ジョージア・ハンター著

『私たちは幸運だった―――あるユダヤ人家族の離散と再会の物語』

 

 

ちょっと感想文

 

物語は副題そのまま

ノンフィクション・ノベル ほんとうのハナシ

第二次大戦下 ポーランドに住んでいたユダヤ人の家族が ドイツ侵攻によって 徴兵されたり 難民になったり シベリアの強制収容所に送られたりして 国内外散り散りに

開戦時300万人いたポーランド在住ユダヤ人の90%が命を落としたホロコースト

この家族の故郷ラドム市では 住んでいた3万人のうち生き延びたのは300人以下

この状況下 誰が生き残ることができるのか 一家再会の日はくるのか

 

最初は 読むことに集中するのがなかなか難しかった

歴史を知っているから気が重いというのもあるし 若い時読んだ「アンネの日記」の印象が強くて隠れ家で息を潜めている人々の心情に寄り添い続ける苦しさを敬遠する気持ちもあった

読み始めたら隠れ家どころか 大陸をまたぎ逃避行する人物もいて驚いた

一方 ホロコーストそのものは 知っていたことよりはるかに規模が大きく 残虐の程度も大きかった

強制収容所に連れていかれる移動中もまったく人間的な扱いはされない

 

章ごとに 登場人物の名前 場所、年月が示される

「アディ フランス、パリーーー1939年3月初旬」

巻末に載ってるクルツ家の簡易家系図によると アディは次男・25歳

最初は名前も続柄も覚えきれなくて いちいち家系図を見ながら読み進めた

だんだん一人ずつのことがわかってくる

仕事とか性格とか それぞれの家族や恋人もわたしの脳内で生きて動き始める

年月の数字に胸ふさがれる

終戦は1945年とインプットされてるから そこまでの年月の長さに苦しくなる

1945年にこの一家はほんとうに「私たちは幸運だった」と言えるのだろうか

 

胸を詰まらせながら それでも読み進めたのは ワタクシゴトだけどとても大事な身内が精魂込めて作品にかかわったから というのにつきる

ある個所に 彼女の頑張った想いがにじみ出た部分があったので どうあっても読み切ろうとおもった

この重い実話に向き合う仕事は想像以上に苦しかったはずだから せめて読了しよう と

 

 

読み終えて 人間のあらゆる面に圧倒された 良くも悪くも

 

何といっても 戦争という愚行をしてしまう人間への絶望が大きい

独裁者とそれを受け入れ同調し差別や支配を正当化してしまう人々

差別や支配は甘い蜜なんだろうか

人間は生まれつき善な存在ではないのかもと思ってしまう

 

けれども

家族を求め家族を愛する気持ちにもウソはない

家族との再会のために 意志を強く持ち生き抜こうとするのも 人間なんだろうと思う

 

思い出させるものはどこにでもあるわ。そんなに悪くないと思える日もあるかもしれないし、耐えられないほど辛いと感じる日もあるでしょう。でも肝心なのは、と自分に言う。特別に苦しくて息もできないほど悲しみが深い日でも、日々を続けていかなければならないということだ。朝起きて、身なりを整えて、仕事に行く。訪れる日々を過ごす。彼女は前に進み続ける。

(本文より)

 
 
そしてわたくし的に勝手におもうことだけど
この重い物語の底のほうに音楽を感じていた
次男のアディが音楽家だったり そもそもポーランドはショパンを産んだ地だったり もあるのだけれど
音楽は「ヤワラギ」や「イヤシ」だけをもたらすわけでなく 人間が生きようとする強い意志の発露だとおもうので