昭和の日の前の呼称は『みどりの日』でその前は昭和天皇の『天皇誕生日』だったそうです。
ということで昭和の日は元は昭和天皇の誕生日だったらしいのですが、そう考えると何故明治の日や大正の日はないのでしょうか。
まず、昭和の日もとい天皇誕生日は昭和64年=1989年の1月7日に崩御されて年号が平成に変わったことで12月23日が『天皇誕生日』という祝日になったそうです。
それでGWの一角を構成している4月29日の祝日を廃棄することによる国民生活の消費活動への影響が懸念され、そして、昭和天皇が自然をこよなく愛され、生物学者としてもご活躍されたことから『みどりの日』として存続させたそうです。
昭和の日に改名する法案を平成12年=2000年、平成14年=2002年と二回提出されましたがどちらも途中で衆議院が解散してしまったため見送られてしまったそうです。
それから数多の国民の要望を受け、『3度目の正直』で平成16年=2004年に、提出された法案が平成17年=2005年に可決し、祝日法改正により、平成19年=2007年にようやく施行されて4月29日は『昭和の日』となり、5月4日を『みどりの日』にしたそうです。
ちなみに祝日法では昭和の日を“激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に想いをいたす”と定めているそうです。
『昭和の日』は昭和天皇とその激動の時代を『思い返す日』になっているということです。
また、『明治の日』についてですが、11月3日の『文化の日』は実は明治天皇の誕生日なのです。
11月3日はその昔、明治時代(1868年~1912年)には『天長節』という祝日だったそうです。
明治天皇が崩御されると国民が「明治天皇が近代日本の礎を築いた功績を後世に伝えていきたいので11月3日を祝日としてほしい」という運動を起こして、昭和2年=1927年に『明治節』という名称で祝日になったそうです。
しかし、敗戦後の昭和22年=1947年、当時日本を占領していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が『明治節』を廃止にしたそうです。
日本弱体化を考えていたGHQは国民と天皇との繋がりを排除したかったのだそうです。
そして、明治節が廃止された後、11月3日を『憲法記念日』にしようという動きがあったみたいです。
日本国憲法の前の大日本帝国憲法の公布日は2月11日です。
2月11日は『建国記念の日』ですが、もともとは『紀元節』といって、日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日です。
神武天皇の即位日という縁起の良い日を選んで大日本帝国憲法を公布したことに倣(なら)って、日本国憲法の公布日を明治節である11月3日にして『憲法記念日』にしようとしましたが、GHQから強く反対されたそうです。
GHQは天皇と国民の繋がりを少なくさせたい、なくしたいと考えていたらしく、国にとって重要な憲法記念日と明治天皇の誕生日を結びつけたくなかったと言われています。
代わりに「憲法記念日じゃなければいい」ということで昭和23年=1948年に近代文化が目覚ましい発展を遂げた明治の時代を念頭に『自由と平和を愛し、文化をすすめる』ことを趣旨とし『文化の日』が定められました。
昭和21年=1946年の11月3日に日本国憲法が公布されたことも、祝日となった理由のひとつだそうです。
昭和の日がなくなって『平成の日』に代わるという話があるそうです。
第二次世界大戦前後に『先帝祭』という祭日があり、“平成時代であれば、前の昭和天皇が崩御された1月7日を偲ぶ祭り”とのことのようです。
※昭和の日と先帝祭の日付で代理休日かどうかは不明とのことのようです。
それはそうと、大正天皇は明治12年=1879年の8月31日にご誕生され、大正15年=1926年12月25日に崩御されたそうですが、大正の日はなさそうです。
8月31日は夏休みで、12月25日はクリスマスだからなのでしょうか。
ところで、巷では『平成最後の昭和の日に大正駅で明治のR-1を飲む』というのが流行っているそうですね!(`・ω・´)ムムム
とんでもない年号のオンパレードだ…!(; ・`д・´)メデテェ!?
まったく…誰が思いついたのかわかりませんが、凄い面白いことをひらめきますね!(´∀`)ハハハ
※最後にお恥ずかしながらハッシュタグのつけ方を最近知って、、今回からつけていこうと思います。