善いとか悪いとかじゃなく・・・

全ての生命に関わる事、わけの分からん収集の付かなくなるような可能性について、もとよりやらなければよいじゃないか!

全ての生命に関わる事、わけの分からん収集の付かなくなるような可能性、結果がわかったなら、すぐやめれればよいじゃないか!

それができなくなる理由は、欠乏(日本では特にお金)に基づいていると思いませんか?

何かを、仕事を失うと、欠乏に陥るような社会だからそうならないのじゃないでしょうか?

だからいつまでたっても、新しい物事や発想はあるにもかかわらず、芽が出ないか、芽のままで終わりますし、出てきません。

仕事がなくなろうと、どうなろうと、生活の危機や欠乏に陥らないのなら、いらないものは、すぐ消え、栄ある新しい可能性が流動的に浮上するのではないだろうか?

誰も働かなくなる?

古代ローマの良い部分が例になるでしょう。

歴史的にも可なりの創造がされた事実があります。

生活保護者を見ていても分かります。

パチンコやギャンブル、お酒で終わる人もいるようですが、他にやれる事がないか、想像も付かないので、一応、好きな生き方をしている訳でしょうし、アルバイトよりも沢山もらって生活している人がいるのにも関わらず、さらに、商売を立ち上げたりで、わざわざ商売を始めて儲けたりして捕まる人々が沢山いるようですね。しかもバレなければ安心して商売を続けられるという。しかも好きなように。

元手があってもなくても、さらに良い生活の為に創造したり働きたいというのは、人の性ではないでしょうか。だけど、衣食住の安心がなければ、好きなようにはできません。

この社会の中では逆説的な考え方も、このように面白い見方ができます。

いまやりたい事があっても、お金儲けや修行、勉強等といった言葉で、大抵は目的と違った事からはじまり(お金や物による欠乏の為に働いて、ハートの望みを無視した事になる)、大抵は少ない賃金で長い時間と期間を過ごし、自立性や創造力、なんと言っても、想像性を発揮しようとしている今が無視される。

夢が実現しても、今、実現したいんじゃないんだよ!!時間を返せ!!なんて言ってみたところで、帰って来ません(笑)ま、同じような事を真似したいのなら、それもありでしょうが。それとて、熟したときに何らかの理由で、先立つ物や安心感がなければどうでしょう?

大抵の人々は、自由に飛び立つ事に憧れつつも、失敗したときの生活の保証がないという恐怖があるので、「君子危うきに・・・」という言葉で、ハートをごまかして終わるのが関の山じゃないでしょうか。

善いとか悪いとかじゃなく!、こんなややこしいことになる可能性があるんだったら、お金とか法律とか政治とか、ここまでややこしく作らなきゃよかったのに!!と言いたくなる所です。

こういった仕組みを最初に考え出した人々は、こうなる事を予見していなかったのでしょうかね?もし、単なる善の意図から始まったものであるなら、何故、こうなっちゃったんでしょうかね?

・善いとか悪いとかじゃなく!という感情的な?女性的な側面
・善いとか悪いとか!という理性的な?男性的な側面

これがこの社会にどう影響しているか、してきたか、今、そのバランスがどのようになっているのか、考えてみると結構いろんな事が見えてきます。男だろうと女だろうと、どちらも自分に備わっているものですから、分からない事はないはずです。

善いとか悪いとかじゃなく!って言うのは、女性に多い?

善いとか悪いとかじゃないく!という、まさに全てを受け入れるような表現である愛のエネルギーに悪やゴミを混ぜると、悪魔が登場するか、その余地を与えて物事が創造されてしまいます。そうなると愛のエネルギーは憎悪の創造に使われた事になりますね。

元より、善いとか悪いとか、安全とか危険とか、ややこしくなる可能性について判断しなければならないような言葉がでてくるような物事について、最初からやらなければ、または、後に気づいたら直ぐ終わりにすれば、善い、安全という安心が得られるわけです。

◎欠乏等が起きていない状態であれば、
「命に関わる事なんだから、原発再稼働反対!!」

◎欠乏等が起きてしまうと・・・自己防衛・・・悪魔が登場!
「原発が止まると、生活が苦しくなるのよ!!仕方ない!原発賛成!!」

※こういう事をしていれば、本心を自虐した事により心が原因の体のダメージや罪悪感の影響を受け始めるでしょう。

善いとか悪いとかじゃなく!

