「時間は有限だから同じ本は二度読まない」と思い込まない方がいい。 | 演出家・プログラマー 深寅芥のブログ 

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演出・俳優 深寅芥のブログです。本名は千葉伸吾と申します。
株式会社ネリム 代表取締役

 シゴタノ 大橋 悦夫さんの6月21日のエントリー
「時間は有限だから同じ本は二度読まない」
http://cyblog.jp/modules/weblogs/10049

について、私は全く賛同しない。
(つうか、そもそも、タイトルと中身の本文が乖離している印象だ。)

ようは、知識を「結晶化」しなさいって話であって、
「時間は有限だから同じ本は二度読まない」事には繋がらない。

「結晶化」するには様々方法がある。
○ 読み終わったらメモを取ろう♩とか
○ マーカーで大切な文にチェックしよう(七色とかw)
○ 声に出して読もう♩
○ 速読しよう♩

とか。

で、僕が一番言いたいのは、「気に入った本は何度も読もう。」である。

本には様々な種類がある。
小説・戯曲・エッセイ・詩・絵本・漫画・ 評論・雑誌・図鑑・インタビュー

私は演出家が本職だから、戯曲へのアプローチが専門になるのだが、
俳優には「わかるようになるまで100回でも1000回でも読んだらいい。」
と伝えている。

だから、「時間は有限だから同じ本は二度読まない」なんてのは戯曲においては
有害であり、実害だ。

そもそも、あらゆるジャンルの作家は何度も何度も己の作品を読んだり観てもらいたいと思って書き記しているのではなかろうか?

つまり「反芻」である。

例えば、シェイクスピアなんて、400年前から読まれていて、読者数1億人を雄に超えているかと思うけど、沢山の人間が「反芻」しても、「反芻」しきれなくって、
もう、元の原型さえもなくなって、口の中でも頭の中でも液状化しちゃって、細胞の中に取り込まれていたりするんじゃないかな。DNAレベルまで。(←これは言い過ぎ?)

ある意味で聖書も一緒かも? 完全に信者の方にとって液状化しちゃっている。

意味もわからず繰り返し読んでいたら、いつの間にやら身体に取り込まれてしまうんだ。

だから、僕は文章の「結晶化」じゃなくて、「液状化」じゃね?って思っていたりする。

「時間は有限だから同じ本は二度読まない」

なんて、「読書」を捉えていたりすると、最終的に僕はモノ書きとして、その先に大きな罠が待ち構えているのでは?って思うけど、どうなのかなぁ。

そりゃ、コピペされたビジネス本とかマニュアルとかは、「時間は有限だから同じ本は二度読まない」のスタンスで構わないけどさ。

詩とか、戯曲とかはなるべく反芻して読んで欲しい。
だから、全部、一緒の”本”てカテゴライズされたら困るんだ。

そもそも俺、読書好きじゃないけどさ。(←意味不明)

だけどさ、人間ってさ、
年齢を経るつれて、「美味しくないと思っていた食べ物が美味しくなった。」
「つまらないと思っていた音楽が面白く聞こえてきた。」とか、自分でも信じられないくらい、好みが変わる事がある。人の好みなんて、年齢を得て変わる。

そのとき、「20年前」はわからなかった事が、経験を積んで”今”になるとわかるようになる。

そういうもんなんだって、芸術と教育の本質は。

なーんて、シゴタノさんのエントリーをちょいとDisった文章になっちまったけど、
基本シゴタノさん応援しているんで、これからも面白エントリーお願いしまーす。

多分、「知の集積」なんぞとか目指していらっしゃるんだろうけど、
「evernote脳」を疑えってね。

どうせ、脳をevernoteしたって、蓄積した情報を見直す事なんてしないのさ。

人間、結局、Beginnerで、誰よりもフライングゲットしたくて、ヘビロテして学んで、風が吹くんだと思うよ。