ひふみ神示 第26巻 黒鉄の巻
第二十四帖
悪とはカゲのことであるぞ。斜めに光を頂くから影出来るのぢゃ。影は主人でないぞ。絶対は何と申しても絶対ぞ。相対から神を求めると、相対の神が顕はれ るぞ。相対で神の道に導くこと中々ぢゃ。必ず後戻り、判りはせんぞ。この神示、肚に入ったらグレンと変りて来るぞ。早う肚に入れて下されよ。間に合はん。 天の声は内から聞こえて来る。人間の言葉は外から聞こえて来る。霊耳と申すのは内からぞ。耳ふさいでも聞こえて来るのぢゃ。悪霊自身は自身を悪と思うてな いぞ。(一月二十二日)
第二十六帖
神は理屈ではない。理であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん、絶対であるぞ。只求めるより他に道ないぞ。親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。神に呼びかけ よ。総てを投げ出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現はれて来るぞ。理屈の信仰に囚はれると邪道。赤児心の理解は第一ぞ。(一月二十二 日)
※その昔、カルマ的に思える縁というか繰り返しを感じ、これは何だ?と思い始め、いつしや、偶然の理を感じだし、今や、ただ、神を求めるような心境になっていますが、思い返してみたら、既に、カルマ的なものが現れなくなったように感じるのですよね。
推察するに、カルマ的なものを感じる状態とは、神(神の子たる自分)を失っている状態であって、神の愛による真の事である、偶然の理等を無視して、気づかないか、その意味を放置したままでいる状態ということではないでしょうか。
例えば、偶然の理に気づきだし、神と向かい合い出す事は、自分が神の子であるという認識に変わっていく可能性でもあり、真に受け入れれるようになれれば、神とともにある神の子たる自分として、理解とともに認識も変わってきて、時と場所、立ち位置などの関係が噛み合い、
※単なるラッキーや偶然では無いと理解できる奇跡を感じると思います。
その結果、見えない世界からの後押しを感じたり、勇気に繋がりますから、ここで心に従った方向性で行動を起こせば、もはや、今までカルマだと思っていた流れから解放され、いよいよ自分自身の本当の姿になっていく為の物事や場所、生き方を選択します。
※結果的に神を信じる事ができて行動に繋がった事になります。
・気づいても、気づかなくても、無視すれば、平面世界のカルマコース(相対力)
・気づいて、理解し、行動に繋がれば、立体、複々立体世界の神の奇跡コース(絶対力)
カルマのコンプリート!に向けて問題解決!なんて思って事に励んでいた時期がありましたが、いま思えば、今のような神に対する理解で行動していれば、必死になって偽善の世界での仕事に励み、それに力を貨す結果にもならず、
今頃、もっと楽に楽しくなっていて、もっと沢山、お金では買えない神秘的、貴重な体験、心と触れ合い、楽しく楽な生活ができていただろうと思うと、随分と、遠回りした感があります。
結局、目覚めていない大勢と一緒にご時世的な流れに合わせて、同じような時、場所、立ち位置の関係(レベル)で同じような事を繰り返しを続けている相対の世界(二元性)から、神の在る、神の子たる、絶対の世界に目覚めなさいという事なのでしょうね。
国家、地域レベルの気(カルマ的なものでしょう)もあるようですから、自称元首やリーダーには目覚めてもらいたいものです。目覚めないから、いつまでたっ ても、人の知恵止まりの(要するに善のつもりの偽善・・・いつまでたっても影を発生させるような)事になり、神の絶対力が発揮されず、この有様なんでしょ う。
第三十三帖
神がうつらぬと申してゐるが、心をやはらかくしてマカセ切れば刻まれるぞ。平かにすれば正しく写り、凸凹(デコボコ)すれば曲ってうつる。神の前に固く なってはならぬ。人間は肉体をもってゐる間でも、その霊は、霊の国に住んで居り、霊の霊は、霊の霊の世界に住んでゐるのであるぞ。この道理よくわきまへ よ。愛は脈うってゐるぞ。真は呼吸してゐるぞ。肉体にあっては肺臓は呼吸し、心臓は脈うつ、この二つが一つであって、肉体を生命する。喜びと三つが一つで あるのぞ。霊にあっては霊の心臓、霊の肺臓、よろこびあるぞ。(旧九月八日)
第三十四帖
祈りは弥栄であり、限りない生活であるぞ。生命のイキであるぞ。祈りから総てのもの生れるぞ。誠の喜びの祈りからは
が生命し、かげの祈りからは
が生命するぞ。人祈れば神祈り、人為せば神なる道理ぢゃ。禁慾は神の御旨でないぞ。慾を浄化して、生め
よ。産めよ。今の人民、慾の聖化を忘れて御座るぞ。慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。慾を導けよ。自分だけならば五尺の身体、五十年の生命
であるが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神にとけ入ったならば、無限大の身体、無限の生命となるぞ。マコトの嬉し嬉しのよろこびとなるのであるぞ。(旧九
月八日)
