憧れるのは、なぜ?

 

世田谷美術館で開催中の「パリジェンヌ展」に行ってきました。快晴!

 

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ボストン美術館「パリジェンヌ展」時代を映す女性たち

世田谷美術館

2018年1月13日(土)→4月1日(日)

 

日本の女性って、「パリとかパリジェンヌ=素敵ラブ」っていうのが刷り込まれているような気がします。かく言うわたしもパリジェンヌっておしゃれで、自分を持っていて、カッコいい~!と思ってます。そんな胸キュンキーワード「パリジェンヌ」をテーマにした展覧会に行ってまいりました。

 

本展は18世紀からはじまり現代までのパリの女性=パリジェンヌにスポットを当て、社会における彼女たちの役割やその活躍を時代ごとに追っていくという構成になっていました。

 

18世紀といえばフランスの貴族文化の円熟期であり、後期にはフランス革命があった激動の世紀。寵姫ポンパドール夫人、王妃マリー・アントワネット、皇后ジョセフィーヌ等の姫たちに加え、サロンの女主人や女流画家等、少しずつ、本当に少しずつ女性が表舞台に立ち始めた時代だったと思います。

 

技術的にも芸術的にも最上の工芸品が人間の手によってのみ生み出されていた最後の時代であり、フランス人が最もリスペクトしている世紀なのだそうです。日本人であるわたしも18世紀のフランスが大好きで、趣味は何かと聞かれると「18世紀のフランスについて調べること」と答えているくらいです。

 

さて、前置きはこれくらいにして、今回勉強になったなぁと思う事を備忘として書き連ねます。

 

第1章 邸宅と劇場に見る18世紀のエレガンス

18世紀のサロンの室内

→女主人が主役のサロンは、インテリアにも主人のセンスが表れている。ペールカラー(白っぽい薄い色合い)など、女性らしい好みで装飾されていた。

 

ロココのデザインといえば

→薔薇、リボン、ピンク!

 

ルイ15世時代にトルコ風ファションの流行があった

→トルコ風の流行は1742年にオスマントルコ大使が来仏したことがきっかけ。トルコ風=オダリスク風(トルコ後宮風)。オスカルがフェルゼンのために着たドレスはオダリスク風だった。オスカルがドレスを着て舞踏会に行ったのはルイ16世の治世。実は流行遅れのドレスだったのか。。。ばあやが選んでたのだから仕方ないか。。。

 

真珠
→肖像画において描かれる装飾品は主にパール。ダイヤモンド(もちろん貴族やブルジョワは所有している)は豪華過ぎる。女性としての慎ましさを表現するにはやはりパールだった。

 

かつら

→最大で全長1.2mの記録がある。

 

第2章 家庭と仕事、女性の役割

子育て

→18世紀、ジャン・ジャック・ルソーの影響で子供は家庭内で両親によって育てられるべきという考えが浸透していった。それまでは子供は生まれてすぐに里子に出されていた。この頃から”良き母親像”を題材にした絵画が描かれるようになった。

 

髪の毛ダウンスタイルで描かれていている

→情事を暗示していることが多い。当時の女性の髪形はアップスタイル。髪の毛をおろしているのは情事の後で髪形が乱れているという状況を揶揄している。または家族と過ごすくつろいだ時を描いている場合の時もある。(情事とは無関係)

 

召使、下働きの若い女性が描かれている

→雇い主が自由にして良い存在。性的な相手になることもある。服の胸元が大きく開いている、こちらをじっと見据えている、穴の開いた壺(女性の〇〇を象徴している)のなどが描かれているなどからも、単なる下働きの女性の風俗を描いただけではないと裏読みできる。

 

第3章 パリジェンヌの確立

海水浴

→19世紀は鉄道が発達した。人々は遠方まで気軽に出かけられるようになり、海水浴が新しい娯楽であり社交場であった。海水浴といっても、普段より少しだけ軽装になった人達が海を見ながらおしゃべりをするといったもので、実際に海水に入る人は少なかった。水着に着替える場合、背の高い細長いテントのような簡易スペースを借りていた。

 

偽カシミール

→カシミール地方で作られていたカシミヤのショールはパリジェンヌの憧れであったが非常に高価であったため、カシミールを模倣したジャガード織のショールが作られていた。敷物のように大きいのは当時のドレス(クリノリンスタイル)が大きかったから。また、こういったショールは女性は自分で購入することはなく、男性(夫、婚約者)から贈られるものだった。ショールを掛けていることは、そういった男性がいます、という証でもあった。

 

第4章 芸術を取り巻く環境-製作者、モデル、ミューズ

女性の画家は屋外で描くことを許されていなかった

→室内、自宅のお庭などで静物画や家族、親しい友人を題材に描くしかなかった。印象派の時代には女性の画家が多く出てきたが、屋外を描いた作品は少ない。ただし、アメリカ人はこれに関してもう少し寛容であった。

 

サラ・ベルナール

→女優だけでなく、アーティストであり、絵画や彫刻などを残している。またレズビアンであった。

 

ロートレックの好きなタイプ

→ロートレックは赤毛で骨ばった女性が大好きだった。

 

第5章 モダン・シーン-舞台、街角、スタジオ

ジョゼフィン・ベーカー

→どんなファッションも着こなすことができた。葬儀は国葬であった。

 

なんとシャネルに関する展示がない

→ボストン美術館にはシャネルに関する所蔵品がない。

 

マドモワゼルが登場しないパリジェンヌ展なんて、パリジェンヌ展じゃな〜い!と言いたいとこですが、総じて大満足の展覧会でした。

 

わたしが出向いたのは土曜日でしたが、ストレスなく鑑賞できる程よい混雑感だったというのも良かったです。