・「2号炉に原子炉の中の1000万倍の放射能を含む水がたまっていて作業員3名が被爆した」
・「その放射能の数値について東京電力はそれを把握していたが、作業員には伝わっていなかったため被爆した。」
・「米国のマスメディアでは、日本政府や東電の対応から、日本の上層部にはリーダーシップが欠如しているため対応が遅れがちで、現場にいる勇敢な作業員がそれを支えている。と報じられている。」

と、こういった報道の後、夜になり以下の報道が流れました。

・「1000万倍の測定値は誤り。物質の取り違えがあった。濃度は10万倍程度だった。」
 つづいて、以下の説明。
 「政府や外国、お客様から東電は情報開示が遅い。隠蔽体質。といわれていたので急いでしまった。」


この一連のくだりから思うことを述べたいと思います。
まず、「東京電力は事態の終息のため、誠心誠意がんばっている状態だ。」ということ。
また、そうなのであれば実際は、東京電力が作業員に数値を伝えていなかったというのは結果論から芋ずる的に出てきた話であって、実際は、「測定した数値の分析がまだ不十分な状態だったので、現場に伝えていない状態であった。」ということになります。

米国や欧州、中国などのマスメディアの反応は、かねてからヒステリー気味の報道が多く、日本の放射能汚染が甚大で、まるで核爆弾が投下されたのと同じ放射線量がそのままウイルスのように飛散していっているようなイメージでパニック状態に陥っているように見受けられます。
参考 ジャーナリスト恥辱の壁

こういった中、そもそも何が間違いでこのような状況になっているのかについて、思うところがあります。
まず、東電は情報開示が遅いと世間でいわれていますが、では、その情報を正確さを欠いて伝えていいものなのでしょうか。もちろん、それはNOのはずです。よって、正確な情報をいち早く伝えることは東電に求められる最重要なことで、ある程度の努力は払われています。(東電の体質は別として・・・)
では、東電の体質や情報開示体制の不備だけが悪者なのでしょうか。

私はそうではないと思います。
そもそも、世間に発表になる情報については、その重要度によりますが、必ず開示されるにあたってチェックが入ります。その結果、今回のような場合、少なくとも10分前のことが今すぐ出てくるということはまずはありえないと思います。(地震速報とは全く別の性質のものです。)
それに対して、世間や外国、そして政府の一部の政治家などからは、「東京電力は隠蔽体質だ。」と切って捨てます。
私はどうも、これは短絡的で行き場を失ったヒステリーまたはストレスが東電に各々ぶつけられている状態ではないかと思うのです。

では真実は何かというと、非常事態ということもあって、政府や東電が「木を見て森を見ず。」の状態になってしまっているのだということだと思います。
つまり何がいいたいのかというと、「世間の人達は自らに迫る放射能の恐怖、その事実を知るために、放射能を振りまいている原発とその責任者たる東電に情報を求めている。そして東電や政府はそれに対応しようと全力であたっている。」というのがまさに「木を見ている状態だ。」ということです。
実際のところ、世間の人々が知りたいのは、放射能発生元の情報ではなく、今居住しているエリアの最新の放射線量だったり、原発に向かって100キロ先のエリアの数値で、何時間後にそれが自分のところにやってくるのか。といったより具体的な情報だったりするはずです。しかし彼らは専門家ではないので自分よりも詳しい人間の「安全」または「危険」のどちらかの言葉にしか靡けない。
これが「森」です。

たとえば、よくWebサービスでFAQといった情報が用意されていますが、その目的はサポートへの問い合わせを減らすためでありますが、FAQによってサポートの付加が軽減されて、それにより手厚いサポートが望めます。
今回の東電や政府の情報提供についても同様で、本来ならば、放射能漏れをしたのであれば事前にどういった質問が来そうなのか予見をし、先にそれを提供しておくことで不要な問い合わせを回避し、より正確な情報を出していくことに集中することが可能となります。

