アセンションという話に乗っかってから、内面を観るようになり、いつしや思考の分裂がおきていたが、どうやら、その一つの理由は、アセンションとう話が、次元上昇とに伴う能力UPに関する話であるからだと分ってきた。
しかし、現実的に、アセンションのエネルギーの増大とともに、顕著な変化を感じない、しかし、変化は確実であるため、気持ちが浮いたり沈んだりと、自分の中心位置がぐらつき、ネガティブな感じになっていたと思われる・・・
そのネガティブ、しつこいエゴは何かといえば!!
自尊心(自分を愛する気持ち)が揺さぶられているのである。
それは、この話に乗ってからは、常識の切り替えをしなければならず、その自尊心はプライドのようなものじゃなくて、以前のような社会のリアリティの生活に於いての、模範的に思わされていたマインドから発生する常識の域の中での、社会的模範と言われるマインドの崩壊であり、それを言葉を変えれて言えばそれこそが自尊心になっていたのである。
しかし、マインドの切り替えに於いて、過去の自尊心は崩壊していく中、今に於いても何らかの自尊心が必要であるが、自分の自立(新しく能力で、新しく生活できるレベルでの)の進歩が見えないため、古い自尊心が崩れ落ちるだけで、今必要な自尊心(新しく、自分を愛せる部分、愛せる能力)が見つからず、心が揺さぶられるだけになり、あれこれ思考(エゴ)が走りだし、ついつい、ネガティブとポジティブの合戦に走ってたようである。
ただ、唯一の救いだったのは、まったく気づきも不思議も何もなかった訳ではなく、神や天使、高次元の存在について心のどこかにある事で何とか完全崩壊が保たれてきたようであるが、自尊心に関しては、古い自尊心の崩壊、マインドの切りに替え(生活さえ変わる為)と共に、能力の発生が起きなければ、自分の存在価値やアセンションという話についても疑問が生じてくる。
それはあるんだろうけど、自分には無理のかもな~と、だったら、それでいいかも。
と、諦めモードになってくるのである。
そうすると、自分はいいから、他の人だけはたすかればいいんじゃない~等と、
これまた、自分を愛せないムードになってくるのである。
そして、やっている事が社会の変化の役に立っているのかさえも分らず
これまた、存在意義を感じてしまうのである。
外の世界が内在する自分の反映なのであるとう話が前提なのであるから、
今まさに、自分の自立ができないレベルなのに、このまま動き回ったとしても、素晴らしい効果はとても想像できないし、寧ろ自信を失って悪方向へ巻き込まれる可能性だってないとも言えず、これまた、悲しみに暮れてしまうのである。
自信の喪失、自尊心の喪失、期待の喪失・・・等など。
神や高次元存在は、認知しても、結局のところ、アセンションで変化すると言われているような風になっていない、そして、なによりも、自分が、その能力を認識して、それを使い、自立して生活できないレベルの存在であるようにしか認識できなく、それでは、何もできないのと同じであり、以前と何も変わっていないのと同義である。
少しは進歩したかもしれないけど、生活できないんじゃ、意味がないじゃん、となるのだ。さらに、そうは思いたくないため、自分がダメなのだと間違っているのじゃ?等と自虐するような思考がエゴが発生する。そもそも正しく、上昇する方法、行動なんて、具体的に分らないというのに。まあ、いろいろと・・・見えない問題、疑問が沸いてくるのである。
この問題が自立に関する自尊心や自立の話である事が分って、ある悩みについて、金に関する問題なのか、命についての問題なのかという悩みがあったが、(それも合ったかもしれないが)、今、そういう問題ではなく、そのどちらを考えてみても、そうではなく、次元が変わっていると言われる中で、真っ正面から取り組んでいるのに、自分の能力で自立できていない事実に見える事に関して、さらには不愉快な事がいまだ続く事に関して、次元が変われば出きると言われていた能力の認識ができない事や、それまでの補助的なNESARA的な話もUFO出現も何もかも、未だ実現されておらず・・・訂の良い話に乗っかって何とか諦めないようにとするが・・・自尊心や自信、期待心、信頼心がズタズタになるのである。
目的に関してある特定の行動パターン、作業があり、目的とする結果に向かっていく過程で、自尊心や自信などといった、自立する力が失われると、どうやら、排他的、利己的になるようである。
それは、家族であったり、身近な人であったり、全てであったり・・・でてくるのは非常に不愉快な思考やイメージになる。
これは、どこか絶望的に感じる中での、生存本能や、優位性の現れかもしれない。
そして、他人を消してでも優位でないと安心できないという!エネルギーの種かもしれない。
これが動物性の現れだろうか。
だから、こうなる前に、
神の繋がりによる安心感、ただ、生存する事、転生する事への完全性、安心感が欲しい・・・;_;
それが恒常的であれば、その動物性(多分、生存性)は消えてなくなるではないか?!
