あの大地震・津波から今日で一年。
一年前のあの日、私は東京の自宅で震災に遭いました。
前日まで都内で仕事をしていました。この日も急な依頼問い合わせがあり、午後4時に大手町に来れないか、と言われていたのですが、それはお断りし、家でゆっくり休もうと決めていたのです。
休もうと決めていた理由は、2日後の日曜からヨーロッパ出張を控えていたからでした。。。
揺れが始まったとき、私は遅い昼食のオニオンスープをすすりながらDVDを見ていました。
「そういえば、昨日も一昨日も地震があったよな。変な揺れ方だったよな・・・」と最初は余裕でいたのですが、すぐに揺れが激しくなり、一応・・・という感じでダイニングテーブルの下に身を潜らせました。
その瞬間からマンション全体がギシリ、ギシリ、と大きな音で奇妙なノイズを立て始め、横揺れがどんどん激しくなり、キッチンから色々なものが落ちてスープが入った鍋やガラスや陶器が割れるものすごい音が聞こえ続けました。
テーブルの下から手をのばしてテレビのリモコンをつかみ、チャンネルをNHKにするとキャスターが動揺した声で「落ち着いてください!!安全な場所に隠れてください!!」と叫んでおり、「ああ、これは夢じゃないんだ・・・」とだんだん頭が真っ白になってきました。
永遠に感じた大揺れがやっと終わった瞬間には完全に腰が抜けてしまったいて、身体はわなわなと震えており、涙も勝手に流れておりました。
ようやく立ち上がり、窓に駆け寄って眼下の通りを見ると、いつもと変わらず沢山の人が普通に通りを歩いていて、「ああ、この世の終わりが来たわけではなかったんだ・・・」と少しづつ冷静さが戻ってきました。
そして、心を落ち着けさせるためにはちゃめちゃになっているキッチンをインスペクションし、写真を撮影し、他の部屋の被害状況も確認しました。
その時、エレベータホールから、「バーン」という音が聴こえ、誰かが助けに来てくれたのかと思い玄関のドアを開けると、ホールには土埃が舞い上がっていました。天井から鉄柱が落ちてきた音だったのです・・・。
この震災において、私はいくつかの点で非常にラッキーでした。
まずは、当日の都心での仕事をお断りして、家にいたこと。もしあの時大手町に向かっていたら、間違いなく帰宅難民のひとりになっていました。
そして、出張を控えていたので、じゅりふうを前の週から名古屋の実家に預けていたこと。決して賢いとは言えない犬たちなので、もし一緒に家にいたらパニックを起こしたりして怪我をしていた可能性が高いと思いますし、ひょっとしたらトラウマを背負わせてしまっていたかもしれません(鈍いからそれはないかな)
最後に、「これで絶対に明後日のヨーロッパ出張はキャンセルになってしまう・・・」と確信したのにもかかわらず、数時間後にご連絡があり、出張は予定通り決行されることが伝えられたこと。しかもそのお客様や別のお客様からこの震災にかかわるプレスリリースの緊急の翻訳の仕事をその晩に頂いたことでした(仕事がもらえたからラッキーということではなく、こういう大変なときに少しでもお役にたてた、というのがなによりも嬉しかったです。)
実際に2日後には計画停電が急に始まるということで大混乱のなか朝5時のバスで成田空港に向かい、原発問題で日本よりもヒステリー状態になっているヨーロッパに上陸、現地の人がこの件をどういう風に見ているのかというのを肌で感じることができた一生忘れられない貴重な仕事を経験することになりました。
・・・1年経ったいまでもかなり鮮明に当時のことは覚えていますね。この震災で日本人のひとりひとりが色々な思いを持つにいたったと思いますが、私はこういう信念を持つようになりました。
それは、「自分や周りの人々が健康で生きていれば、それだけで十分である。ほかに何もいらない」ということ。
この気持ちを忘れず、毎日を後悔なく生きていくことに心を集中させ、これからも感謝の気持ちをもって生活していきたいです。
亡くなったかたがたのご冥福を祈りつつ。。