いま、政府や東京電力がやっている原発の情報開示(「木」)のみだと、いつまでも世間の人達が本当に求める情報(「森」)に至らない情報が供給し続けられ、結果、無用な不安を醸成し、外国にいたってはヒステリー状態となるのは必然のことだと思います。
では、何をすべきかというと、「FAQをつくる。」と同じようなこと。つまり、自動化すべきことは自動化をし、世間の人々が個々に判断できる場所を提供することだと思います。
つまり、原発やその周辺のみならず、半径10キロ~30キロ、ひいては周辺の県や東京都、浄水場、といった粒度でシーベルトの値をインターネット上で常時公開し、新聞でも可能なかぎり同様の情報を提供することだと思います。
(また、平常時向けのマイクロシーベルトという尺度ではなく、小数点以下のミリシーベルトに統一してほしいと思います。)

これにより、諸外国含め世間の人々は危機への備えをとることができるのでヒステリーに陥ることなく、政府や東電の情報公開に正しく応じることができると思います。

いま政府に求められているリーダーシップは、このあたりのコントロールだと思います。


いま、地球の正反対のエリアで2つの災害が発生しています。
かたや政府が国民を殺し、かたや政府が国民の命を救っています。
しかしながら、この2つの国の独裁政治と民主主義を比べてみると、権力者1人による独裁政治か複数権力者による独裁政治かの違いにしかならないんだということに気づきました。

昨今、復興救済に集中するために民主党がマニフェストにかかげていた子ども手当などのいわゆるバラマキ財源をあてるように自民党が歩み寄っていると報道がありました。
いまの政治を前に進めるためには大連立以外にないという状況下で、ある意味、地震が民主党に折れる理由を与えてくれています。 結果として子供手当てや高速道路平日2000円は見送られましたが、それよりも何よりも、この震災はある意味、不毛な政権闘争から脱却してしかるべき政治を取り戻すチャンスのはず。
でも、民主党はそれでも頑なにマニフェストにこだわり続けていました。

このあたりを見るにつけ、自民党政治のときと、今の民主党政治、両方に共通することとして野党というものの存在が非生産的な存在にしかなりえない、いわば政治家のモラルを問われる状況が続いています。
もし、やりたい政策をやりとげることが政治だと定義するとすれば、カダフィのような独裁者が政治を執り行うことと、日本のように複数政治家が政治を執り行うことはあまり違いが無いのではないでしょうか。

政治家が複数いて政治をやる意味は、主張と議論をした上で妥協点を見出し、話を前に進め具体化することにあると思います。
もしその難易度が高くて困難であるとすれば双方がそれを把握した上で、より優先度が高く実現性の高い別の案件について話をするといったことをするのが本来のあるべき姿のはずです。
ここしばらく日本の政治はそれができていません。
極論だけれども、まさに2つの大きな独裁政治家グル-プ(自民党と民主党)に乗っ取られている状態なのかもしれません。

私はそういった今の政治にいたった根拠として、以下をあげたいと思います。
1.政治家のモラル(質)の低下
2.有権者の安易な判断(人ではなく政党で投票する。政治家の中身ではなく知名度に投票する。等)
3.選挙区、政治家の数の問題。

また、そもそも論でいうと、議会政治というものについて、選挙区やそれをベースに議論されている1票の格差など、あまりにも旧世代のジオグラフィック的かつデモグラフィック的な方式で選挙が執り行われていることがこれら3つの腐敗を招いているのではないかと思います。
その結果、人数が多くバックボーンの知識もバラバラな巨大な議会に大勢の政治家が集まり、個々の議題について論じ、明確な判断もできぬ政治家による多数決的な判断が議会という場所で行われてしまいまとまらないといった状況を生み出しています。

私は、旧世代の制度を見直し、しかるべき姿に改造すべきだと思います。
具体的には、デモグラフィック的かつジオグラフィック的な要員は最小にとどめ、それよりも国の行政区分にあわせるかたちでの選挙とすることで、密度の濃い議会運営がなされる方式をすべきだと思います。
具体的には、全国をデモグラフィック的かつジオグラフィック的要素により道州制などの大きな区分にわけ、それぞれのエリアで農業部門、外務部門、産業部門、文部科学部門・・・といった区分ごとに政治家が立候補をし、そこで選ばれた政治家によりそれぞれの部門ごとに議会運営がなされる。
また、それら議会をまたがる議題や、国として運営すべき問題については内閣府での議論をおこなう。
大臣はそれぞれの部門ごとに今の総理大臣的な役割をこなす。
こういった仕組みとすることで、本来なされるべき密度の濃い議論がなされ、結果、妥協点をさぐることにつながるのではないかと思います。