おっと、これは、まさに、女性ではありませんか!!

善いとか悪いかじゃなく!ってという感情から発生する言葉は、命を守ることや母性ではないでしょうか。

今の社会に決定的に欠けている部分でしょうね。男性的な理性を優先したばかりに、今やルールや柵だらけで創造能力の範囲が限定され、女性的な部分について、どうにもできなくなっている様でしょうか。

善いとか悪いじゃなくて!に理性が加われば・・・

◎欠乏等が起きていない状態であれば、
「命に関わる事なんだから、絶対、原発再稼働反対!!」
「新しい方法はあるんだから、どんどん、それをやれ!!それをやろう!!」

◎欠乏等が起きてしまうと・・・悪魔を跳ね除ける理性が強ければ・・・
「命に関わる事なんだから、少々苦しくなるけど、絶対、原発再稼働反対!!」
「新しい方法はあるんだから、良い方法をどんどん進めればよい!!」

※ここに、他の命の話やなくなる事での危険の可能性や情報が加わると、比較的短絡的(これが問題)に仕方ない等と賛成の方向へ行ってしまう。マインドコントロールされる所でもあるし、既にそういう頭になってしまっているかどちらか。

じゃあ、何で、男性が殆どの政治や組織の世界なのに、原発反対にならないの?!

欠乏が起きない社会になればいいという発想までなるようであるが、結局、仕事を「させなければ」、経済が落ち込んで、欠乏が襲ってくるという恐怖心が、さらにまた、こぜまいルールを作り出す。だけど、今まで作ったルールの綻びだらけで、思うようにいかない。むしろ改悪になってしまうという、悪循環続き。全て、男性的な理性(しかもその理性も自らマインドコントロールされるようになっている)によるものでしょう。

◎欠乏等が起きてしまうと・・・悪魔を跳ね除ける理性が弱ければ・・・
「命に関わる事だけど、他の問題も関係してくるし、しょうがない原発賛成!!」
「新しい方法もでてくるだろう、そのうち、変わるだろう!!でも、将来的には無くなる方向で!」
↑ここが悪魔のマインドコントロールに陥ってしまうところです。

もう、何をするにも、法律やらなんやらと、ややこし過ぎてハートの訴えも聞こえない程、頭は混乱している状態だから、最後は知性的な気分になってハートに言い訳をして終わり。悪魔の勝ち進む姿・・・こんな事を続けているので、さらにややこしくなって、自分達の首を苦しめる事に。

善いとか悪い!というよう事が関係ない女性の感性が欠けているのと、善いとか悪いで判断する理性による、お金を得る利権を失うことによる欠乏への恐怖からに過ぎません。こういう物事から生まれたルールや存在の為に、全体の利から、個人の利の為だけへと、創造性がショボくなっていくのでしょうね。

女性と男性のバランスについて自覚のない者やお金を得る利権がからんでいる者達が政治家として選出されてしまう社会に問題あると思います。理屈抜きであるはずの事も、個人の利益に関する利権、作り出したルールの数々。

元から正しい理念なのかさえ分からない決めごとを作りだし、どこへやら?正しい理念であっても、後の者達の言葉遊び的に、利用されたり、利用したりで、身動き取れなく、さらには、悪用、意に反してとり違いされても、作り出した本人でさえ文句も言えないという始末の悪さの繰り返し。

始末に追えない可能性がある事は最初からするな!決めるな!気付いたら直ぐやめろ!恐怖が根底にある物事をルール化(創造)するとそれが憎悪となって現れ実現していまうという話でした。我々の理性ってそういう方面に使われている事が多く感じませんか?もっと違った使い方があるんじゃないかと思います。

女性の政治家と男性の政治家の話がかみ合わないのを見ていると、そういう部分が大きいと思う事がありました。

※別に女性や男性のどちらかが悪だと言っているわけではありません。女性は感情的、理性は男性的と言われている話を言っているだけです。