※欲の聖化を考えるとき、欲情について理解できれば、正しく欲を導けるわけだと思います。特に、神様が用意したものの一つである性欲については、それが生 じる個人差が在る訳ですが、その聖化って何だろう、どうする事だろう?相手もある事だし(無い場合も)な~とか、様々ですから、非常に理解に苦しんでいま すが、そこを何とか理解する事は、相当な真理が開けそう(個人的に思っている事です(笑))
◎合点!嬉しくなったら:ひふみ神示 第26巻 黒鉄の巻
第二十四帖
悪とはカゲのことであるぞ。斜めに光を頂くから影出来るのぢゃ。影は主人でないぞ。絶対は何と申しても絶対ぞ。相対から神を求めると、相対の神が顕はれ るぞ。相対で神の道に導くこと中々ぢゃ。必ず後戻り、判りはせんぞ。この神示、肚に入ったらグレンと変りて来るぞ。早う肚に入れて下されよ。間に合はん。 天の声は内から聞こえて来る。人間の言葉は外から聞こえて来る。霊耳と申すのは内からぞ。耳ふさいでも聞こえて来るのぢゃ。悪霊自身は自身を悪と思うてな いぞ。(一月二十二日)
第二十六帖
神は理屈ではない。理であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん、絶対であるぞ。只求めるより他に道ないぞ。親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。神に呼びかけ よ。総てを投げ出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現はれて来るぞ。理屈の信仰に囚はれると邪道。赤児心の理解は第一ぞ。(一月二十二 日)
※その昔、カルマ的に思える縁というか繰り返しを感じ、これは何だ?と思い始め、いつしや、偶然の理を感じだし、今や、ただ、神を求めるような心境になっていますが、思い返してみたら、既に、カルマ的なものが現れなくなったように感じるのですよね。
推察するに、カルマ的なものを感じる状態とは、神(神の子たる自分)を失っている状態であって、神の愛による真の事である、偶然の理等を無視して、気づかないか、その意味を放置したままでいる状態ということではないでしょうか。
例えば、偶然の理に気づきだし、神と向かい合い出す事は、自分が神の子であるという認識に変わっていく可能性でもあり、真に受け入れれるようになれれば、神とともにある神の子たる自分として、理解とともに認識も変わってきて、時と場所、立ち位置などの関係が噛み合い、
※単なるラッキーや偶然では無いと理解できる奇跡を感じると思います。
その結果、見えない世界からの後押しを感じたり、勇気に繋がりますから、ここで心に従った方向性で行動を起こせば、もはや、今までカルマだと思っていた流れから解放され、いよいよ自分自身の本当の姿になっていく為の物事や場所、生き方を選択します。
※結果的に神を信じる事ができて行動に繋がった事になります。
・気づいても、気づかなくても、無視すれば、平面世界のカルマコース(相対力)
・気づいて、理解し、行動に繋がれば、立体、複々立体世界の神の奇跡コース(絶対力)
カルマのコンプリート!に向けて問題解決!なんて思って事に励んでいた時期がありましたが、いま思えば、今のような神に対する理解で行動していれば、必死になって偽善の世界での仕事に励み、それに力を貨す結果にもならず、
今頃、もっと楽に楽しくなっていて、もっと沢山、お金では買えない神秘的、貴重な体験、心と触れ合い、楽しく楽な生活ができていただろうと思うと、随分と、遠回りした感があります。
結局、目覚めていない大勢と一緒にご時世的な流れに合わせて、同じような時、場所、立ち位置の関係(レベル)で同じような事を繰り返しを続けている相対の世界(二元性)から、神の在る、神の子たる、絶対の世界に目覚めなさいという事なのでしょうね。
国家、地域レベルの気(カルマ的なものでしょう)もあるようですから、自称元首やリーダーには目覚めてもらいたいものです。目覚めないから、いつまでたっ ても、人の知恵止まりの(要するに善のつもりの偽善・・・いつまでたっても影を発生させるような)事になり、神の絶対力が発揮されず、この有様なんでしょ う。
第三十三帖
神がうつらぬと申してゐるが、心をやはらかくしてマカセ切れば刻まれるぞ。平かにすれば正しく写り、凸凹(デコボコ)すれば曲ってうつる。神の前に固く なってはならぬ。人間は肉体をもってゐる間でも、その霊は、霊の国に住んで居り、霊の霊は、霊の霊の世界に住んでゐるのであるぞ。この道理よくわきまへ よ。愛は脈うってゐるぞ。真は呼吸してゐるぞ。肉体にあっては肺臓は呼吸し、心臓は脈うつ、この二つが一つであって、肉体を生命する。喜びと三つが一つで あるのぞ。霊にあっては霊の心臓、霊の肺臓、よろこびあるぞ。(旧九月八日)
第三十四帖
祈りは弥栄であり、限りない生活であるぞ。生命のイキであるぞ。祈りから総てのもの生れるぞ。誠の喜びの祈りからは
※欲の聖化を考えるとき、欲情について理解できれば、正しく欲を導けるわけだと思います。特に、神様が用意したものの一つである性欲については、それが生 じる個人差が在る訳ですが、その聖化って何だろう、どうする事だろう?相手もある事だし(無い場合も)な~とか、様々ですから、非常に理解に苦しんでいま すが、そこを何とか理解する事は、相当な真理が開けそう(個人的に思っている事です(笑))
◎合点!嬉しくなったら:ひふみ神示 第26巻 黒鉄の巻