋がっている事に気づきさえすれば可能な話だと思いませんか?
一日が千日、まさに時間の加速です。
すると、神になっていく為の気づきを得るのがこの世や転生とするならば、時間はないのと同じであるのだけど、あまりにも次元の底に落ち込んでしまったために永遠性を感じられなくなり、体が変化したり風景がどんどん変わっていく事のみが生きるという意味となり、時間という区切りの概念を作ってしまったってことですかね。というか、そうしなっちゃった?
時間に囚われて生活している事は、ただ、二元性に囚われて生きているだけとも言えるのかもしれませんね。(・・・)または、千日位かかってやっと幾つかの気づき(のようなもの)を得ているとか・・・思い返してみればそうかもしれません。それこそが神が常に進化弥栄している様ではないでしょうか。
それでも、時空の永遠性には変わりないけども、あまり楽しくない現実を過ごしていることになるのでしょうか。ここで、何故、これほどまでに時空の底に落ち込んでしまったのか?という疑問とつながってくると思いますが、それはさておき・・・
気づきは心の変化であり、気づきは時空を超えるた存在になる為の理解、進化であり、気付きと心の変化は一致しているし、神の園は心で、神は時空を超えた存在であるし、高次元は変化があるだけ・・・・だんだんつながってきました♪
そう!これくらいの事は子供でも感じてるし、皆、どこかで知っていたことなのです。ただ、真実として考えたこともなければ体験したこともないから、イマイチ、「現実感」がなくてやる気になれないだけ!まず、我々はその道を開くところから始めると良いのではないだろうか。
気づけば気づくほど・・・時間は存在しない世界に近づき・・・現実も変化が早くなり・・・・真の姿に近づく・・・・それは人それぞれってことだけど、心は繋がっているから、増えれば増えるほど真実が表面化していく事になっていくので・・・・
面白い話になってきました^^。
今日は、このあたりで。
-追記-
時間の加速と言えば・・・タイムウェーブゼロ理論・・・
今、タイムウェーブゼロ理論の証明をしてきたのではないかという事に気づきました。
何が加速してるのかさっぱり感じてませんでしたが・・・てか、スッカリ忘れてました(笑)
外側の変化で見るのではなく内側の変化を見た結果からの検証をしてしまった!!のでしょうか。心=超越時空(時間に関係なく物事を並べられますよね!)、気付き=心。神の宮=心。 ほら!つながったでしょ♪なんかすごい発見してるのかも♪
そうそう!シンクロニシティは、気付こうとする思考、意識、気付き(内側)に対して(外)から反応が見て取れるのです!ここ、お間違えなく!!
無意識状態にも反応しているようですが意識的でないだけにあまりわかりません。かもな~?くらいのものですが洞察をするキッカケとして意識していれば更に楽しくなります。
人がどこに向かっているのか心で分かるって証明になります。
ただし確信は自分でするしかないでしょう^^;ここが難しいところ。
※うまく説明している人がいました。
http://mm-maccyoman.blog.ocn.ne.jp/blog/2014/01/post_d9b5.html