こんにちは

目標をつかむ男こと青木眞一です。

 皆様、お元気ですか。

 

 梅雨が終わりました。

 待ちに待った夏の到来です。

これから益々、大変暑く寝苦しい

日々が続きます、熱中症等に注意し

体調管理をしっかりして下さいね。

  

私の好きな歌を聴きながらブログ

を作成しています。

 ブログでの喜びは、読者の数です

ね。

 いいね、の数も大変嬉しいです。

いつも、日曜日に投稿しています。

選挙のあった先々週は、600名程の

読者がありました。

 ですが、先週は140名になっていま

した。

内容は、いつも下調べをして自分也

に満足が行くものを投稿しています。

じゃその違いは、題名ですね。

 その題名は、『誰も嘘をついていない
真実をいっている。』です。

 選挙の時と合間って興味の引くもの

であったのでしょう。()

 

 お手紙でも読んで頂いて、初めて執筆

する者の意図が伝わるようにブログも

同じですね。

 ブログも一番重要なのは、題名です。

大変勉強に成りました。

 まだまだ、力不足で訴える文章にして

も、言葉の説明文章にしても未熟ですが

これからの勉強と実践で素晴らしブログ

にしていきますので何卒よろしくお付き合

いお願いいたします。

 

 ブログは、私からの人生応援歌として

のお手紙としたいと思っています。

 これからの人生大変、ついている私から

のお裾分けの知識としてお読み頂ければ

幸いだと思っています。

 

 だけれども、私はこう思うのですがとの

お考えがあればお聞かせ下さいね。

 これから益々、素晴らしい人生を歩んで

いかなければならないので、お互いに教え

学んで行く生き方が最高の道と思っていま

す。

 私は、幾ら年をとっても例え、明日が死ぬ

時であっても学ぶ姿勢だけは無くさないと

思っています。

 なぜ、それはね。

 私は、今世でおしまいと思っていません。

人の生命は、永遠だと本気で思っています。

 ですから、今世の幸せが来世にも繋がって

いるのだと思っています。

 その為には、人に心底親切にしていく自分

でないといけないと思っています。

 

 一番人生で不幸なのは、無知である事だと

思っています。

 それはなぜかというと、この人生を楽しく

生きるか、辛く苦しく生きるかは、全て思考

で決まるからです。

 その思考に対して無知であると不幸である

ことから抜け出すことができません。

 

 あれブログのお話からこの様な、訳の

わからない話になったのでしょうか。()

 面白くないお話に成り申訳ありません。

 まじめ、じめじめロクな事ありませんね。

 

 


 本題のお話しを致します。

 

 「冤罪」とは、「濡れ衣」であると言うことです。

冤罪の原因はひとえに「人が裁く」ことにあり

ます。

 

人は、時をひるがえって過去の事実を観察

することができません。

このため、過去の事実は、現在存在する物的

証拠や記録、人の記憶をつなぎ合わせ、合理的

に推測するしかありません。

したがって、犯罪という過去の事実の有無を

人が判断する裁判においては、犯罪という過去

の事実が存在したであろうと判断者が確信を抱

くことはあっても、犯罪という過去の事実が存在

することを確認することはできません。

この結果、犯罪の存否に関する人の判断と

過去の事実の存否と行き違いを防げないから

です。

 つまり、 「冤罪」は防ぐ事ができません。

 

冤罪で何の罪もない人が死刑になっていま

す。

死刑廃止論者の私は、思います。

法治国家である以上、法の「冤罪」はあるのが

当たり前です。

 ホントに怖い話ですが、痴漢・強盗・殺人・放火

等の罪を犯していないものが無実であることが

わかれば少しは、その結果に報いる事ができ

ますね。

 ですけど、死刑になってから「冤罪」と言われも

その結果に報いることはできませんね。

 

 生命は、大切なものですね。

せめて、「人が裁く」ことからくる「冤罪」から護

る為にも、死刑は廃止して欲しいと思います。

 

 これは、深い意味合いがあります。

この宇宙には、大法則があります。

 ですから、自分が犯してきた罪は自分に

戻って来るのです。

 命の裁きは、何も不完全な人が裁く必要等

ないように思っています。

 

 これも、今世しかないと思っている人の浅い

思量から来ているのでしょうね。

 いずれ時代が進み科学がこの現象を証明

する日が何時か来ると私は思います。

 

 「人が裁く」ことからくる「冤罪」は、勿論なく

なる事は無いです。

 一度、犯罪者扱いされた者は、真犯人を見

っけるか、事実を証明する以外に「冤罪」を

晴らす事はできません。

 もし、貴方がこの様な立場になったらどうし

ますか。

 今、灰色ならば、無罪という判断がされて

います。

 実は、この考え方こそが私達をこの「冤罪」

から救ってくれる判断じゃないかなと思って

いるのは、私だけでしょうか。

 

人の噂が真実を作り上げ、事実であるかの

ように誤解されてしまうのです。

恐ろしいことですね。

 

即ち、社会の中で上手く立ち回るには

悲しいかな真実が重要なのですね。

 本当にややこしくて解りにくい説明で

申訳ありません。

 

 真実この言葉に、騙されないようにして

下さいね。()

人は、学ばなければ真実を見抜く

ことができませんね。

 

  あきません、真面目に考えてしまい

まったく面白くありませんね。()

  

次回は、無罪についてお話しをいたします。

 

 あまり面白くないかもしれませんが

できるだけ、興味を持てるようなブログに

したいと思いますので、お付き合いお願い

いたします。

 

 最後までお読みいただきまして

 ありがとうございました。

 

 青木眞一