結局、神による安心感がいつも感じられ無いから、その動物性が発生するのではないか?
いや、根っこにそれがあるということは、そのエネルギーが投影されるとしたら、あまり変わらないのか??
こうなってくると、
美を感じ、生命を感じ、人生の不思議や縁を思いだし点と線を繋ぎ、その真理を受け入れ、何もかも全てを受け入れ、神に埋もれるしかなさそうである。
神がそこにあると思えば、歓喜に染まり。人となり。
神がそこにない時、人と動物の間の子、人間である。
ーーーー
では、ただ、存在するだけの状態で、何を思い馳せて存在しよう?
それをするにあたって、その優位性を排除した状態で、なければならない。
むしろ、根本にある、動物的?な何らかによる排除性を消すに当たって、
一つは、愛を示すにあたって、社会的立場、優位性のある状態での、それを意図したものではならない。例えば、その状態での、愛の行動、例として、思いやり一つとってみても、その行動は真の思いやりではない。
この時点で、アセンション、ニューエイジ、NESARA、瞑想と言った、エネルギー的に邪魔の入る事で、排除的になるような様々な話、行動は、一旦忘れるべきかもしれない、なぜなら、もう、アセンションしたのである!!
今、気にする事は、アセンションの予定や瞑想、それらの行動についてエネルギー的に邪魔されると思うような事に主に焦点を当てて注意をするのではなく、それをしつつも、人となるべくに当たって問題とする動物的な部分をも永遠に鎮めるような至高の善の世界を思い巡らせつつ、何かをする度に邪魔の入ったように感じない柔軟な対応をし、その世界に浸ることではないだろうか。
しかし、現実的に、アセンションのエネルギーの増大とともに、顕著な変化を感じない、しかし、変化は確実であるため、気持ちが浮いたり沈んだりと、自分の中心位置がぐらつき、ネガティブな感じになっていたと思われる・・・
そのネガティブ、しつこいエゴは何かといえば!!
自尊心(自分を愛する気持ち)が揺さぶられているのである。
それは、この話に乗ってからは、常識の切り替えをしなければならず、その自尊心はプライドのようなものじゃなくて、以前のような社会のリアリティの生活に於いての、模範的に思わされていたマインドから発生する常識の域の中での、社会的模範と言われるマインドの崩壊であり、それを言葉を変えれて言えばそれこそが自尊心になっていたのである。
しかし、マインドの切り替えに於いて、過去の自尊心は崩壊していく中、今に於いても何らかの自尊心が必要であるが、自分の自立(新しく能力で、新しく生活できるレベルでの)の進歩が見えないため、古い自尊心が崩れ落ちるだけで、今必要な自尊心(新しく、自分を愛せる部分、愛せる能力)が見つからず、心が揺さぶられるだけになり、あれこれ思考(エゴ)が走りだし、ついつい、ネガティブとポジティブの合戦に走ってたようである。
ただ、唯一の救いだったのは、まったく気づきも不思議も何もなかった訳ではなく、神や天使、高次元の存在について心のどこかにある事で何とか完全崩壊が保たれてきたようであるが、自尊心に関しては、古い自尊心の崩壊、マインドの切りに替え(生活さえ変わる為)と共に、能力の発生が起きなければ、自分の存在価値やアセンションという話についても疑問が生じてくる。
それはあるんだろうけど、自分には無理のかもな~と、だったら、それでいいかも。
と、諦めモードになってくるのである。
そうすると、自分はいいから、他の人だけはたすかればいいんじゃない~等と、
これまた、自分を愛せないムードになってくるのである。
そして、やっている事が社会の変化の役に立っているのかさえも分らず
これまた、存在意義を感じてしまうのである。
外の世界が内在する自分の反映なのであるとう話が前提なのであるから、
今まさに、自分の自立ができないレベルなのに、このまま動き回ったとしても、素晴らしい効果はとても想像できないし、寧ろ自信を失って悪方向へ巻き込まれる可能性だってないとも言えず、これまた、悲しみに暮れてしまうのである。
自信の喪失、自尊心の喪失、期待の喪失・・・等など。
