こんにちは

目標をつかむ男こと青木眞一です。

 皆様、お元気ですか。

 

 さすが夏です、いやまいったな。

 本当暑いです。

 一流は、この暑さ寒さを言わないとの

ことです。

 それは、言うことで更に感じかたが鋭く

なるからです。

 

声音は、人によって違いますね。

特に大きな声は、素晴らし力があります。

子供の頃には、大きな声で笑い泣き怒り

そして叫んでいました。

 それが大人になると次第に声が小さく

なりました。

 それは、周囲の人に迷惑だと注意され

大きな声を出すことが出来なくなったため

です。 

声には、不思議な力があります。

それは、明るく素敵な感謝のある声と

暗く苦しく辛い声どちらも同じ声ですが

周囲に影響します。

 人間を含め、犬、猫、生き物全般にいえ

ることですが、心で思っていること、心の

状況がそのまま、「声」となって出るらしい

です。

 

 「声を出す」といえば、「歌」ですね。

 歌によって、心の変化が起こるというほうが

しっくりきますね。

 各国の時代の流れを見ても、歌(文化)

が発展した国は栄えますね。

 よく、幸せを数値化してランキングにし

ます。

幸せな国・地域というのは、こうした歌

や踊りをはじめとする芸術文化

大きな要因となっていると思えてなりませ

ん。

  

 私は、歌謡曲が好きです。

 暁竜次様のステージを観て思いました。

こんなに素晴らしい歌には、素敵な心

がきっと声になって伝わるのでしょうね。

 

私は、好きな歌を聴きながらブログ

を作成しています。

 その素晴らしい心がブログに伝わる

と良いと思っています。

 

その時代の社会情勢、文化振興等々

の影響によって、その時代で創られる

歌に違いが出るといいますが、声から

変えることができるならば、 その時代を

反映するではなく、 時代を創って

いく、変えていく、つまりリードしていく

もあって然るべきではないでしょうか。

 

 あれ初夏のお話からこの様な、訳の

わからない話になったのでしょうか。()

 

 面白くないお話に成り申訳ありません。

 まじめ、じめじめロクな事ありませんね。

 

 

 

 


 本題のお話しを致します。

 

 「無罪」とは、刑事訴訟において、被告事件

が罪とならないとき、もしくは被告事件につい

て犯罪の証明がないこと、またはその時に言

い渡される判決のことを言います。

 

 一般的な用語として、客観的真実の見地か

ら罪を犯していないことを意味します。

 

 「無罪」と類似する概念に「無実」があります。

「無罪」の本来的な用法は、犯罪について

構成要件該当性・違法性・有責性の観点から

証明が認められないという司法判断でありま

す。

これに対し、「無実」は司法判断ないしは

裁判制度などに制約されない絶対的な真実

として「事実がない」ということを指します。

それぞれの使い分けが一般的なのですが

無罪判決が出ても、構成要件該当性・違法性

・有責性の観点から犯罪の証明が認められな

いだけで、反社会的行為を行ったと認定される

ことがあります。

その意味では、無実と無罪は近似する概念で

はあるが必ずしもイコールではないのです。

 

歴史的な経緯もあって一般的には「罪がないの

に罪を犯したとされること(冤罪)」を、「無実の罪」

と称することも少なくありません。

弁護士が逮捕されたら黙秘しろ、という理由は

ここにあります。

警察は事件にしょうとあらゆる手を使い起訴させ

証拠を捏造工作します。

 

人間は時として誤りを犯すが,そのとき,素直に

そのことを認めて謝罪できるかどうかで,その人間

の価値と信頼性は決まる。

それなのに捏造し自白強要するなど人間性に

問題があるように思います。

 

弁護側が,検察側にとって不利な証拠の提示を求め

たときには,検察側は拒否することができます。

そんなバカなことがあるものかと思われるかもしれない

が事実なのです。

 

一度こうと決めたら見直すことをしない警察の見込み

捜査の恐ろしいところにも原因があるのです。

そして一度犯人に違いないとすると、捜査官に暴行

を受けた上、自白を強要される事があると伺っています。

 

 「人が裁く」ことからくる「冤罪」は、勿論なく

なる事は無いです。

 一度、犯罪者扱いされた者は、真犯人を見

っけるか、事実を証明する以外に「冤罪」を

晴らす事はできません。

 もし、貴方がこの様な立場になったらどうし

ますか。

 今、灰色ならば、無罪という判断がされて

います。

 実は、この考え方こそが私達をこの「冤罪」

から救ってくれる判断じゃないかなと思って

いるのは、私だけでしょうか。

 

人の噂が真実を作り上げ、事実であるかの

ように誤解されてしまうのです。

恐ろしいことですね。

 

即ち、社会の中で上手く立ち回るには

悲しいかな真実が重要なのですね。

 本当にややこしくて解りにくい説明で

申訳ありません。

 

 真実この言葉に、騙されないようにして

下さいね。()

人は、学ばなければ真実を見抜く

ことができませんね。

 

  あきません、真面目に考えてしまい

まったく面白くありませんね。()

  

次回は、「無実」についてお話しをいたします。

 

 あまり面白くないかもしれませんが

できるだけ、興味を持てるようなブログに

したいと思いますので、お付き合いお願い

いたします。

 

 最後までお読みいただきまして

 ありがとうございました。

 

 青木眞一