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ひふみ神示 第26巻 黒鉄の巻

第十一帖
 学出すから、我出すから行き詰るのぞ。生れ赤児と申すのは学も我も出さん水晶のことぞ。ねり直して澄んだ水晶結構。親の心判ったら手伝ひせねばならん。 云はれんさきにするものぢゃと申してあらうが。いつ迄も小便かけてゐてはならんぞ。人間は罪の子でないぞ。喜びの子ぞ。神の子ぞ。神の子なればこそ悔い改 めねばならんぞ。真なき愛の道、悲しみの喜びからも生れることあるぞ。それは罪の子と申すのであるぞ。(一月二十二日)

第十三帖
 理屈で進んで行くと、しまひには共喰から、われとわれを喰ふことになるぞ。神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さるぞ。結構に導いて下 さるぞ。悪を意志して善を理解すること許さんぞ。悪を意志して善を理解せんとするのが悪ぞ。善を意志して悪を理解せんとするのも悪ぞ。悪を意志して悪を理解する処に、善としての悪の用(はたらき)うまれるのざ。幽界も亦(また)神のしろしめす一面のこと。(一月二十二日)

第十五帖
 人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ。人間はいつも善と悪との中にゐるのであるから、善のみと云ふこともなく悪のみと云ふこともない。内が神に 居りて外が人に和し、内が霊に居り外が体に和せば、それでよいのぢゃ。其処に喜び生れるのぢゃ。神から出た教なら、他の教とも協力して共に進まねばならん。教派や教義に囚はれるは邪の教。豚に真珠となるなよ。天国の意志は人間の喜びの中に入り、幽界の意志は悲しみの中に入る。(一月二十二日)

第二十八帖
 喜びにとけ入るから嬉しいのぞ。喜びから遠ざかるから悲しいのぞ。そんなこと分ってゐると申してゐるが、ほんとに身体に分ってゐまいぞ。喜びに入る門は 愛からぢゃ。真からじゃ。二道あるなれど愛から入るのが入り易いが、愛からでは誤り易い。生れてすぐ歩けるものでないぞ。始めから何も彼も出来るものでな い。気長に進んで行けよ。内の念と外の念とあるぞ。二つであるぞ。一つであるぞ。三つであるぞ。心大きく、広く天地に放さねば、天地のキを吸ふこと出来ん ぞ。(一月二十二日)



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