神や高次元存在は、認知しても、結局のところ、アセンションで変化すると言われているような風になっていない、そして、なによりも、自分が、その能力を認識して、それを使い、自立して生活できないレベルの存在であるようにしか認識できなく、それでは、何もできないのと同じであり、以前と何も変わっていないのと同義である。
少しは進歩したかもしれないけど、生活できないんじゃ、意味がないじゃん、となるのだ。さらに、そうは思いたくないため、自分がダメなのだと間違っているのじゃ?等と自虐するような思考がエゴが発生する。そもそも正しく、上昇する方法、行動なんて、具体的に分らないというのに。まあ、いろいろと・・・見えない問題、疑問が沸いてくるのである。
この問題が自立に関する自尊心や自立の話である事が分って、ある悩みについて、金に関する問題なのか、命についての問題なのかという悩みがあったが、(それも合ったかもしれないが)、今、そういう問題ではなく、そのどちらを考えてみても、そうではなく、次元が変わっていると言われる中で、真っ正面から取り組んでいるのに、自分の能力で自立できていない事実に見える事に関して、さらには不愉快な事がいまだ続く事に関して、次元が変われば出きると言われていた能力の認識ができない事や、それまでの補助的なNESARA的な話もUFO出現も何もかも、未だ実現されておらず・・・訂の良い話に乗っかって何とか諦めないようにとするが・・・自尊心や自信、期待心、信頼心がズタズタになるのである。
目的に関してある特定の行動パターン、作業があり、目的とする結果に向かっていく過程で、自尊心や自信などといった、自立する力が失われると、どうやら、排他的、利己的になるようである。
それは、家族であったり、身近な人であったり、全てであったり・・・でてくるのは非常に不愉快な思考やイメージになる。
これは、どこか絶望的に感じる中での、生存本能や、優位性の現れかもしれない。
そして、他人を消してでも優位でないと安心できないという!エネルギーの種かもしれない。
これが動物性の現れだろうか。
だから、こうなる前に、
神の繋がりによる安心感、ただ、生存する事、転生する事への完全性、安心感が欲しい・・・;_;
それが恒常的であれば、その動物性(多分、生存性)は消えてなくなるではないか?!
結局、神による安心感がいつも感じられ無いから、その動物性が発生するのではないか?
いや、根っこにそれがあるということは、そのエネルギーが投影されるとしたら、あまり変わらないのか??
こうなってくると、
美を感じ、生命を感じ、人生の不思議や縁を思いだし点と線を繋ぎ、その真理を受け入れ、何もかも全てを受け入れ、神に埋もれるしかなさそうである。
神がそこにあると思えば、歓喜に染まり。人となり。
神がそこにない時、人と動物の間の子、人間である。
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では、ただ、存在するだけの状態で、何を思い馳せて存在しよう?
それをするにあたって、その優位性を排除した状態で、なければならない。
むしろ、根本にある、動物的?な何らかによる排除性を消すに当たって、
一つは、愛を示すにあたって、社会的立場、優位性のある状態での、それを意図したものではならない。例えば、その状態での、愛の行動、例として、思いやり一つとってみても、その行動は真の思いやりではない。
この時点で、アセンション、ニューエイジ、NESARA、瞑想と言った、エネルギー的に邪魔の入る事で、排除的になるような様々な話、行動は、一旦忘れるべきかもしれない、なぜなら、もう、アセンションしたのである!!
今、気にする事は、アセンションの予定や瞑想、それらの行動についてエネルギー的に邪魔されると思うような事に主に焦点を当てて注意をするのではなく、それをしつつも、人となるべくに当たって問題とする動物的な部分をも永遠に鎮めるような至高の善の世界を思い巡らせつつ、何かをする度に邪魔の入ったように感じない柔軟な対応をし、その世界に浸ることではないだろうか。